"トヨタ以上"でもスバル1500が売れなかった訳

"トヨタ以上"でもスバル1500が売れなかった訳
飛行機会社から生まれ変わった富士重工(現SUBARU)は、スクーター販売と同時に自動車開発にも乗り出す。試行錯誤を経て生まれた最初の車は「スバル1500」。なぜ、車は“スバル”と名付けられたのか——。(第5回)
■占領が終わり、自動車開発が本格スタート
中島飛行機から分かれた15の会社のいくつかが富士重工として合同したのは1953年のこと。朝鮮戦争の休戦協定が調印されたのと同じ7月である。
戦争特需が日本経済を活性化させたこともあり、町を走るモビリティの種類が変わった。それまでスクーター、オートバイ、オート三輪が主だったが、駐留軍の軍人が手放したアメリカ車を町で見かけるようになった。
ただし、国産車はまだほとんど走っていない。戦前からの御三家、トヨタ日産、いすゞは生産を開始していたが、主力は乗用車よりもトラックだった。
この年よりも6年前の1947年、トヨタはトヨペットSA型という小型乗用車を発表している。しかし、生産したのはわずか209台だけだった。当時は国産乗用車には生産制限があって、GHQから許可されたわずかな台数しか生産できなかったのである。
しかし、占領が終わり、1950年代の中ごろを過ぎると、「業務用やタクシー用のセダンが欲しい。それも新車が欲しい」という消費者が現れてきた。
そこで、国内の自動車会社は乗用車の開発、生産に乗り出すのだが、まだ自力で開発できる自信はなかったようで、業界の大勢は外国メーカーとの技術提携を選んだ。

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