巨樹巡り 三差路に立つ一本松、平将門の乱の歴史が

 巨樹を求めて東京都港区を散策していたときのこと。

 麻布十番という町から、国指定天然記念物の大イチョウがある善福寺へ向かっていると、道に「暗闇坂」という柱が立っていた。樹木が茂って昼でも暗かったという坂名の由来が記されている。意外と思うかもしれないが、東京都心には坂道が多い。

 その暗闇坂を上り終えると、道が三差路になっていた。それぞれの三つの道が、また坂になっている。暗闇坂のほかは、坂の中腹北側に大黒天をまつるお寺がある「大黒坂」と、もう一つは「一本松坂」。

 「一本松坂」は、坂の南側に、松があるという。

 辺りを見渡してみると、道の脇に柵で囲われた場所があった。松の木が立っていた。松の木は、朝の急いでいる時間などは素通りしてしまいがちな居住まいだが、石灯籠と石碑も建っている。

 石碑には「一本松の由来」が記されていた。松の木には、経基(つねもと)にまつわる伝説があるそうだ。

 源経基は、「六孫王」とも呼ばれた平安時代の武将。清和源氏の初代で、鎌倉幕府を開いた源頼朝は、経基の子孫だ。

 「一本松の由来」を読むと、平将門を征服したのち、源経基が民家に宿泊し、翌日、出発する際に冠装束を松にかけていったので「冠の松」といわれ、「一本松」ともいわれたそうだ。

 経基は、承平8年(938年)に武蔵介(すけ)として、武蔵国に赴任した。武蔵国は今でいう埼玉県と東京都と神奈川県北部を合わせたような大きな国だった。しかし、当時の日本の中心はもちろん京都で、関東は、地方だったと考えられている。

 また、「介」とは官職の名前で、「国司」と呼ばれるなかで、「守(かみ)」に次ぐナンバー2。「守」は中央にいる貴族などが任命されることが多く、「介」が現地司令官として権勢をほこったともいわれている。

 源経基は武蔵国に赴任するも、在地の豪族と衝突し、平将門に仲介されるが、京へ戻ったという経歴を持つ。

 源経基が帰京したのち、将門らの勢力は、関東各地の国司の館を襲撃した。平将門の乱と呼ばれる戦いに発展し、朝廷は、関東に討伐軍を派遣した。(竹内みちまろ)

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