今夏のFIFA女子ワールドカップでベスト8に進出し、新時代の幕開けを感じさせたなでしこジャパン。その多彩な攻撃を最前線で鮮やかなゴールへと結実させ、ゴールデンブーツ(得点王)に輝いた宮澤ひなたは、今季の女子バロンドール候補とFIFA女子最優秀選手賞候補にもノミネートされている。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=マンチェスター・ユナイテッドWFC)
スピードの原点は幼少期。プレーの選択肢を広げたベレーザ時代
――宮澤選手の代名詞といえば、星槎国際高校や年代別代表の頃からずば抜けていた「スピード」だと思います。その原点はどこにあるのでしょうか?
宮澤:足が速くなったきっかけは明確には覚えていないのですが、小さい頃から外で遊ぶのが大好きで、体を動かすのが好きでした。家にいるより外でサッカーをしている時間の方が長かったし、外で走り回っていたのが、足を強くしたのかなと思います。あとは負けず嫌いだったのも大きいと思います。
――そのスピードを武器に、高校卒業後に日テレ・東京ヴェルディベレーザに加入して、なでしこリーグで鮮烈なデビューを飾りました。当時はクラブでも代表でも生かされる側になることが多かったと思いますが、パスの出し手との呼吸はどのように磨いていたんですか?
宮澤:もともと2列目でパスを出すポジションもやっていましたし、アシストするのも好きだったので、動き出しのタイミングなどはそれまで感覚的にやっていた時間が長かったんです。ただ、 単純に走っても、呼吸が合わないとパスは出てこないし、出し手のタイミングや角度、いろんな要素が合わないとゴールにはならないので。
早く動き出すとオフサイドにかかりやすいので、相手から少し距離をとって遠めの位置から走り出したり、要求すると言うよりは、選手が顔を上げたタイミングで分かりやすいように指を差して走ったり。考えながらプレーする中で、自分が優位に立てる方法を探せるようになったと思います。
――宮澤選手のスピードを止めるために、相手も複数のマークをつけるなど、かなり研究・対策されていた印象があります。その壁はどのように突破したんですか?
宮澤:高校の時は感覚的に体が動きやすくて、実際に蹴って走ったら勝てていた部分があったので、個で突破するためのドリブルを磨いて、ベレーザでもそれが通用することはありましたけど、やっぱり経験値の高い選手や相手もたくさんいたので、そう簡単には抜けなくなって。その中で当時の監督だった永田雅人さんにいろいろなスキルを教わってサッカーの違う見方ができるようになったし、スピードだけじゃ勝てないと思うようになって。ボールの置き場所や体の向き一つで、「こんなに相手が動くんだ」とか、「自分が優位に立てるんだ」という感覚を知りました。
――永田コーチの下ではマンチェスター・シティの長谷川唯選手をはじめ、代表にも「サッカーを論理的に考え、言語化する力を身につけられるようになった」という選手が多くいますが、宮澤選手も理論的に考えるようになったのでしょうか。
宮澤:そうですね。ただドリブルしていたら一つの選択肢しか見えなかったのが、ちょっと角度を変えるだけでもう一つの選択肢が見えるようになって。ちょっとしたことで選択肢がこんなに増えるんだなっていうのは、永田さんの下で学んだ部分が大きかったです。いろいろなことを悩んで考えた分、言語化できるようになったと思いますし、より良い選択肢を求められるようになったと思います。
21年に仙台へ。代表でのプレーにもつながった「今だ!」という感覚
――2021年、WEリーグ開幕と同時にマイナビ仙台レディースに移籍しました。環境を変えた理由を改めて聞かせてください。
宮澤:ベレーザはみんながうまいので、自分が走る役に回る時もあれば、パスの出し手や囮(おとり)になることもありました。ただ、パスの選択肢が多くなった一方で、見ている人からは「スピードが売りだよね」と言われることもあって。それを同時に表現するっていうのは正直難しかったです。それで、「代表に食い込んでいくためにはもっと自分の良さを出さないといけない」と考えて、仙台への移籍を決断しました。
――ベレーザではサイドや前線でプレーすることが多かったですが、仙台ではトップ下やボランチの位置まで降りてゲームメイクに絡む場面も多くなりました。松田岳夫監督(現ベレーザ監督)からは「常に相手の嫌な位置に立つためにフラフラしていろ」と言われていたそうですね。
宮澤:はい。ベレーザで選択肢の持ち方や表現を広げて、狭い空間でも落ち着いてプレーできるようになった中で、仙台では1.5列目の位置から一瞬で相手の裏を取りやすくなりました。狭い空間でパスを受けてターンするだけじゃなくて、味方が前を向いたタイミングだったり、一瞬のタイミングで裏に抜けて、自分の特徴を出せるように考えて。
――それが、ワールドカップでの1.5列目の流動的な動きと裏へのスピードにつながったんですね。仙台では2シーズンで4ゴールと、結果という面では苦しい部分もあったと思いますが、どう感じていたんですか?
宮澤:松田監督からは「もっと貪欲に自分で(シュートまで)いけ」と言われていましたし、自分でも「勝つために得点が欲しい」とか「前で仕事がしたい」と葛藤することはありましたが、もともとそんなにゴリゴリ自分でいくタイプじゃないんですよ(苦笑)。だから、打てる場面でパスを選択してしまうシーンもあって「もっと(ゴールへの)欲を出さないといけないよな」と思っていましたが、正直、自分の中ではそれはあまりストレスになっていなくて。
むしろ、ボールを失って失点することの方がストレスでした。こう言うと極端に聞こえるかもしれませんが、点が入らなくてもしっかりつないでチャレンジする中でチームが成長することに喜びを感じていたので、もっと自分たちがボールを持てる時間を増やすべきだと思っていました。自信を持って回せるようにならないと、点は取れないと思っていたので。
「そのために自分がチームに貢献できることはこれだ」という確信があったので、ゴール数が増えないことはそこまで苦ではなかったですし、後ろからピッチを見渡して分かることもあったので、本当にいい経験ができたなと思っています。
ポジティブさの原点。「悔しい」も「成長」も、「すべては自分次第」
――2019年のワールドカップと2021年の東京五輪では惜しくもメンバーに入れず、悔しい思いをしたと思います。
宮澤:結局、「自分は自分だな」と思うし、自分が成長して、何ができるようになるかも自分次第だと常に思っています。自分のスピードで、見てくれる人を楽しませたい。そのプレーをできるのも自分しかいないし、責任や、楽しむことも含めて、本当に自分次第だなって。そこは、周りの声や環境に流されたくないと思っています。
――海外挑戦をしても、その軸はぶれていないんですね。
宮澤:はい。マンチェスター・ユナイテッドではこれまでと違う環境で、日本とは違うサッカーのスタイルや海外の選手のリズムに適応する必要はありますけど、自分を表現する方法は自分が一番理解していますし、発信したいこともあります。そのプレーを表現できなかったら、環境じゃなくて自分の責任。楽しむのも悔しいのも、自分と向き合って成長するのも自分次第です。だから、どこにいても、目標を高く持って楽しみながら、素直に自分らしくやっていけたらなと思います。
――10月末からはパリ五輪のアジア2次予選が始まります。
宮澤:ワールドカップを戦って、本当にたくさんの方々に応援してもらい、支えてもらっているんだなとすごく感じました。だからこそ、もっと結果で恩返しがしたいと強く思ったので。今回のユナイテッドへの移籍に関しても、本当にいろんな方が背中を押してくれたからこそ実現したと思っています。自分にできる恩返しは、代表でもチームでも、ピッチで活躍する姿や勝ってみんなで喜び合う姿を見せることだと思うので。そういう結果を出し続けられる選手になれるように、まずはもがいて、頑張っていきたいと思います。
【連載前編】ワールドカップ得点王・宮澤ひなたが語る、マンチェスター・ユナイテッドを選んだ理由。怒涛の2カ月を振り返る
<了>
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[PROFILE]
宮澤ひなた(みやざわ・ひなた)
1999年11月28日生まれ。神奈川県出身。女子サッカーのイングランド1部(女子スーパーリーグ)・マンチェスター・ユナイテッドWFC所属。