<コラム>中国一の美人女優「ファン・ビンビン」と歩く、煙台日本領事館跡

<コラム>中国一の美人女優「ファン・ビンビン」と歩く、煙台日本領事館跡
煙台(Yan tai)市は山東省に位置し、北は渤海湾に面し、東は威海に南と西は青島に接する山東半島東部にある港湾都市である。写真は筆者提供。(Record China)
煙台(Yan tai)市は山東省に位置し、北は渤海湾に面し、東は威海に南と西は青島に接する山東半島東部にある港湾都市である。山東省最大の漁港であり、最初期に対外経済開放された沿岸都市の一つで、環境の良さ、景観の良さ、投資環境の良さから海外からも全中国からも多くの人が集まる。煙台市の西寄りにある「芝罘」(ツゥーフゥー、Zhi fu)という陸繋島に由来が始まる。今日の「煙台」という名は明の洪武帝の治世だった西暦1398年(洪武31年)ごろ、煙台山に倭寇襲撃時に警報の狼煙を上げる烽火台が建設され、これが「煙台」と呼ばれる所以とも言われる。

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煙台は、春秋戦国時代には斉の領土であった。秦代には斉郡に、前漢の時代には東莱郡に属した。始皇帝は3回、武帝は1回芝罘島を訪れたといわれている。隋の時代に莱州、唐・宋・元の時代に登州や莱州が置かれた。明・清の時代には莱州府、後に登州府が置かれた。1858年7月、清は天津条約を結び、登州は「煙台」と改名され西洋諸国に開港されることとなったのは、1856年の第2次アヘン戦争時にイギリス・フランス連合艦隊が煙台を占領したことによる。1860年6月にフランスが煙台山を占領し、ここに軍司令部を置いた。煙台は1861年5月に外国商人たちに対して開港し、煙台山周辺に17カ国が領事館を設置した。この一角は「領事館街」の様子を帯びることになった。

1866年フランスが撤退するに及び、外国人と中国人による万国委員会が行政を担うようになった。1876年に芝罘条約が結ばれ、漁港だった煙台はイギリスの条約港となり急速に共同租界地化した。20世紀初頭に山東半島全域でドイツ帝国の力が増すと、煙台もドイツに支配されることとなった。また、清も北洋艦隊の拠点とし、1903年に設置された煙台海軍学校は1928年まで中国の海軍士官を育成した。1905年には、日露戦争後の講和会議の開催候補地のひとつにもなった。

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