歌舞伎『娘道成寺』で有名な、和歌山県日高郡川辺町の道成寺に行ってきました。同じく和歌山県は田辺市中辺路から、恋に狂った清姫が逃げる安珍を追い、終には道成寺の鐘の中に隠れた安珍を、大蛇と化した清姫が焼き殺すという伝説の舞台にもなっているお寺です。



 その境内には、伝説の鐘のあった鐘楼跡や、安珍と清姫を葬ったと云われている碑もあり、悲しい物語を今も語り続けています。能や歌舞伎の役者たちは、『道成寺』を演ずる時には必ずここにお参りに来る風習にになっており、私がここを訪れた時も、一人の能楽師が10月3日に観世能楽堂で上演される『道成寺』のためにお参りに来ていました。東京から日帰りで他に観光もせず、ただ一人でお参りに来たのだそうです。それほど神聖で厳かなものなのだそうです。

 境内には二箇所、鐘楼跡があります。一つはもちろん「清姫事件」によって焼失したもので、もう一つは、その後再建されたにもかかわらず、戦国時代に戦利品として京都へと持っていかれてしまったのだそうです。
そして近年の発掘調査によって、今まで伝えられていた鐘楼跡が逆であったということが解ったそうです。

 なぜ逆に考えられていたかというと、その理由は伝えられていた絵巻にあったそうです。絵巻から推測して「ここであろう」とされていた場所が、実は違っていたということなのです。なぜそのような描かれ方をしたのかは判らないそうです。

 そして、「清姫事件」によって焼失した鐘楼跡には、焼け焦げた土の層が出てきて、ここで大きな火事が実際にあったことが解ったそうです。御住職は、
「本当に人が蛇に変化し、火を纏うということは現実的に考え難いが、時として人の心というのは、地獄の業火を纏い、なおかつ恐ろしい蛇のような心になってしまうものなのです。
心穏やかに気をつけなければいけませんと物語は伝えているのでしょう」
 とお話してくださいました。

 この『道成寺』の物語は、歌舞伎では『娘道成寺』とわざわざ「娘」と付けられているのにお気づきでしょうか? 清姫の悲恋として伝えられ、逃げる安珍の方が若く世間知らずの清姫を騙した悪い男のように伝えられているこの物語も、別の出展を見ると、「清らかな心」を持つ娘と伝えられている清姫も、娘ではなく、もう少し年齢のいった女性で、「若く美しい安珍の寝間に忍び込み云々」とあり、女の性が生々しく描かれより恐ろしく感じ、安珍に同情すら覚える物語でした。どちらの物語が真実であるか? それは計り知れないことでありますが、御住職の言う通り「蛇のような恐ろしい心」があるというのは真実であると思いました。

 今はその季節ではないですが、様々な種類の桜の木が植えられている道成寺は、春には絶え間なく桜の花が咲き見事だそうです。

(sel 山口敏太郎事務所)

参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou