※本稿は、伊藤絵美『自分にやさしくする生き方』(ちくまプリマー新書)の一部を抜粋・再編集したものです。
■「自分にやさしくする生き方」に欠かせないもの
「自分にやさしくする」ためにまず必要なのは、「安全な環境のなかで安心していられること」であり、そのような安全な環境に自分の身を置くスキルです。
「中核的感情欲求(誰もが満たされて然るべき当たり前の欲求)」については、拙著『自分にやさしくする生き方』(ちくまプリマー新書)でくわしく解説していますが、数ある中核的感情欲求のなかでも、第一に挙げられるのがこの「安心安全」への欲求です。
安全な環境にいることで人は初めて「自分にやさしくする」ことができますし、自分の身を安全な環境に置くこと自体が「自分にやさしくする」ことでもあります。そういう安全な環境において、人は安心感を抱くことができます。
安心感とは「大丈夫」という感覚です。この世界は大丈夫、一緒にいる人は大丈夫、自分は大丈夫、この場所は大丈夫、人生は大丈夫……という感覚です。
これには理屈や条件は要りません。「○○だから、大丈夫」というように、「大丈夫」に理屈や条件がくっついてしまうと、「○○でなければ、大丈夫じゃない」ということになってしまいます。
そういう理屈や条件つきの「大丈夫」ではなく、理屈抜きの無条件の「大丈夫」という感覚を自分に与えたいのです。
■現実世界は「安心安全」からは程遠い
とはいえ、「実際にこの世界は安全じゃないし、全然安心できないじゃない!」と思う人もいることでしょう。
というか、そう思う人のほうが大多数です。
それはもちろんそうなんです。今私たちが生きているこの世界は、本当は全然大丈夫ではなくて、自然災害は多発しますし、事件や事故は日常茶飯事ですし、紛争や戦争はいたるところで起きていますし、理不尽なことは世の中にたくさんありますし、自分や大切な人がいつ深刻な病気にかかるかわかりませんし、生きていくためにはお金の心配がつきまといますし、人間関係だっていつも円満とは限りませんし……。
こうやって書き出せばきりがないほど、状況も自分自身も「安心安全」からは程遠い現実があることがわかります。
それなのになぜ「安心安全」なのでしょうか?
それは赤ちゃんや子どもが健やかに育つためには不可欠な感覚だからです。無条件の安心安全が赤ちゃんや子どもには絶対に必要です。ということは、私たちの「内なるチャイルド※」にも同様に安心安全が不可欠だということになります。
※筆者註:生きづらさの根っこに焦点を当てる心理療法「スキーマ療法」では、「モード(今の自分の状態)」という考え方があります。本書では、複数あるモードを2つ「ヘルシーな大人モード(=ヘルシーさん)」と、「内なるチャイルドモード(チャイルド)」)に絞って解説しています。
■たとえ戦場の中だって同じこと
架空の状況をイメージしてみます。
そこは戦場です。弾丸が飛び交っていて、今にも自分たちが爆撃されるかもしれません。
しかしそこに赤ちゃんや小さな子どもがいるとしましょう。
私たち大人は、子どもたちに対してどのように接するでしょうか。
「ここは恐ろしい場所で、いつ爆弾が落ちてくるかわからないんだよ。覚悟しなさい」と言うでしょうか? 言いませんよね。
大人はいつでも子どもの心身を守らなければなりません。
子どもの身体を守るには、子どもを安全な場に避難させるとか、大人が覆いかぶさって爆撃から子どもを守るということになりますが、子どもの心を守るにはどうすればよいでしょうか?
「大丈夫だよ。私が守るから。あなたは心配しなくて大丈夫だよ」と心から伝えてあげることでしょう。
■すべての生き物が健全に育つための基盤
たとえ外的には大丈夫じゃなくても、子どもにはその大丈夫が「本物」であるかのように、心をこめて「大丈夫だよ」と伝えることでしょう。そして実際に全力で子どもたちを守るのです。
そうやって心身が守られた子どもたちには、「大丈夫だと言ってもらえた。
その無条件の安心安全の体験がベースとなって、子どもたちの心身は健全に育っていくことができるのです。
こうやって子どもが大人に守られ、「大丈夫」と言ってもらって、安心安全を感じることができる心理学的な機能を、心理学では「アタッチメント(愛着)」と呼んでいます。
アタッチメントは人間だけでなく、全ての生き物が健全に育つための基盤であるとされています。自分に安心安全を与えるというのは、あらためてこの大切なアタッチメントを自分に与えることに他なりません。
安心安全が不可欠である理由をおわかりいただけたでしょうか?
さて、ここで一つ疑問が生じますね。
「現実的に大丈夫ではない場合、どうなるの?」という問いです。
■たとえば、明日「死ぬ」とわかっていたら…
もっともな疑問です。
だってここまで書いたように、現実の社会は事件や事故や病気や紛争やトラブルに満ち満ちているのだから、その中にあっては全然大丈夫ではないではないか、というのは当然の考えですよね。
それでも私が言いたいのは、それでもやはり「大丈夫」だと子どもや自らの「チャイルド」に言ってあげたほうがよい、ということです。
ここで以前に観たテレビ番組を紹介します。
その日の番組のタイトルは「花子と先生の18年~人生を変えた犬~後編」というものでした。
登場人物は、東京都杉並区で「ハナ動物病院」を運営する太田快作さんという獣医さんと、太田さんと長年連れ添っている「花子」という犬です。
番組では、花子がいよいよ高齢になり、病気にも罹患し、もう先が長くないという状況が映し出されていました。
太田さんは花子を抱っこして自分の病院に連れて行き、看病をします。
ある日、花子はとうとう危篤状態に陥りました。
太田さんや病院のスタッフが花子を見守ります。
そのとき太田さんは花子の身体をさすりながら、こう言いました。
「花子、大丈夫だよ、怖くないよ」(記憶に基づいて書いているので、言葉の順番やニュアンスが実際とは少々異なるかもしれません)。
その口調はとても穏やかでやさしいものでした。犬の花子はそうやって太田さんやスタッフに見守られ、息を引き取りました。
■「本当に大丈夫なのか」は誰にもわからない
その番組を観ていた私は、太田さんの「大丈夫だよ、怖くないよ」の声かけに、私自身の「内なるチャイルド」が反応して、安堵の涙が止まりませんでした。
こんなふうに声をかけてもらえたら、死でさえも安心して迎えられるんだ、心から安心して死んでいくことができるんだ、と思ったのです。
死ぬことが本当に大丈夫なのか、怖くないのかは、実は誰にもわかりません。生きている私たちは一度も死んだことがないのですから。
花子に声かけをした太田さんだって、死んだことがないのだから、本当に大丈夫なのか、怖くないのかは知らないはずです。それでも彼は死んでいく花子に対し、無条件の「大丈夫」を送ることができました。
「ああ、これだ」と私は思いました。
この無条件の「大丈夫」を、「ヘルシーさん」は「チャイルド」に送り続けることで、生き物が生きる上で不可欠なアタッチメントを与え、「チャイルド」は安心することができます。
本当に大丈夫かどうか真実はわからなくても、私たちは心からの「大丈夫」、すなわち安心安全を、相手に伝えることができます。そしてそれを受け取った存在(花子も「チャイルド」も)は、その安心安全を受け取ることができます。
それが「アタッチメント」として機能して、私たちは生きていくことも死んでいくことも安心してできるのです。
実践ワーク
毎日、少なくとも一回は、「ヘルシーさん」が「チャイルド」に対して、「大丈夫だよ」と心から言ってあげるようにしましょう。
その際、「ヘルシーさん」が「チャイルド」を軽く抱きしめて、背中を撫でたりトントンしたりすることをイメージしてみてください。
心から「大丈夫だよ」と言われた「チャイルド」はホッと安心するはずです。その安心を味わってみてください。
※このワークは、慣れないうちはわざとらしく不自然に感じられるかもしれません。それでもぜひ続けてください。続けるうちに上手に「大丈夫だよ」と言えるようになります。それに伴って「チャイルド」が安心できるようになるでしょう。
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伊藤 絵美(いとう・えみ)
公認心理師、臨床心理士、精神保健福祉士
洗足ストレスコーピング・サポートオフィス所長。慶應義塾大学文学部人間関係学科心理学専攻卒業。同大学大学院社会学研究科博士課程修了、博士(社会学)。専門は臨床心理学、ストレス心理学、認知行動療法、スキーマ療法。大学院在籍時より精神科クリニックにてカウンセラーとして勤務。その後、民間企業でのメンタルヘルスの仕事に従事し、2004年より認知行動療法に基づくカウンセリングを提供する専門機関を開設。主な著書に、『事例で学ぶ認知行動療法』(誠信書房)、『自分でできるスキーマ療法ワークブックBook1&Book2』(星和書店)、『ケアする人も楽になる 認知行動療法入門 BOOK1&BOOK2』『ケアする人も楽になる マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK1&BOOK2』(いずれも医学書院)、『イラスト版 子どものストレスマネジメント』(合同出版)、『セルフケアの道具箱』(晶文社)、『コーピングのやさしい教科書』(金剛出版)などがある。
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(公認心理師、臨床心理士、精神保健福祉士 伊藤 絵美)