11月11日に44歳の誕生日を迎えたレオナルド・ディカプリオ。ローリングストーン誌が選んだ出演映画ランキングをお届け(作品は記事掲載時の2015年時点のものになります)。


27:『クリッター3』(1991年)

小さくてキュートなモンスターが登場する、低予算SFホラーコメディシリーズの3作目。今ではディカプリオの映画デビュー作として有名だ(劇場公開後、すぐにビデオ化されてしまった)。本作でディカプリオは、ろくでなしの父親が斡旋したアパートにある家族と暮らすことになった、パンクでスケーター風の長髪の問題児を演じている。このアパートはのちに毛むくじゃらの食人鬼に襲撃されるのだ。ハイになって午前3時に観るようなノリの安っぽい作品ではあるが、観ている者の頭をマヒさせるほどの長ったらしさとセリフのやり取りは、B級映画以下のZ級映画の中でも群を抜いている。生意気な小僧役のディカプリオも悪くない。
むしろ、出演者の中でまともな演技ができているのは彼だけだ。

26:『仮面の男』(1998年)

『タイタニック』の大ヒット後に公開されたディカプリオの主演作『仮面の男』は、『タイタニック』のおかげでヒット作となった。しかし、原作者のムッシュ・アレクサンドル・デュマには申し訳ないが、内容は今ひとつ。三銃士とダルタニアンが、長きにわたって幽閉されてきた双子の兄弟(どちらもディカプリオが演じている)を王位の座につける企みをわかりやすく描いた、華美な時代物である。本作に登場する若きディカプリオはどうも場違いな感じがする。脇を固めるガブリエル・バーン、ジョン・マルコヴィッチ、ジェラール・ドパルデュー、ジェレミー・アイアンズといった名俳優たちでさえ、間の抜けた台本ではどうにもできない様子だ。


25:『バスケットボール・ダイアリーズ』(1995年)

高校のバスケットボールのスター選手からホームレスの麻薬中毒者へと転落するティーンエイジャーを描いた、ジム・キャロルの自伝的作品をやや誇張した本作。ディカプリオは完璧にマーロン・ブランドを体現した。野心的な作品に対していくらかの敬意を払う必要はあるとは言っても、大げさな演技、度が過ぎるモンタージュ、薬物中毒を題材にしたドラマにありがちな描写などなど……すべてが過度だ。それでも、『ギルバート・グレイプ』のアカデミー賞のノミネート直後に公開された本作の演技を通して、ディカプリオがリスクを恐れない俳優であることが証明された。

24:『J・エドガー』(2011年)

FBI捜査のあり方を変えた実在の人物を描いた、クリント・イーストウッド監督によるどことなくぎくしゃくしている伝記映画は、ディカプリオにとって難しい挑戦だった。まずは何十歳も年を取らなければならず、さらに怪物的な存在感を放ちながらも好感を得られる役柄に徹しなければならなかった。
それなのに、作品自体はディカプリオの助けにはならなかったと思う。台本は目に見えるものと内なるものとの間の往復を繰り返した。ディカプリオは最善を尽くしたにも関わらず、全体的に今ひとつな印象が拭えない。それでも、J・エドガー・フーバーの長年恋人兼パートナーを演じたアーミー・ハマーとの男同士のキスシーンには感動的なところがある。

23:『ワールド・オブ・ライズ』(2008年)

本作のディカプリオは、リドリー・スコット監督が仕掛ける中東が舞台のテロ&スパイ・スリラーの深みにはまる米CIA捜査官にふさわしい緊張感と無謀さを表現している。かっぷくと愛想の良さとは裏腹に欺瞞的な上司を演じたラッセル・クロウもなかなかだ。
それなのに、原作であるデイヴィッド・イグネイシアスの小説から全体的なプロットを紋切り型にした映画に仕上がった印象だ。出演と製作の両方において数多くの大物を投入したにも関わらず、本物のサスペンスを欠いてしまったようだ。

22:『ボディヒート』(1992年)

本作にディカプリオは数秒ほどしか出演していない。駆け出しの頃の作品であるにせよ、この頃から既にTVドラマのレギュラーとして何年も出演しているのだから、ここまで出演時間が短いのも妙な感じがする。問題児の子役として世間を騒がせていたドリュー・バリモアを復活させたこの変わったエロチックスリラー作品はさして期待されていたものでもなければ、時代遅れ感もない。それに、サラ・ギルバートの家族を乗っ取る、妖艶ながらも残忍なティーンエイジャーに扮したバリモアは典型的なアダルト映画の描写のあるなしに関わらず、最高にセクシーだ。


21:『太陽と月に背いて』(1995年)

19世紀の詩人、ポール・ヴェルレーヌ(デヴィッド・シューリス)とアルチュール・ランボー(ディカプリオ)の波乱に満ちた禁断の愛を描いた、アニエスカ・ホランド監督の文芸作品。当時はまだスキャンダラスだった同性愛というテーマと主演俳優によるやや濃密なセックスシーンのため、本作の発表は極めて控えめなものだった。ヴェルレーヌの人生に彗星の如く現れ、誘惑し、師弟および恋人という結びつきを崩壊させた伝説の詩人ランボー役に抜擢されたディカプリオはあまりにモダンかつパンクで、ミスキャストだ。ヴェルレーヌとランボーという二人の堂々たる才能を表現する代わりに、彼らのタチの悪さばかりが目についてしまう。

20:『マイ・ルーム』(1996年)

家族をテーマにしたメロドラマ『マイ・ルーム』でメリル・ストリープの放火犯の息子を演じた頃には、問題を抱えるティーンエイジャー役へのディカプリオの傾倒はジョークのネタとして定着していた。本作は、メリル・ストリープとダイアン・キートンが演じる疎遠な姉妹が白血病治療のための骨髄移植をきっかけに絆を取り戻す、というかなり予定調和かつセンチメンタルな内容ではあるが、ロバート・デ・ニーロをはじめとする素晴らしい俳優陣によって生き生きと描かれている。
この頃には既にアカデミー賞にノミネートされた経歴をもつティーンアイドルとしての地位を固めていたディカプリオではあったが、こうした重鎮たちとも渡り歩けると証明したことで、大きな才能の存在を明らかにした。

19:『ブラッド・ダイヤモンド』(2006年)

奴隷として働くメンデ族の漁師が、大量のダイヤモンドと引き換えに故郷への帰還を条件にローデシアのダイヤ密売人(ディカプリオ)と手を組む『ブラッド・ダイヤモンド』では、ディカプリオとともに主演を務めたジャイモン・フンスーの好演が光る。二人は、感じがよくも下劣なディカプリオと、決して絶望を表情に出さない父親のフンスーという対照的なキャラクターを見事に演じた。

18:『あのころ僕らは』(2001年)

1995年から1996年にかけて撮影された低予算の白黒インディー映画である本作。とりわけ印象的なのは、新たなスターとしての地位を獲得したディカプリオとトビー・マグワイアが公開を中止しようとしたことだ。でも、二人はそこまで心配する必要はなかった。ドンズ・プラムというディナーに集うティーンエイジャーのグループをセリフの多い短い場面で描いたR・D・ロブの作品には、いくつもの力強い演技やゆったりとした即興的な雰囲気が散りばめられている。それなのに、観る人を苛立たせる芸術気取りの断片の連発によってその効果は薄れ、90年代半ばの珍品のような印象を与える。評価とレアさゆえに、2001年のベルリン国際映画祭で披露された際は一瞬だけ世間の注目を集めた。

17:『クイック&デッド』(1995年)

シャロン・ストーン扮する拳銃の名手の主人公と、傲慢な若いカウボーイのディカプリオと謎のならず者ラッセル・クロウが、ジーン・ハックマン扮する極悪指導者を相手にサディスティックな射撃トーナメントを繰り広げる。サム・ライミ監督の徹底的に様式化された新しいマカロニ・ウエスタン。衰退する西部劇を蘇らせようとした見事な試みではあったが、結果はもちろん失敗に終わった。ライミの作品には不思議な不毛さがある。それでも観客の同情を誘う若いカウボーイを演じたディカプリオは結構よかった。

16:『華麗なるギャツビー』(2013年)

『ロミオ&ジュリエット』のバズ・ラーマン監督とディカプリオが再びタッグを組み、これまで映画化が不可能とされてきたF・スコット・フィッツジェラルド原作の『華麗なるギャツビー』に挑んだ。結果は、当初のうわさほどひどいものではなかった。ラーマン監督は完璧にギャツビー像を「とらえて」はいない。それでも、ディカプリオは魅力をいかんなく発揮し、ギャツビーの異常なまでの妄想癖なんてどうでもよくなってしまうほど、観客の共感を誘う。ほんの一瞬ではあったが、ディカプリオが本物の笑顔を見せてくれたのは、本当に久しぶりだ。ロマンチストのレオが戻ってきてくれたのはうれしい限りだ。

15:『セレブリティ』(1998年)

フェリーニ監督の『甘い生活』へのオマージュであるウディ・アレン監督の『セレブリティ』では、自信を喪失した敏腕雑誌記者に扮したケネス・ブラナーが最高のウディ・アレンのモノマネを披露した。風刺たっぷりのブラナーの演技はさておき、現代のセレブリティ・カルチャーを浮き彫りにした本作はなかなかおもしろい。本作が嫌いな人も、生意気な有力俳優を演じるディカプリオがこの作品で一番輝いていることには納得するだろう。本作の感想は各自に任せるとしよう。

14:『ギルバート・グレイプ』(1993年)

鋭い視点とともに穏やかに語られる成長物語『ギルバート・グレイプ』でディカプリオはジョニー・デップ演じる田舎町の若者の知的障害を抱える弟アーニーを演じた。ピーター・ヘッジズの小説にもとづいた本作は、クセのある要素を織り交ぜた型にはまらない作品で、簡単に飲み込むことは難しい。そんななか、ラッセ・ハルストレムが登場人物に抱く愛情は作品を通して輝いている。最大の財産とも言える、初のアカデミー賞にノミネートされたディカプリオが場合によってはオーバーにも冷笑的にもなり得る役を優れた繊細さと深みで演じている。

13:『ロミオ&ジュリエット』(1996年)

シェイクスピア版で大人になった世代は、ディカプリオとクレア・デインズが、芝居がかったギャング同士の抗争シーン満載のバズ・ラーマン監督による古典の現代版で不幸な星を背負った恋人たちを演じるなんて想像しなかっただろう。オーストラリア出身の映画監督のやり過ぎ具合は時として笑いを誘うが、主演俳優同士の相性は実にすばらしい。本作でデインズが初期作品の中でも傑出した演技を披露する一方、ディカプリオも見事で、ルックスも文句なしだ。本作の成功は数年後の『タイタニック』によって訪れる新時代の象徴的作品の一つとなったことは間違いない。

12:『ザ・ビーチ』(2000年)

アレックス・ガーランドのスリラー小説にもとづいたダニー・ボイル監督の『ザ・ビーチ』は、最後の部分で脱線するまでは東南アジアの人里離れた島に定住した少数の居留者を通し、現代特有の不安を描写している。高度に技術化された世界で欧米人旅行者やバックパッカーの国外在住者が楽園を探すなか、ディカプリオが生死をかけた生き残りの冒険へと導く。『タイタニック』でスーパースターになったディカプリオが『タイタニック』後に初めて出演した作品として大いに期待されたものの、公開後はそれほど高い評価を得なかった。そうは言っても、見直す価値のある作品だ。

11:『シャッターアイランド』(2010年)

マーティン・スコセッシ監督とディカプリオという組み合わせは常に人々の興味を掻き立ててきた。そしてノワール風ミステリーと呼ぶにふさわしい本作は、二人が手がけたなかでももっとも不気味な作品だ――それだけでなく、ディカプリオがここまで無防備になったのも、本作が初めてだ。本作でディカプリオは、不気味な孤島の精神科病院の患者の不可解な逃亡を調査するために訪れる連邦保安官を演じている。事件を調査するにつれ、自身の精神さえも疑わしくなる。ここでディカプリオは映画の語り手であると同時に物語が進行するにつれて自身のキャラクターを壊さなければいけない。こうした不確かさをはらみながらも観客を引き込めるのは、ディカプリオが本当に偉大な俳優である証拠だ。

10:『ボーイズ・ライフ』(1993年)

トバイアス・ウルフの自伝的作品を映画化した本作は、ディカプリオの初期の主演作の一つだ。エレン・バーキン扮する、問題を抱えるシングルマザーの優しい息子トビーを演じた。一見立派だが、支配的で暴力的なロバート・デ・ニーロと暮らしはじめると、思春期の息子と未来の継父との間に争いが勃発する。示唆に富む感動作『ボーイズ・ライフ』を通してバーキンとディカプリオ親子の力強い絆が描かれている。一人の繊細な若者へと成長するにつれてディカプリオの演技は深みを増す。

9:『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』(2013年)

マーティン・スコセッシ監督の最高傑作とは呼べないにせよ、『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』でディカプリオは近年最高の演技を見せている。実在の株式ブローカー、そして金融業界のぺてん師とも呼ばれたジョーダン・ベルフォートを演じている。スコセッシ監督は近年フィクション大作からメジャーなミュージカル・ドキュメンタリーを行ったり来たりしているが、不思議なことに、本作はその両方の特長を併せ持っている。ベルフォートは、熱心な宣教師のようなスピーチで従業員に訴えかけたことで有名な人物だが、本作でスコセッシ監督はただカメラを回してディカプリオが熱弁を振るう様子を撮影している。まさにウォール街のミック・ジャガーだ。

8:『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』(2008年)

アメリカ郊外の絶望と夢の挫折をアメリカ風に描いたリチャード・イェーツの名作の映画化である本作で、ディカプリオと『タイタニック』のパートナー、ケイト・ウィンスレットが再び共演を果たした。最初に映画化された前作と本作はかなり違っている。前作が二人の若者が冒険を求めて人生に恋い焦がれる、ゴテゴテに飾り立てられたメロドラマであるのに対し、本作は二人の大人が現在の悲惨な状況を前に、それがかつて夢見た世界ではないことをゆっくりと自覚していく、胸が苦しくなるドラマだ。幻滅という負のスパイラルに取り込まれた男を演じるディカプリオもすばらしい。自分は何者にもなれないという事実をゆっくりと受け入れる様子が描かれている。

7:『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012年)

奴隷所有者のカルビン・キャンディを演じたディカプリオは西部劇、搾取、復讐がテーマのクエンティン・タランティーノ監督の問題作で頭のおかしな卑劣漢という主要な人物になりきった。ディカプリオはこの哀れな妄想家に一風変わった愛想のよさを与えることで、傑出した演技を披露した。奴隷を支配し、奴隷同士で戦わせ、フランスに奇妙な愛着心を持つこの人物の正体は、残忍な精神障害者なのだ。それでもあまりにカリスマ的な魅力を持っているので――ここからはネタバレ注意――物語から退場してしまうと、作品全体から気が抜けるようになってしまう。正直なところ、キャリアのハイライトとも呼べる本作でディカプリオはアカデミー賞を受賞するべきだった。

6:『アビエイター』(2004年)

ビジネスマン兼発明家として巨額の富を築いたハワード・ヒューズの半生が贅を尽くして描かれた、スコセッシ監督の『アビエイター』で、ディカプリオはまだフレッシュな魅力を保つ一方、狂気に近い執着心を表現しなければいけなかった。本作で描かれているのは、壮大な空中戦を描いた映画『地獄の天使』の監督を務めながらもキャサリン・ヘップバーンと浮名を流し、「スプルース・グース」こと航空機ヒューズ H-4 ハーキュリーズの実現に取り組み、敵対心を抱く政治家と対決していた頃のヒューズだ。スコセッシ監督はヒューズの野心、強迫観念、さらには自らを不適格とする性格との間に類似性を見出している。さらに、ディカプリオの演技は彼が限りなく多彩であることを教えてくれる。

5:『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002年)

スコセッシ監督とディカプリオの初期のコラボレーションに対し、世界中の憧れの的であるイケメンのレオ様がクライム映画の王様と時代物 と多くの人々は混乱した。しかし、実際のディカプリオはアイルランド系アメリカ人のアムステルダム・ヴァロンとしてなかなかの演技力を発揮した。この役でディカプリオは、先住ギャングのリーダーであるビル・ザ・ブッチャー(この役を演じたダニエル=デイ・ルイスの演技はキャリアの最高傑作とも呼べるだろう)に殺された父親(リアム・ニーソン)の復讐を誓っている。乱暴者と言うよりは混乱したアムステルダムの使命は自らがギャングのリーダーとしてのし上がること。切れ味の鋭い極悪人デイ=ルイスとは対照的な、悩める世間知らずというディカプリオのアプローチも見事に功を呈している。

4:『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002年)

スティーブン・スピルバーグ監督のヒット作でディカプリオは実在の詐欺師フランク・アバグネイルを演じた。アバグネイルはパイロット、弁護士、医師などになりすまし、アメリカを旅しながら豪奢な生活を送った人物だ。フレッシュなロマンチック俳優から、真剣な役を演じられる俳優に変身しようとしていたディカプリオを巧みに捉えたキャスティングだった。子どもから大人へと成長を遂げたディカプリオの表情が印象的だ。

3:『ディパーテッド』(2003年)

スコセッシ監督は、米ボストンを舞台としたクライム・スリラー『ディパーテッド』で念願のアカデミー賞を受賞した。香港スリラー映画の傑作『インファナル・アフェア』(2002年)のリメイクである本作では、ディカプリオがマフィアに潜入する警官、マット・デイモンが警察に潜入するマフィアを演じた。緻密ないたちごっこを描いたスリリングな物語だけでなく、脚本家ウィリアム・モナハンが神話的とも表現できるような悲劇の要素を加えている。薄汚れた絶望の淵にいる男を演じたディカプリオもまた素晴らしい。ディカプリオのベスト・パフォーマンスの一つであることに間違いない。

2:『インセプション』(2010年)

クリストファー・ノーラン監督によるSF映画でディカプリオは人々の夢に忍び込み、その思考を盗み出した。しかし、最後の任務でディカプリオ率いるチームはいつものように脳内の情報を盗むのではなく、ある人物の脳内に思考を植え付けるという仕事を任される。これほどまでに複雑で風変わりな映画がなぜこれほどの大ヒットになり得たのだろうか? そこにはノーラン監督の巧妙なセリフや一連のアクション・シーンはもちろん、運命をかけて戦う強盗を演じたディカプリオの優れた演技があることも忘れてはいけない。典型的な悩めるタイプの主人公役に人間らしさを与えてくれた。

1:『タイタニック』(1997年)

1997年に公開され、記録的な興行収入を打ち立て、アカデミー賞を受賞し、ポップカルチャーにおいて絶対的な影響力を持つことになったジェームズ・キャメロン監督の『タイタニック』は当時、もっとも高額な製作費をかけた作品でもあった――長引く製作期間や、もう陽の目を見ることなんてないのでは、とさえ危惧されたプロダクションについては触れないでおこう。ようやく公開された『タイタニック』は人々を魅了した。本作はデヴィッド・リーン監督が『アラビアのロレンス』で砂漠を限りなく甘美な存在へと昇華させたのと同じことを海で成し遂げたのだ。おまけに、悲劇としての要素を備えつつも(最新鋭の技術を使って歴史的な海難事故を描きつつも)、パニック映画としてのエンターテイメント性も持ち合わせている。

そして忘れてはいけないのが、レオとケイトのラブストーリーだ。苛立ちを隠せない上流階級の令嬢に恋をする冒険好きな放浪者という筋書きは、まさに陳腐としか言いようがない。それなのに、若き日のスターたちが誠実な想いを交わす姿を観る人は誰だってそのピュアな恋に引き込まれるだろう。『タイタニック』はいまだにディカプリオのキャリアの頂点であると同時に、この20年間ハリウッドが生み出すことができた伝統的スタイルの映画のなかでももっとも偉大な作品なのだ。