愛知県小牧市の名鉄・間内駅前に、浅井長政の像が建っています。愛知に縁もゆかりもないはずの浅井長政の像が、どうして駅前に建立されたのでしょうか。



 浅井長政は北近江(滋賀県)の戦国大名で、浅井家の三代目当主。織田信長と同盟を結ぶ際に、信長の妹・市が長政に嫁ぐことになります。今年の大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』では、市役に鈴木保奈美さんが、長政役には時任三郎さんが登場し、見事なハマリ役だと話題になりました。長政が愛知にゆかりがあるとするならば、信長と妹・市が愛知出身という事ぐらいしか浮かびません。しかし、調べていくと驚きの事実が分かったのです。

 小谷城落城後、織田信長の命により、長政の嫡男・万福丸は、関ヶ原で秀吉の手によって殺されました。
次男の万寿丸は、まだ赤児だったので命を助けられ、後に出家させられたとも言われています。信長側からすると浅井の血筋は途絶えたかと思われていました。ところが長政には八重の方という側室がいたのです。
 ドラマでは市一筋のラブストーリーで描かれることが多いですよね。この時代、側室を持つことは珍しいことではありませんが、山内一豊や、「愛」の兜の前立てで有名な直江兼続のように妻一筋の武将もいる中、長政ファンには少しがっかりさせてしまうかもしれませんね。しかしそのことが歴史のキーポイントとなるのです。
側室・八重が小谷城落城時、長政との子・七郎を連れて美濃へ逃れていたのです。そして文禄元年(1592)、七郎が二十歳の時に愛知県小牧市に移り、慶安三年(1650)に亡くなりました。
 以後、子孫は代々この地に住んでいましたが、大正二年(1913)、七郎から数えて九代目の新七という人が、故あって神奈川県藤沢市に移ることになりました。その後、新七さんの孫に当たる方が先祖の霊を慰め、末永くこの地を残すために、旧宅跡地に浅井長政の銅像を建立しました。ちなみにこのお宅は1447坪もあったそうです。歴史の舞台に出てくることはなかったけれど、この地でその血筋を絶やすことなく、継承していったようです。


 旧浅井氏宅跡に、空高くどしんと建っている長政像。この像は、昭和57年(1982)に子孫の方の手によって建てられたものだったのです。その表情は一見とても穏やかですが、何かを伝えたいのか、心に秘めた強いものが感じられる魅力的なものです。

(Asami 山口敏太郎事務所)