お茶の水を歩く(1)

お茶の水を歩く(1)

 中国や西洋で発達した城塞都市に対し、江戸のような城下町を「惣構(そうがまえ)」という。徳川家康は、北条氏を滅亡させた功績として、豊臣秀吉により、三河から関東へ国替えをさせられる。将来を見据えた家康は、城下町の整備と水田開発に着手。今年、400周年を迎えた六郷用水は、六郷領(現・東京都大田区周辺)に灌漑用水を引くため、1611年に完成した。

 千代田区にあるJRお茶の水駅は、神田川(外堀)にかかる「聖(ひじり)橋)」と「お茶の水橋」の間にある。神田川を挟んだ対岸は、文京区となっている。かつてのお茶の水駅入り口は、現在交番がある付近(横断歩道を渡った場所)にあり、橋の架け替えなどにより現在の場所になったという。その交番の脇に「お茶の水」の名前の由来を記した碑が建てられている。

【お茶の水の名前の由来】
 二代将軍徳川秀忠の時代、神田山の文京区側に、高林寺という寺があった。庭からわき水が出た。評判がよく、将軍に献上された。その水をお茶に用いた秀忠が気に入り、寺を「お茶の水高林寺」と呼んだ。

 お茶の水駅がある辺りは、かつては地続きで、一帯が神田山を形成していた。家康が城下町の整備に着手し、江戸城の南に広がる日比谷入江(現・日比谷公園周辺)を埋め立てた。そのため、神田川のもととなる平川の流れが悪くなり下流で水害が発生した。秀忠の時代に、堀割を兼ね隅田川へ流れ込む放水路として神田川が開削された。

 お茶の水橋から聖橋を見渡すと、神田川を挟んで、右に駿河台、左に本郷台(湯島台)を望む渓谷の風景が広がっている。それぞれの台地に、淡路坂と昌平坂がゆるやかに下っている。下流に見えるのは、秋葉原。

【駿河台の名前の由来】
 家康が駿府で没した。家康没後、家康付を解かれた旗本駿河衆が江戸に戻った。駿河衆は、江戸城のひざ元であり富士山を眺めることができる高台に好んで屋敷を構えた。そのため、付近が、駿河台と呼ばれるようになったという。

 その駿河台の地に、文明開化の後、ニコライ堂の名で知られる「日本ハリストス正教会教団・東京復活大聖堂」が建てられる。国の重要文化財のうち石造では最古。現在ニコライ堂がある場所には、かつては、旗本の火の見やぐらがあったという。

 ニコライ堂は、お雇い外国人であるジョサイア・コンドルが設計した。明治24年(1891)竣工で、建築費用は約25万円。空から見ると十字架の形をしている。日本ハリストス正教会教団は宗教行為に楽器を使用しないため、堂内では、聖歌隊によるアカペラのメロディーがこだましている。鹿鳴館も手がけたコンドルの建築物のうち、建設当初の目的のまま現在も使われている唯一の建物。(つづく/竹内みちまろ)

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