2010年に突如ブレイク! アカシックリーダー・中津川昴氏独占ロング・インタビュー(1)

2010年に突如ブレイク! アカシックリーダー・中津川昴氏独占ロング・インタビュー(1)

 今年9月に放送された『笑撃!ワンフレーズ』(TBS系)にて、番組のロケ終了時間を「11時37分」とズバリ予言し、ズバリ的中させたことで全国のお茶の間に衝撃を与え、一躍メディアの寵児となった中津川昴氏。彼は「宇宙の森羅万象のデータベース」といわれる「アカシックレコード」に自由にアクセスし、情報を引き出すことができる「アカシックリーダー」として知られている。そして同時に、一部ではUFO研究の専門家として知られる。
 アカシックリーダー&UFO研究家という、中津川氏のスペシャルなパーソナリティはいかにして築かれたのか? その数奇な半生に迫るべく、オカルト作家・山口敏太郎氏とリアルライブ編集部が、中津川氏に直撃取材を行った。

【大自然と科学、そしてUFOを愛好する少年時代】

 編集 生まれは岩手県ですよね。

 中津川 生まれたところは岩手県の二戸市です。青森と岩手の県境です。あの辺には、けっこういろんな古墳とかがごろごろしているんですよ。僕の実家、祖父のところにも古墳がそのまま残ってて、古墳のまわりは全部耕して田んぼにしちゃってるんですけど、田んぼを耕すと土器がいっぱい出てくるんです。僕は石拾いが子供の時には大好きだったので、土器を拾うのも大好きでした。

 それと、うちの母の姉と結婚した相手が宮沢賢治の親戚なんですよ。僕の実家のあたりは、宮沢賢治の描いた風景画みたいな景色がごろごろしているところです。北上山地って昔は呼んでましたけど、石灰岩が多いんですよ。山全体がサンゴ礁でできていますので、どこを掘ってもかならず洞窟が見つかる、2億3千万年前の化石が見つかるっていう。フズリナっていう、ユリ科のウミユリっていう、非常に珍しい化石が見つかるんですけど。

 山口 宮沢賢治の風土が中津川昴を作ったということですね。遠野とかには行ったりするんですか?

 中津川 僕の母の姉が花巻に当時教師として行ってたので、しょっちゅう遊びに行ってたんですよ。遠野に行くともう周り全部山ですから。そういう所に小学校があって。夏休みに、朝早くカブトムシ取ったり、小川でザリガニ取ったり、そんな感じで岩手県内を転々としていました。

 中学校に上がっても、釣りを覚えたり昆虫採集やったり北上山地の洞窟めぐりをやったり…。中学では、科学研究部というクラブに入ったんですよ。最初は父親の勧めで陸上部に入ってたんですけど、そのうちだんだん村八分っぽくなってきちゃって(苦笑)。僕は陸上にはあまり興味がなくて、野山を駆け廻っていろんなものを採集したりとかが大好きだったんです。だから2年生くらいにもう科学部に入ったんです。

 そこから科学系に走っていって。高校は工業高校に行きました。当時の地元には工業高校しか行ける学校がなかったんですよ。

 山口 不思議な体験をしたことは、当時からありましたか?

 中津川 子供の頃、家の2階に暗い部屋があったんですが、そこに何かいるっているのは分かっていたんですよ。周りの人は誰も信じてなかったんで、単に子供のいたずらだと思われていたんですが。僕の創作の可能性はありますが、2階に女の子が一人いて、僕はその女の子としゃべることができた程度ですね。

 山口 女の子としゃべった? 座敷童子ですかね。

 中津川 座敷童子の可能性はありますけど、悪さをされたことはないんです。大体8〜9歳くらいの時です。

 編集 そして、逆行催眠で記憶を辿ってみたら子供の時に宇宙人に連れて行かれていたという話を『本当にいる「宇宙人」完全ファイル』(笠倉出版社)で話されてましたよね。あれは何歳くらいの時だったのですか?

 中津川 それは9…10歳くらいの時ですね。でもその時には記憶がないわけですよ、UFOに乗ったとかいう記憶は。

 編集 ですよね。逆行催眠で初めて気が付いたんですもんね。大人になるまでに実際にUFOに連れて行かれた体験をされているわけですけれど、実際にUFOを見たりとかはありましたか? 少年時代に。

 中津川 UFOの本が好きだったっていうのはありますね。山梨の甲府事件と高知の介良(けら)事件で。その当時発行された子供向けの本があって、それを食い入るように読んでいたというのはあります。

 編集 やっぱりUFOが好きというのは子供の頃からあったんですね。

 中津川 その頃から天文少年だったんですよ。星がきれいなんで、中学生の頃から高校まで。高校に新しく親に天体望遠鏡を買ってもらって、それをずっと見てましたね。

 大学の時もちょこちょこ星は望遠鏡で見るようになってました。望遠鏡を買ってもらえるまでは、持っていた友達の家に泊まりに行って、ずっと一緒に眺めたり、あとは天体望遠鏡の付属部品を自作したりとかして。そこからカメラも好きになりましたね。フィルター作ってみたり。

 編集 手先が器用なのはいつからですか?

 中津川 中学校に入ってからでしょうね。工作とかいろいろ作り始めて。自分の好きな方向性が見えてきたのは多分その頃です。

 ただし、小学校で手が器用というのは、全員器用じゃないと生きていけないからです。だって、たとえば農作業で草鞋を作ってとか、縄を作ってとか、実際に作れないとまずいわけですから。小学校では必ずそれを地元のおじいちゃんとかに教わるんですよ。藁の縫い方、足の親指と人差し指を使って、そこに藁を加えて二本やったらこうやってよじる、というのを覚えているので、今でも藁でひもとかロープとか作れますよ。当時はそれをさらに難しくした草鞋の作り方とか袈裟の作り方とかみんなやってました。
(つづく)

※写真は芸能界きっての中津川ファンとして知られる千原ジュニアさんと、中津川氏のツーショット。

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