2020年ドラフト会議、横浜DeNAベイスターズから1位指名を受け、入江大生はプロの扉を開いた。大きな期待を背負って臨んだ2021年は、0勝4敗。

夏に右肘の手術を受け、シーズンは終わった。立ちはだかる“プロの壁”に、はたから見れば失敗とも映るルーキーイヤーだが、当の本人はどのように捉えているのだろうか――。その本音を明かしてくれた。

(取材・文=石塚隆、写真=(C)YDB)

ドラ1で入団も結果の出なかった1年目。入江大生は何を思うのか

現実は、かくも厳しく辛辣(しんらつ)なものだった。しかし入江大生は、瞳の輝きを失うことなく言うのだ。

「挫折や失敗だとは思ってはいないんです」

力強い口調。入江から今シーズンに懸ける想いが伝わってきた――。

2021シーズン。ドラフト1位で入団し、多くの人たちの期待を背負ってのデビューイヤー。入江はキャンプからオープン戦とアピールに成功し、開幕ローテーションを勝ち取った。187cmの長身から投げ下ろす150キロを超えるストレートと膝元で落ちるスプリット、さらに変化球を低めに集めることができれば結果はついてくると思われた。

だが入江に“プロの壁”が立ちはだかる。

デビュー戦となった3月31日のヤクルト戦(横浜スタジアム)では5回を投げ5失点で洗礼を浴びると、続く4月7日の中日戦(バンテリンドーム)では5回を自責点1(3失点)でしのぎならも負け投手に。ピッチング内容が良かっただけにここから巻き返しかと思われたが、その後2試合連続で5回を投げ切ることができず、ともに5失点を喫してしまう。

入江は、思い通りにいかなかった春先のことを振り返る。

プロで感じた“壁”とは?「結果を出したい気持ちばかり先行してしまった…」

「いろんな人の支えがあって、運良く開幕ローテーションに入れましたが、結果的にいい投球ができませんでした。プロになってそこが最初に感じた壁というか……」

打者一巡目は勢いとパワーで押し切れたが、球威が落ちた二巡目に打線につかまってしまう。コントロールもアバウトになってしまい、右打者の外角、左打者の内角を正確に突くことができない。

「プロの打者は二巡目でしっかり修正してきますし、甘くいったら打たれてしまう。試行錯誤して投げていかないと一筋縄ではいかないと理解できました。投球で一番考えていたことですか? “野球観”というのか、このバッターはこの球種を待っているから、逆のボールを投げようとか。もしくは雰囲気を見て分析しようとはしていました」

プロの修正力と想像以上の打球の速さ。アマ時代とは異なる世界がそこにはあった。もちろんドラ1というプレッシャーもじわりと背中にのしかかっていた。

「自分自身、ちょっと気持ちが入り過ぎてしまった部分はあったと思います。頑張らなきゃ、結果を出したいという気持ちばかりが先行してしまって、正直技術がついてきませんでした……」

思考を巡らせたものの、結果的に自分自身を俯瞰(ふかん)することができなかった。バッテリーを組んだキャッチャーの戸柱恭孝からも幾度となくアドバイスをもらった。

「ボールを中心に集めるな、と戸柱さんからは試合中、何度も声を掛けていただきました。僕はそれぐらい周りが見えなくなってしまうので、そういった面も含め戸柱さんの言葉には何度も助けられました」

「何が正解なのかも分からない」。試行錯誤しながらケガと向き合った日々

結果的に入江は4月21日の中日戦(横浜スタジアム)での登板後、登録抹消されてしまう。

チームは勝てない苦しい時期であり、入江もまた右肘に異常を感じていた。張りが抜けない。プロとなりケガをしないことを目標の一つに掲げていたが、早くもそれは頓挫してしまう。入江は自戒を込めて言う。

「これまで大きなケガをしたことがなかったんです。だから自分はケガをしないんだと慢心していたのかもしれません。

張りが抜けないときも『違うだろう』『気のせいだろう』と思っていたぐらいですからね」

勉強など他にやることが多い学生時代とは異なりフルタイムで野球に打ち込める環境。野球について学び考える時間は増えたが、知らず知らずのうちに疲労が蓄積し、体は悲鳴を上げていた。

その後、リハビリをしながら肘の調子を見る日々。またウェートレーニングや体の開きや骨盤の使い方などフォームの細かい修正を重ねた。

「コンディション不良になって、僕としては練習をしながら治したいという気持ちが強かったんです。けれどなかなかうまくいかないことが多く、何が正解なのかも分からない。試行錯誤しながらケガに向き合う日々でした」

リハビリを重ね7月になると短いイニングだがファームで登板するようになった。後半戦には間に合うのではないかと思われていたが、再び肘に違和感が出てしまう。負のスパイラルから抜け出せない。

ここである選択をすることになる。入江は8月中旬に右肘のクリーニング手術を受けることを決意した。この苦渋の決断は、言うまでもなく今季絶望を意味していた。

ドラ1のプライドよりも重要なこと。プロの世界で戦う人たちの姿

開幕戦で負けたとき、三浦大輔監督から次のような言葉を掛けられた。

「プロはやり返せる世界だ」

ここで全てが終わるわけではない。

入江は手術を決断したときの気持ちを語る。

「実戦復帰をしても、なかなか手応えを感じられませんでした。このままずるずると自分のベストなパフォーマンスを出せないまま続けるのならば、来季からきちんとチームの戦力になるべきだって」

ここで入江は一瞬言いよどみ、そして口を開いた。

「とはいえ、ドラフト1位で取ってもらった1年目、チームの状態も良くなかったですし、そう考えると手術をするというのは……」

ドラ1の矜持(きょうじ)。自分の責任を果たすことのできない悔しさがあった。それでもチームの指導陣やトレーナー、同僚や先輩たちは、いつもと変わらない様子で接してくれた。

「手術の可能性を感じている中、何度もトレーナーさんと話を重ねました。球団の意見を聞きながら、手術をすることを最終的には自分で決めました」

DeNAに入団し、キャンプや実戦、そしてリハビリを経ることで、入江は多くの人たちがチームの勝利のために尽力しているのを知った。これがプロの世界であり、自分一人の問題ではないことを理解した。だからこそチームにとって、自分にとって最善なことは何なのかと自問自答し、その結果、手術することを決断したのだ。

ドラ1のプライドなど、大きな目標に向かっている集団にとっては些細(ささい)なものであり、いかにベストなパフォーマンスで結果を出しチームに還元するのかが入江にとってはとても重要なことに感じられた。

だから、挫折や失敗ではない。

手術を決断したとき、三浦監督からは「しっかり治すことを優先してほしい」と声を掛けられた。大事な戦力。やり返すチャンスは必ずあるはずと入江は切り替え、手術後、再びリハビリの日々を過ごしながら完全復活を誓った。

(後編へつづく)

<了>

PROFILE
入江大生(いりえ・たいせい)
1998年8月26日生まれ、栃木県出身。作新学院高では3年時に夏の甲子園優勝。一塁手として史上7人目の3試合連続本塁打を放ち、同校を54年ぶりの全国制覇に導く。明治大では投手に専念。1年春からリリーフとしてベンチ入り、4年秋にリーグ戦初完投初完封。2020年ドラフト1位で横浜DeNAベイスターズに入団。1年目から開幕ローテーション入りするも、8月に右肘クリーニング手術を受ける。チームの将来を担う存在として期待される。