徳川埋蔵金は結局どうなったのか?
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 1990年代初め、人々をテレビの前に釘付けにした番組があった。TBS系列のテレビ番組「ギミア・ぶれいく」にて、コピーライターの糸井重里氏が中心となり、群馬県にある赤城山に徳川埋蔵金が埋められていると言う伝承の元に、幾度となる発掘が行われた。当時は数台のショベルカーを元に、赤城山の一部に大きな穴が開けられた。その幅は100メートル、最深部は60メートルにも及んだという。

 その場所に3代にも及び、130年もの間埋蔵金を発掘し続ける水野氏一族がいた。初代が幕府側の武士から埋蔵金に関する手紙を受け取ったのがことの始まりだと言う。豪商であった初代は徳川埋蔵金がこの場所に埋められていると思い、以後地道に発掘を続けてきたのである。そこにTBS テレビがその情報を知って、徳川埋蔵金の発掘プロジェクトが発足したのだ。

 徳川埋蔵金伝説の発端には、江戸時代末期の勘定奉行であった小栗忠順が徳川家の膨大な大判小判の財宝を、彼の生まれ故郷である群馬県赤城に埋めたという伝説が存在しためである。予想される埋蔵金の額は、現代で言えば200兆円にものぼる額だと言われている。

 大政奉還された後、当時の明治新政府が目当てにしていたのが徳川幕府の御用金であった。ところが金蔵は空であり、幕府側の誰かがこっそりと御用金を運び出したのではないかと新政府側は判断し、埋蔵金探しが始まったのである。

 そこで、当時の幕府の財政担当であった小栗忠順が御用金を運び出して、地元の赤城に埋めたという流言が飛び出し、更には利根川をさかのぼって御用金を運んでいる姿を見たと言う噂までもが立ち 、人々はこの赤城に徳川埋蔵金が眠っていると信じて、発掘を始めたのだという。