終戦から5年が経過した1950年。茨城県某所の住宅街で世にも恐ろしい心中事件が発生した。


 10月15日夕方5時ごろ、この住宅街に住んでいる警察官家族の長男(10歳)および次男(8歳)が泣きながら助けを求めてきた。
 「助けて!殺される!」
 驚いた近隣住民が駆け付けると、その家では子供2人が腹を抱えて苦しんでおり、さらに近くにいた母親(33歳)も首や手首、腹からおびただしい量の出血をしていた。

 いったい何が起こったのか理解できなかった住民は、泣きじゃくる長男に事情を聞いた。
 この日、母親はおやつとして饅頭を持ってきた。甘いお菓子ということもあり、長男・次男含む4人の子供たちは饅頭に飛びついた。しかし、この饅頭は苦い味がし、食べた次男、三男(6歳)、四男(3歳)はすぐに「ゲーゲー」と吐き出してしまった。


 それに対し怒ったのが母親。「饅頭を食え!」「食べ方が遅い!」と包丁片手に大暴れ、無理矢理食べさせたのだ。
 この苦い饅頭には、ネコイラズ(殺鼠剤)が練りこまれており、食べた子供たちはたちまち腹痛に苦しめられ、続いて母親は持っていた包丁で自分の体を切り刻み始めたのだ。

 母親の殺意に恐れをなした長男(母親の持ってくる饅頭を怪しみ食べなかった)は次男を連れ、近隣住民に助けを求めることにし、そして母親は血まみれになりながら大暴れするも取り押さえられたのだ。

 この家族は、現職警察官の父を大黒柱にする家族だったが、末っ子である長女(生後3か月)が生まれた頃あたりから、母親が精神的に弱ってしまい、一家心中を目論んだというのだ。

 なお、3か月の長女は軽い怪我で済み、3男と4男も後遺症は残るが無事。
腹を切った母親も一命を取りとめたものの、皮肉にも長男が外に連れ出した次男は饅頭を飲み込んでしまったことから、数時間後に死亡してしまったという。

 茨城の片隅で発生した悲しい心中事件であった。

文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)