“発売前から人気商品”とニュースになったIoT文具「大人のやる気ペン」とは何か。開発者のコクヨの中井信彦さんは「挫折や三日坊主の悩みを抱える人をユーザーモデルにし、彼らの孤独に徹底的に寄り添うものをつくった」という――。
■足かけ10年この道一筋
年明けの文具業界に衝撃が走った。2025年1月29日、「アタラシイものや体験の応援購入サービス〈Makuake(マクアケ)〉」サイトでその製品の先行販売が始まると、わずか48時間で目標の2000%となる1000台が完売。リターンを追加し、継続したところ、1カ月半で目標比6900%、応援購入者数は3600人以上となった。それが、コクヨのIoT(モノのインターネット)文具「大人のやる気ペン」だ。
「驚きましたね。とにかく嬉しかったのは、多くの方々がこの『大人のやる気ペン』に共感してくれたことです。コメントを見ると、『勉強中ずっと孤独でした』『資格試験の勉強を続けられずに悩んでいました』といった声がずらりと並んでいて。中には、商品紹介の動画に『涙が止まらなかった』という切実な感想までありました」
こう語るのはコクヨの開発者、中井信彦さんだ。足かけ10年ほどIoT文具の開発一筋に取り組んできたイノベーターである。発売前に応援購入サイトを利用したのは、「なぜ、この商品を作ったか」をユーザーに直接伝えたかったからだと言う。
「Makuakeのおかげでそれが叶いました。大人向けの文具として前例のないモノでしたから、いきなり発売しても利用者にはまったく届かないかと思いまして」
はたして思惑は成功する。
いったい、どんな文具なのか。中井さん、すばり教えてください。
「商品名そのものの文具です。『大人のやる気』に寄り添う『ペン』。とにかくシンプルな製品です」
■ユーザーモデルは「挫折した人」
たしかにシンプルなデバイスである。重さはたったの8グラム。充電してペンに取りつける。そして書く。使った分だけデータが蓄積され、それを専用アプリに記録できる。「三日坊主に寄り添う、超小型軽量ラーニングデバイス」というのがキャッチフレーズだ。
ただし、「なんだ、勉強時間を測定できるデバイスか」くらいに思ったとしたら、この商品の本質を見誤るだろう。
なにしろ小さなハイテクだ。デバイスをペンに取りつけスイッチを押す。すると加速度センサーが振動を溜めてくれ、ペンを手にして使った分だけ「やる気パワー」として内蔵される。使用後に、そのデータをBluetoothでスマートフォンに送信、専用アプリと連動させて勉強時間として記録が可能。お値段は税込み「9900円」と安くはないが、デバイスについた小さなLEDの色の変化も楽しめ、自分のやる気が“見える化”されるというわけだ。
「“勉強に挫折した人”をユーザーモデルにしました。どうしてもやる気が起きない朝や、目標を達成できずに味わう挫折感。そんな個人的な悩みを、いかにサポートできるか――。突き詰めていくと、勉強する大人の“孤独な姿”が見えてきたんです。想像以上の孤独感でした」
それに寄り添い、やる気のスイッチをつくりたい。そっと優しく面白く――。しかし、そこから商品化への道は長く遠かった。
■習慣づくりを“売る”商品
2019年。同じく中井さんが開発した子ども向けの「しゅくだいやる気ペン」が5万台以上のヒット商品になる。えんぴつに取りつけるデバイスで、勉強時間を計測できる。これも同様、連動するアプリで“頑張りが見える化”され、「よし! もっとやろう」とやる気が起きる仕組みだ。実際、約8割の親子が、学習習慣化の効果を実感したという社内調査も出た。
「日常の習慣づくりを“売る”こと。つまり、子ども向けのペンで『習慣化のメソッド』を商品化できることがわかったのです」
およそ3年をかけて製品化しただけに、満足感とともに肩の荷が下りた。「大人向けのペンも作ってほしい」という声がほどなく中井さんの耳にも届いたが、「大人は多様性がありむずかしい」と当初は気持ちが動かなかった。
「というのも、大人がそこまで困っているとは思えなかったんです。『しゅくだいやる気ペン』は“幸せになる子どもの姿”を想定して開発しました。大人の場合、ゴールの姿がどうしても想像できなくて。
■大人もこんなに勉強している
しかし、もしや、と思い始めた。
それは「しゅくだいやる気ペン」の販売台数が3万台を超えた頃。カスタマーレビューの「大人ペン希望」のコメントに100を超える「いいね!」がついたことだ。実際に、大人が使っているという感想もあった。SNSでも「しゅくだいやる気ペン」を使って勉強している大人たちの写真がアップされ始めた。
「なんだ! 大人も使うのか、と。想像以上にユーザーはいるのかもしれない、と視界が開けました。それで着手したのが、『しゅくだいやる気ペン』を購入した大人に向けたアンケート調査です」
IoTツールは、ユーザーとつながっている。これは比喩ではない。事実、ダイレクトにユーザーの声を聴くことができるのだ。
まず耳を傾けたのは、すでにツールを使っている大人たちの声だった。「なぜ、子ども向けの商品を使うのですか?」それに対する答えが、中井さんの常識を覆した。
「正直、驚愕しました。子どもだけじゃない、大人もこんなに勉強しているんだと思い知ったんです」
それは何かが弾ける瞬間だった、と言う。そして思った。「これは、商品化しなければいけない」。心の奥で火がついた。使命感のような衝動が、中井さんの背中を押した。
■ひたすら孤独な大人の勉強
さらにやる気を促してくれたのが、一部のユーザーたちのインタビューだった。大人たちが一様に、「しゅくだいやる気ペン」に感謝の言葉を重ねたのである。ある人は過去の挫折を語った。未来の決意も語った。そして「この資格を取らなければ、仕事ができなくなる」と、切迫した事情を明かす人もいた。
「働きながら勉強する――そんなこと、無理にしなくてもいい人たちが多いんです。それでも、やる。そこには、理由があるんです。切実な、真剣な理由が」
中井さんの顔が紅潮した。
「子どもなら、叱ってくれる親がいる。褒めてくれる先生がいる。でも、大人には誰もいない。全部、自分でなんとかしなきゃいけないんです」
子どもは与えられた宿題をやるだけだ。だが、大人は自ら選んで勉強する。それはときに、孤独との闘いになる。
「勉強の意味がまるで違うとわかりました。人生がかかっているんですよね。それなのに、誰も見守ってくれない。時間もない。仕事にも追われる。スマホにも気を取られる。焦り、自分を責める。孤独ですよね、ものすごく」
■8割の大人が勉強にペンを使っていた
大人の弱いリアルに徹底的に寄り添うこと。それがプロダクトの核心になった、と中井さんは振り返る。「大人向けのやる気ペンをつくることが、彼らへのアンサーソングになりました」。
大規模な調査もさらに実施した。約1万人を対象にしたウェブ上のアンケート調査だ。その結果は、またしても意外なものだった。
「最近1年で資格取得に取り組んだか」の問いに、26%が「はい」、13%が「やりたいができていない」と答えた。「諦めた経験があるか」には、実に7割が「はい」。そして「勉強するときペンを使っているか」には8割が「はい」と回答した。
「モチベーションの維持が一番の課題」――それが最も多かった回答だった。
「資格の勉強をしている、あるいはしようとしている大人が、約4割もいたんです。しかも挫折経験がある人が7割。ペンを使って勉強している人が8割もいたという事実。これはもう、ペンのデバイスに大きな可能性があるという確信につながりました」
はたして社内4人のコアメンバーの決意が固まり、「大人のやる気ペン」の本格的な開発がスタートする。だが、待ち受けていたのは、社長からの“ダメ出し”だった。
(後編へつづく)
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上阪 徹(うえさか・とおる)
ブックライター
1966年、兵庫県生まれ。89年、早稲田大学商学部卒。アパレルメーカーのワールド、リクルート・グループを経て、94年よりフリーランス。広告、記事、広報物、書籍などを手がける。インタビュー集として、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)、『外資系トップの仕事力』シリーズ(ダイヤモンド社)などがある。2011年より宣伝会議「編集・ライター養成講座」講師。2013年、「上阪徹のブックライター塾」開講。日本文藝家協会会員。
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(ブックライター 上阪 徹)
■足かけ10年この道一筋
年明けの文具業界に衝撃が走った。2025年1月29日、「アタラシイものや体験の応援購入サービス〈Makuake(マクアケ)〉」サイトでその製品の先行販売が始まると、わずか48時間で目標の2000%となる1000台が完売。リターンを追加し、継続したところ、1カ月半で目標比6900%、応援購入者数は3600人以上となった。それが、コクヨのIoT(モノのインターネット)文具「大人のやる気ペン」だ。
「驚きましたね。とにかく嬉しかったのは、多くの方々がこの『大人のやる気ペン』に共感してくれたことです。コメントを見ると、『勉強中ずっと孤独でした』『資格試験の勉強を続けられずに悩んでいました』といった声がずらりと並んでいて。中には、商品紹介の動画に『涙が止まらなかった』という切実な感想までありました」
こう語るのはコクヨの開発者、中井信彦さんだ。足かけ10年ほどIoT文具の開発一筋に取り組んできたイノベーターである。発売前に応援購入サイトを利用したのは、「なぜ、この商品を作ったか」をユーザーに直接伝えたかったからだと言う。
「Makuakeのおかげでそれが叶いました。大人向けの文具として前例のないモノでしたから、いきなり発売しても利用者にはまったく届かないかと思いまして」
はたして思惑は成功する。
3月中旬には〈資格勉強が続かないあなたに『大人のやる気ペン』 想像超える反響〉と新聞でも報道され、5月12日に待望の発売日を迎えた。
いったい、どんな文具なのか。中井さん、すばり教えてください。
「商品名そのものの文具です。『大人のやる気』に寄り添う『ペン』。とにかくシンプルな製品です」
■ユーザーモデルは「挫折した人」
たしかにシンプルなデバイスである。重さはたったの8グラム。充電してペンに取りつける。そして書く。使った分だけデータが蓄積され、それを専用アプリに記録できる。「三日坊主に寄り添う、超小型軽量ラーニングデバイス」というのがキャッチフレーズだ。
ただし、「なんだ、勉強時間を測定できるデバイスか」くらいに思ったとしたら、この商品の本質を見誤るだろう。
なにしろ小さなハイテクだ。デバイスをペンに取りつけスイッチを押す。すると加速度センサーが振動を溜めてくれ、ペンを手にして使った分だけ「やる気パワー」として内蔵される。使用後に、そのデータをBluetoothでスマートフォンに送信、専用アプリと連動させて勉強時間として記録が可能。お値段は税込み「9900円」と安くはないが、デバイスについた小さなLEDの色の変化も楽しめ、自分のやる気が“見える化”されるというわけだ。
「“勉強に挫折した人”をユーザーモデルにしました。どうしてもやる気が起きない朝や、目標を達成できずに味わう挫折感。そんな個人的な悩みを、いかにサポートできるか――。突き詰めていくと、勉強する大人の“孤独な姿”が見えてきたんです。想像以上の孤独感でした」
それに寄り添い、やる気のスイッチをつくりたい。そっと優しく面白く――。しかし、そこから商品化への道は長く遠かった。
山あり、谷あり、反発アリ、である。
■習慣づくりを“売る”商品
2019年。同じく中井さんが開発した子ども向けの「しゅくだいやる気ペン」が5万台以上のヒット商品になる。えんぴつに取りつけるデバイスで、勉強時間を計測できる。これも同様、連動するアプリで“頑張りが見える化”され、「よし! もっとやろう」とやる気が起きる仕組みだ。実際、約8割の親子が、学習習慣化の効果を実感したという社内調査も出た。
「日常の習慣づくりを“売る”こと。つまり、子ども向けのペンで『習慣化のメソッド』を商品化できることがわかったのです」
およそ3年をかけて製品化しただけに、満足感とともに肩の荷が下りた。「大人向けのペンも作ってほしい」という声がほどなく中井さんの耳にも届いたが、「大人は多様性がありむずかしい」と当初は気持ちが動かなかった。
「というのも、大人がそこまで困っているとは思えなかったんです。『しゅくだいやる気ペン』は“幸せになる子どもの姿”を想定して開発しました。大人の場合、ゴールの姿がどうしても想像できなくて。
僕自身、想像力が足りなかった」
■大人もこんなに勉強している
しかし、もしや、と思い始めた。
それは「しゅくだいやる気ペン」の販売台数が3万台を超えた頃。カスタマーレビューの「大人ペン希望」のコメントに100を超える「いいね!」がついたことだ。実際に、大人が使っているという感想もあった。SNSでも「しゅくだいやる気ペン」を使って勉強している大人たちの写真がアップされ始めた。
「なんだ! 大人も使うのか、と。想像以上にユーザーはいるのかもしれない、と視界が開けました。それで着手したのが、『しゅくだいやる気ペン』を購入した大人に向けたアンケート調査です」
IoTツールは、ユーザーとつながっている。これは比喩ではない。事実、ダイレクトにユーザーの声を聴くことができるのだ。
まず耳を傾けたのは、すでにツールを使っている大人たちの声だった。「なぜ、子ども向けの商品を使うのですか?」それに対する答えが、中井さんの常識を覆した。
なんと、7割の大人たちが、資格試験や自己学習のために使っていたのである。
「正直、驚愕しました。子どもだけじゃない、大人もこんなに勉強しているんだと思い知ったんです」
それは何かが弾ける瞬間だった、と言う。そして思った。「これは、商品化しなければいけない」。心の奥で火がついた。使命感のような衝動が、中井さんの背中を押した。
■ひたすら孤独な大人の勉強
さらにやる気を促してくれたのが、一部のユーザーたちのインタビューだった。大人たちが一様に、「しゅくだいやる気ペン」に感謝の言葉を重ねたのである。ある人は過去の挫折を語った。未来の決意も語った。そして「この資格を取らなければ、仕事ができなくなる」と、切迫した事情を明かす人もいた。
その後、「大人のやる気ペン」完成までの長い道のりで、中井さんは幾度もこのインタビュー動画を見返し、心の支えにしたと言う。
「働きながら勉強する――そんなこと、無理にしなくてもいい人たちが多いんです。それでも、やる。そこには、理由があるんです。切実な、真剣な理由が」
中井さんの顔が紅潮した。
「子どもなら、叱ってくれる親がいる。褒めてくれる先生がいる。でも、大人には誰もいない。全部、自分でなんとかしなきゃいけないんです」
子どもは与えられた宿題をやるだけだ。だが、大人は自ら選んで勉強する。それはときに、孤独との闘いになる。
「勉強の意味がまるで違うとわかりました。人生がかかっているんですよね。それなのに、誰も見守ってくれない。時間もない。仕事にも追われる。スマホにも気を取られる。焦り、自分を責める。孤独ですよね、ものすごく」
■8割の大人が勉強にペンを使っていた
大人の弱いリアルに徹底的に寄り添うこと。それがプロダクトの核心になった、と中井さんは振り返る。「大人向けのやる気ペンをつくることが、彼らへのアンサーソングになりました」。
大規模な調査もさらに実施した。約1万人を対象にしたウェブ上のアンケート調査だ。その結果は、またしても意外なものだった。
「最近1年で資格取得に取り組んだか」の問いに、26%が「はい」、13%が「やりたいができていない」と答えた。「諦めた経験があるか」には、実に7割が「はい」。そして「勉強するときペンを使っているか」には8割が「はい」と回答した。
「モチベーションの維持が一番の課題」――それが最も多かった回答だった。
「資格の勉強をしている、あるいはしようとしている大人が、約4割もいたんです。しかも挫折経験がある人が7割。ペンを使って勉強している人が8割もいたという事実。これはもう、ペンのデバイスに大きな可能性があるという確信につながりました」
はたして社内4人のコアメンバーの決意が固まり、「大人のやる気ペン」の本格的な開発がスタートする。だが、待ち受けていたのは、社長からの“ダメ出し”だった。
(後編へつづく)
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上阪 徹(うえさか・とおる)
ブックライター
1966年、兵庫県生まれ。89年、早稲田大学商学部卒。アパレルメーカーのワールド、リクルート・グループを経て、94年よりフリーランス。広告、記事、広報物、書籍などを手がける。インタビュー集として、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)、『外資系トップの仕事力』シリーズ(ダイヤモンド社)などがある。2011年より宣伝会議「編集・ライター養成講座」講師。2013年、「上阪徹のブックライター塾」開講。日本文藝家協会会員。
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(ブックライター 上阪 徹)
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