※本稿は、松尾英明『不親切教師はかく語りき』(さくら社)の一部を再編集したものです。
■学校が「夏休みのしおり」を家庭に配る深い意味
Q(ある教員からの声):夏休みや冬休みのような長期休業中は生活の乱れが心配です。「しおり」を活用した生活指導とともに宿題をきっちり出して生活のリズムを保てるようにした方がよいのではないでしょうか。
A【現役小学校教員・松尾英明】結論から言うと、前年踏襲の分厚いしおりを止めよういう提案をします。これは、子どもと教師、双方の労力を軽減するだけでなく、紙の無駄を防ぎ、エコにも繋がる考え方です。
「夏休みのしおり」や「冬休みのしおり」には、禁止事項や約束事が事細かに記載されています。「○○しないようにしましょう」や「○○しましょう」といった文言が溢れており、さらにワークシートが挟み込まれています。
なぜこうなっているのでしょうか。それは、「説明責任」を果たすためです。「しおりに書いてあります」「指導しました」と言えるようにするため、つまり教師自身を守るための「親切ごかし」の面があることは否めません。とはいえ、この状況を責めるわけにもいきません。
学校では、一昔前に比べて通知文書の類が非常に事細かで、かつ分量も多くなっています。
教職員のための賠償責任保険や学校弁護士の配置などもその一例です。その背景には、現代における行き過ぎた個人主義の弊害があります。そのような自己防衛の一環としての安全面への配慮、指導がしおりにも反映されているわけです。
ここまでは仕方がないことと言えます。しかし、これが「休み期間中の家庭での過ごし方まで学校が管理すべき」という考えに発展してしまうのは問題です。「そこじゃない」と言わざるを得ません。
夏休みのドリル系宿題はその最たる例です。学力保障は確かに学校の義務ですが、それは学校(授業)でつけるべきものであり、家庭での過ごし方に踏み込むべきではありません。学校教育法や学習指導要領にも、宿題を課す義務は規定されていません。学力や学習習慣の面が心配だからと、毎日一ページずつやっても終わらない分量のドリルを全員一律に課すなどは、どう考えても個人差を無視しており、行き過ぎと言えます。
夏休みの学習計画や一言日記、目標の記載についても同様です。正直なところ、休み中にどのように過ごすかは各家庭の自由であるべきです。これを学校として課すことで、子どもも教師もやるべきことが増えてしまうのは明白です。
夏休みに自分を律して毎日日記を書ける子どもは少数派であり、休み明けに一気に提出された「40日×30人」分の日記をすべて丁寧に確認してコメントを返せる教師も少数派です。子どもも大人も含め、全員一律に同じモチベーションを求めるのは無理があります。
特に問題なのは、何らかの事情で「書けない」子どもへの配慮が欠けている点です。「書けない」とは、心理的・技能的な問題だけでなく、「書くべき体験がない」という場合も含まれます。絵日記に海外旅行の思い出を書く子どもがいる一方で、家庭の事情でどこにも行けず、家からほとんど出なかった子どももいるのです。
こういったことは、自分がその状況で困った経験がある人にしか実感として捉えられず、全く気付けないことが多いので要注意です。この点からも、この種の課題については「自由選択」が最適な解決策と考えられます。
「冬休みのしおり」について言えば、もはや存在自体が不要と言えます。たかだか二週間程度の休みに生活指導や宿題を課す必要はありません。
多少の注意事項があるのであれば、学年便りなどで伝えれば十分です。こういった無駄は省いていきましょう。「しおり」の活用を慣習だからと形式的に行っているだけなのであれば、いっそ止めてしまうべきです。
■「背の順」がいいなら「体重順」でもいいのか
Q(ある教員からの声):背の順による整列は子どもの成長に繋がる教育的な慣習であり、「背の高さは人によって違う」という多様性への配慮を学ぶ場として好意的に捉えるべきではないでしょうか?
A【現役小学校教員・松尾英明】一見すると、「背の順整列」は教育的な慣習として合理性があるように考えられがちですが、実際にその背景に存在する問題点を見逃してはなりません。
この慣習が、子どもの無意識下に序列意識や差別意識をつくり出しているとしたら、どうでしょうか。
大人の場合で考えてみます。もし今ここで大人が「背の順」や「体重順」に並べと言われたらどう思うでしょうか。多くの人は違和感、場合によっては嫌悪感すら抱くのではないでしょうか。
これに対して、ある人が「私は大丈夫」と答えたとします。この答えが示すのは、その人が「強者ポジション」にいるということです。
学校で行われている「背の順整列」は、いわば身体的特徴の公開序列化であり、特に「弱者ポジション」にいる子どもたちにとっては、傷つく原因となり得る慣習です。背丈の低い子どもや背丈の高い子どもがそれぞれ「目立って嫌だ」と前列に立つことへのストレスを感じているのは、前著での大きな反響で十分明らかになっています。
このような慣習を学校全体で「普通のこと」として当たり前化するのは、むしろ多様性を尊重する教育の方向性に逆行するものです。背の順が合理的だとの主張を問題視すべきなのは、慣習的に行われてきた背の順整列が、実は無意識下に子どもの中の劣等感や優越感といった差別意識を助長してきたからです。
また、これだけ続いてきた慣習に対し異議を唱えると、「寝た子を起こすな」という言葉が反論として使われることがあります。しかし、学校は子どもたちに尊厳や主体性を育む場であるべきです。変えるべきところを変え、子どもたちが安心して学べる環境をつくることこそ、学校教育を担う立場にある者に求められる役割です。
「背の高さを多様性として捉え、それぞれの特徴を受け入れる教育の場とするべきだ」とする意見もあります。しかし、強制的に身体的特徴を公開し比較することが果たして「多様性を尊重する教育」なのかを問わなければなりません。
「背の順整列」慣習を見直すことは、誰にも言えずにひとり苦しんでいる子どもを救うきっかけとなります。教育現場の慣習を再考し、子どもたち一人ひとりを尊重する環境を築くことが、より豊かな教育の未来をつくる第一歩なのです。
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松尾 英明(まつお・ひであき)
公立小学校教員
「自治的学級づくり」を中心テーマに千葉大附属小等を経て研究し、現職。単行本や雑誌の執筆の他、全国で教員や保護者に向けたセミナーや研修会講師、講話等を行っている。学級づくり修養会「HOPE」主宰。『プレジデントオンライン』『みんなの教育技術』『こどもまなびラボ』等でも執筆。メルマガ「二十代で身に付けたい!教育観と仕事術」は「2014まぐまぐ大賞」教育部門大賞受賞。2021年まで部門連続受賞。ブログ「教師の寺子屋」主催。
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(公立小学校教員 松尾 英明)