96年4月13日、神奈川・小田原マロニエホールで若手レスラーだけの集団、格闘探偵団バトラーツが産声を上げた。

 社長に就任したのは、石川雄規。

前年に彼らは所属していた藤原組を、団体の都合により退団。若手選手だけが集まって設立されたのが、バトラーツだった。両輪となったのが、石川と藤原組で頭角を現していた池田大輔。

 旗揚げ当時、石川29歳、池田28歳。まさに青春真っ盛りだった。

 所属全選手がキャリア不足でプロレスの技術に乏しかった彼らが生み出したのは、後に“バチバチ”と呼ばれるスタイルだった。
遠慮なく殴って蹴って、投げて絞めて…。彼らにはそうするしかなかったのだ。業界内では無謀といわれた旗揚げも、このバチバチファイトがファンのハートを射止めて、98年にはインディー団体としては異例の両国国技館大会を成功させるなどの躍進を遂げた。

 バトラーツの中心にあったのは常に石川と池田。両者の闘いもようは、まさに究極のバチバチファイト。試合が終われば、ノーサイドですがすがしさが残る兄弟ゲンカのような闘い。
これは、ファンの心を熱くした。

 時は流れ、池田は王道マットに新たな戦場を求め、00年5月にバトラーツを退団。故三沢光晴さん(プロレスリング・ノア初代社長)に請われて、同年6月にノアの設立に参画。両者の道は分かれた。

 2度と交わることはないかと思われていた両者だが、バトラーツ04年8・8越谷大会に、池田がノア所属として参戦し、石川とタッグ対決。4年ぶりの兄弟ゲンカに刺激を受けたか、池田は同年12月をもって、ノアを退団。
翌05年3月に自身の理想を追い求め、フーテンプロモーションを設立。4・24横浜での旗揚げ戦では、久しぶりに石川と一騎打ちを行なった。その後も両団体の交流は継続し、両者も幾度となく対戦したが、交流はいったん凍結。2人はバトラーツ08年7・26北千住大会での6人タッグ戦を最後に、一線を引いてきた。

 あれから、2年5カ月の月日を経て、フーテン12・19ラゾーナ川崎大会で、両者は再び相まみえた。対戦カードは池田&臼田勝美VS石川&小野武志という、バトラーツ旗揚げ4戦士による涙モノのタッグマッチ。


 のっけから、激しいど突き合いを繰り広げた石川と池田は、終始バチバチファイトを展開。あの頃のバトラーツの熱を思い起こさせた(試合は25分56秒、臼田がヒザ十字固めで小野からギブアップ勝ち)。

 池田は「久しぶりに記憶が飛ぶような試合をした。若いヤツにはできないバチバチがある」と満足気。対する石川も、「『(池田との試合が)色あせた』と言われるのがシャクだから、進化した闘いを見せたかった」と笑顔。

 激闘を終えたばかりの両者には、疲労感より満足感があった。
闘い始めた当時、20代だった2人はともに40代に突入した。しかし、対じすれば熱くなる。年を忘れて殴り合う。両者はそんな関係。「40代でもアイツとやる時は、青春プレイバック」。2人のそんな声が聞こえそうだ。
次に両者がいつ交わるかは分からない。だが、対戦したときはまた熱いバチバチファイトを繰り広げてくれるに違いない。
(写真・文=最強プロレスサイトBATTLENET/ミカエル・コバタ)

<興行予定>
●バトラーツ 12月26日(日)東京・北千住シアター1010・ミニシアター(17時)
http://battlarts.asia/

●フーテンプロモーション 1月30日(日) 神奈川・ラゾーナ川崎(17時)
http://fu-ten.jp/