韓国の卓球選手である田志希(チョン・ジヒ)選手は、中国の河北省廊坊市で1992年に生まれた。中国で卓球選手として活動していたが、韓国の卓球指導者に見出されたことがきっかけで、渡韓して2011年に韓国国籍を取得し、関連規則の関係で14年に卓球の韓国代表の一員になった。
田選手はかつての卓球天才少女であり、今や韓国の「大魔王」と呼ばれている。彼女のキャリアは、ドラマと挑戦に満ちている。かつて中国では卓球のジュニア大会で何度も優勝した。14歳の時には中国のナショナル第2チームに選ばれ、順風満帆なキャリアが期待されたが、現実は厳しく、ナショナルチームに入ってからは厳しい競争や自らの健康問題に苦しんだ。
彼女には、外部からは容易には見えない複雑な事情もあった。強力な対戦相手に直面するだけでなく、自らの体調との戦いも続けねばならなかった。大きな圧力を受けたことで彼女の状態は安定せず、第2チームでは優れた成績を収めても、ナショナルチームでは確固たる地位をなかなか築けなかった。彼女は、中国に留まっていたのでは、世界クラスの選手にはなれないかもしれないという、厳しい現実に直面した。
彼女は驚くべき決断をした。
韓国に行ってからは実力が次第に認められるようになり、アジア大会やワールドカップなどの大会で良い成績を収めた。シングルスではまだ好成績を出していないが、ダブルスや混合ダブルスでは強力な実力を発揮し、韓国の卓球界にしっかりと根を下ろした。しかし、彼女のキャリアにはまだ波乱が続いた。韓国人コーチとの対立や整形手術が報じられて、注目の的になった。これらの出来事は彼女の試合成績に直接の影響を与えたわけでないが、彼女のキャリアをさらに複雑にした。
彼女の歩んだ道について、ネットユーザーはさまざまな意見を披露している。一部の人は、田選手の転身は自らのキャリアの長期的な発展のための賢明な選択だったと考えている。一方で、彼女の決断が自らのキャリアの発展を目指したものであるとはいえ、中国の卓球界の希望だった彼女が韓国代表になったことは残念と感じる人もいる。
この出来事は、グローバル化という背景の中でのアスリートの国籍変更という現象を反映しているとも言われている。
田選手の生き方には、考えさせられるものがある。彼女の成功と挫折は、トップアスリートになる道がどれほど困難であるかを示している。彼女のキャリアは曲折と挑戦に満ちているが、彼女はそのことで独特なタイプの卓球選手になった。田選手の選択とキャリアについて、あなたはどう思うだろうか。(翻訳・編集/如月隼人)