テレビタレントとして大成するお笑い芸人は、ほんの一部。大半は芸事一本で食えず、ほかの仕事やアルバイトを掛け持ちする。
芸人の道を諦める者も少なくない。転職先はさまざま。芸人を支える側に転じる者もいる。

 マネージャーとなったのは、元「ロックンロールコメディーショー」のフレディ・橋本・マーキュリーこと橋本裕介さん。元相方は、池田57CRAZY。親子漫才師「完熟フレッシュ」の頼りない父だ。


 ロックンロールコメディーショーは、池田の芸人引退によって解散した。池田は引退後、ジムトレーナーとなったが、離婚。ひとり娘のレイラを引き取り、父子家庭となった。芸人熱が再燃した16年に、当時小学生だったレイラと「M-1グランプリ」にエントリー。18年に出演した「ぐるナイ おもしろ荘」(日本テレビ系)で脚光を浴び、見かけと反して弱々しい父をグイグイ引っ張ってツッコみまくる天才小学生という構図がウケて、人気芸人の仲間入りを果たした。

 「ロックンロールコメディーショーはサンミュージックプロダクション所属でした。
残った橋本さんは、のちにカンニング竹山さんの運転手となる中田喜之さんと『逆転満塁ホームラン』というコンビを結成するも、再び解散。ピン芸人に転向しましたがうまくいかず、そのまま社員マネージャーとなって竹山さんを担当。現在はぺこぱを担当しています」(週刊誌のフリーライター)

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 アマチュア芸人からプロ芸人のマネージャー兼事務所副社長となった変わり種もいる。大人気男女コンビ「ラランド」の個人事務所・レモンジャムの副社長を務める橋本拓哉さんだ。

 「マネたく」の愛称で親しまれる橋本さんは、早稲田大学のお笑い工房「LUDO」出身。当時から上智大学のお笑いサークル「SCS」の看板芸人としてコンテストを総なめにしていたラランド・サーヤの才能にほれ、勝てなかったことでプロへの道を断念。
卒業後はホリプロに就職して、大物俳優の船越英一郎のマネージメントを担当した。しかし、ラランドが本格的に芸能活動を始めるタイミングで退社。早稲田時代に憧れたラランドと共に生きていく英断を下した。レモンジャムでは、サーヤが社長。相方のニシダは正社員という扱いだ。

 構成作家に転じて花を咲かせた元芸人もいる。
宮下聡と「ダイキリ」というコンビを組んでいた南部幸一さんだ。2人はのちに「トロフィーズ」に改名したが、解散。その16年、宮下は「ひょっこりはん」としてピン芸人になり、18年に大ブレイクした。元相方の南部さんは、「キングオブコント2016」のファイナリスト・ななまがりの座付き作家として再スタート。NHK総合の「芸人先生」の構成作家も務めた。創価大学在学中に所属していた落語研究会の先輩には、ナイツがいる。


 表舞台から裏方へ。支える側に回って食えるようになるのは皮肉なものだ。

(伊藤由華)