■私大の53%が定員割れ
少子化に歯止めがかからない中で、私立大学の数が多過ぎるとして、政府が2040年までに少なくとも250校を削減する必要があるという数値目標を公表、私立大学の経営者に衝撃が走っている。この数値目標を公表したのは、財務相の諮問機関である財政制度等審議会の分科会。
私立大学への補助金を支給する立場から、財務省が数値目標という形で切り込んだわけだ。文部科学省も定員規模の適正化などは不可欠だとしており、基本的には国の方針として「私立大学を減らす」流れが確定的になった。
このほど発表された2025年に生まれた子どもの数は約67万人だった。18年後に大学入学年齢になる子どもの数が67万人ということがほぼほぼ固まったわけだ。この18歳人口、1992年には205万人いたものが減少に転じ、2024年時点で109万人になった。
ところが私立大学の数は逆に増え続け、1992年の384校から624校へと1.6倍になった。これまでは大学進学率の上昇によって、経営破綻する大学は一部だったが、それでも、日本私立学校振興・共済事業団の2025年度調査では、私大の53%が定員割れに陥っている。
■18歳人口は急激に減少する
政府が毎年10月時点で推計値を出している年齢各歳別人口を見ると、2026年まで109万人の18歳人口は、そこから急速に減少を始める。2030年には103万人、2034年には98万人となる見通しだ。
各種の統計の中でも人口統計の実績値は信頼性が高い。よほど大量の移民でも受け入れない限り、出生数が上限になる。これから大学は、これまでに直面したことのない少子化に直面し、経営が行き詰まるところが頻発してくることになる。

そうした厳しい環境の中で、どうすれば生き残り、政府の言う250大学に入らずに済むのだろうか。
■経営力がなくても生き残れた
ひとつは「経営力」である。私立大学はこれまで「経営」がなくとも組織として生き残ることができた。少子化が始まっても文科省が各大学に割り当てる定員をコントロールすることで、弱肉強食の食い合いにはならずに済んできた。
学生に人気のある早稲田や慶應義塾や、MARCH(明治、青山学院、立教、中央、法政)など上位校の定員を「厳格化」することで、中下位の大学に学生がまわり、経営を安定化させる。かつて銀行業界で行われてきた弱いところを助ける「護送船団方式」とも言える施策が取られてきた。
東京都にある大学の定員管理を厳しくして地方大学に学生を回すというのも同じ発想だった。だが、それ以上に18歳人口の減り方が激しさを増してくると、もはや定員調整ですべての大学を生き残らせることは難しくなる。
文科省はここ数年、大学の統合を進める施策を強化していた。いよいよ数を減らすことで人口減少に対応せざるを得なくなってきたのだ。私立大学に先駆けて、国立と公立の統合などが全国に広がったが、私立大学どうしの統合はなかなか進まなかった。財務省が「250大学削減」という荒っぽい主張を始めた背景には、進まない統合の背中を押す狙いもありそうだ。

■私学行政の残念な現状
銀行業界の先例を見ても分かるように、本来ならば「強いところを強くする」戦略を取ることが、国益や学生の利益にもかなうはずだ。入学定員の枠を役所が決めるのではなく、大学に自由に決めさせれば、より良い教育を行い、多くの学生の支持を得る大学が生き残るはずだ。
文科省にもごく一部、自由競争論者がいるものの、大概出世できない。私立大学は地域の名士が設立したところが多く、いわゆる文教族と言われる議員と密接につながっている。自由競争になれば負ける大学は、必死で護送船団方式の継続を働きかける。今の文科省の私学行政は、経営力ではなく政治力で大学を存続させようとしている私学経営者と文教族議員に牛耳られている。
現状でも私立大学の半分が赤字経営に陥っている中で、今後、国を頼りに生き残るのは難しいのも明らかだ。そうなるとまともに大学経営ができる「経営力」を備えた経営者がいるかどうかが問題になる。しかも生半可な経営者では、一部の上位大学を除いて生き残りは難しい。
■経営力を発揮する方法が閉ざされている
というのも、今の大学業界は経営力を発揮する方法が閉ざされているからだ。前述の定員然り。企業で言えば、お客さんの上限が定められているので、数を増やして収入増を狙うことができない。
どんなに良い教育を頑張って実現しても、定員を増やすことができなければ収入は増えない。
収入を増やそうと思えば、学費を値上げする他ないが、他大学と競争する中で、他大学より学費を値上げすれば入学者が減ることになりかねない。せいぜい、物価上昇分だけの値上げしかできず、逆に物価上昇を吸収できなければマイナスになりかねない。
もうひとつは学費収入以外の収入を増やすことだ。同窓会組織がしっかりしていて、周年行事などでの寄付が集まる体制ができていれば、校舎の新築といった費用を寄付で賄うことができる。資材費などが猛烈に高騰する中で、建設費を学費収入で賄おうとすれば、大学経営が一気に傾くことになりかねない。校舎新築資金の返済に追い詰められて破綻寸前の学校法人も実際にある。
■経営の多角化とM&Aの検討
今後も少子化が続くことを考えれば、学費以外の収入を稼げる事業を拡げることも不可欠だ。いわゆる多角化である。バブルの頃、大手鉄鋼会社が鰻の養殖事業に乗り出して失敗したことがあったが、経営力があるはずの企業でも多角化はなかなかうまくいかない。教育事業の周囲や、地域と連携した事業の拡大なども課題だ。
さらに考えるべきはM&A(合併・買収)である。
学校法人の場合、株式会社の株式のように支配権の持分がないため、金銭で買収するということが基本的に難しい。中小の学校法人で行われているのは、全権を握っている理事長に高額の退職金を払って理事長ポストを手に入れることで学校法人を支配するやり方だ。M&A仲介会社などもこの手法を持ちかけている。小規模のところはともかく、それなりに規模のある私立大学では、この手法は使えない。
逆に言えば、2つの学校法人の経営陣(理事会等)が合意すれば、手元資金がなくてもM&Aが実行できるとも言える。こうした戦略的な統合をする上で、統合後の大学のあり方や教育の質、教職員の処遇などを考える「経営力」が不可欠になる。
■経営そっちのけの権力闘争
では、どうやって経営力のある経営者を学校法人が持つか。学校法人の多くは、いまだに創立者の一族が実質支配しているケースが少なくない。株式の持分がないので、一族が支配する方法は理事長ポストを握ることだ。私学法も理事長の権限を薄める方向で改正がされてきたが、いまだに寄付行為(定款)で定めれば理事長に権限を集中させることがかなりできる。
だが、一方で、こうした一族理事長が経営者としての能力が高いかどうかが問題になる。後継として社会経験も乏しいまま、学園の業務だけを行ってきた人に、経営力を求めるのは酷だろう。
しかも、平時の運航ではなく、乱気流の中を飛ばなければならない状況だ。それでも稀有な経営力のある一族理事長なら、カリスマ性もあり統率力もあって、経営がうまくいく、ということもある。実際にそういう学校法人もいくつもある。
問題は、オーナーのいない中堅以下の私立大学だ。これまでの護送船団の中で経営など考えなくても定員が充足してきた大学には、経営者はまず育っていない。多くの場合、教員上がりと職員上がりが、経営そっちのけで、権力闘争を繰り広げる。多くの大学で表面化したように校舎建設でのキックバックや業者からの賄賂に手を染め、学校法人を食い物にしていく。そんな大学が少なからず存在する。そんな大学が、国が言う「潰れる250大学」になっていくのだろう。
■真っ当な「ガバナンス」構築が不可欠
これまで「経営」がなくてもやってこられた大学が生き残るには、まともな経営者を外部から招くことだろう。卒業生の企業経営者かもしれないし、全く関係のないプロ経営者かもしれない。それを可能にするためには真っ当な「ガバナンス」の構築が不可欠だ。
大学の方針を決める機能を評議員会に持たせ、評議員会で経営力のある人材を理事に選ぶ仕組みを作る。世の株式会社の多くが取締役会の過半数を独立社外取締役にすることが一般的になってきたように、学校法人の評議員会や理事会も外部の人材を多数にするべきだろう。
株式会社の場合も「会社は誰のものか」という議論が長い間続いてきた。いわゆるコーポレートガバナンスの議論だ。会社には多くのステークホルダーがいるが、「株主など関係ない」という人はもはやいない。株式の過半を握る株主の賛成がなければ経営者は動けない。
だが、学校法人の場合、「大学は誰のものか」という議論はまだ始まってすらいないように思う。ガバナンスを強化するという狙いで行われた私学法改正も不十分なままだ。強い大学を生き残らせ、より高い教育を通じて日本の人材を育てていくためにも、大学のガバナンスをさらに強化していく必要がある。

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磯山 友幸(いそやま・ともゆき)

経済ジャーナリスト

千葉商科大学教授。1962年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、「日経ビジネス」副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。著書に『国際会計基準戦争 完結編』(日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)などがある。

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(経済ジャーナリスト 磯山 友幸)
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