デビュー20周年を経ても、何かに媚びることなく、独自のスタンスで、良質な音楽を奏で続けるGRAPEVINE。16枚目のアルバム『ALL THE LIGHT』を通してバンドの世界の核に迫った。


―2017年からの1年間がデビュー20周年イヤーでしたが、いかがでしたか?

田中和将(Vo, Gt):普通、20周年ともなれば、ベスト盤を出したり、トリビュート盤を出したりするんやと思うんです。でも、リテイクするお金があるんだったら新しいものを作った方がいいっていう考えなので、いつもどおり新しいアルバムを出してツアーをやっていましたね(笑)。

西川弘剛(Gt):つまり、お祝いしにくいバンドなんですよね。お祝いしやすくしてあげればいいのになぁとは思いますけどね。

―自覚があるんですね(笑)。

田中:ええ。
圧倒的にそういう親切さが欠けているバンドであることは確かですね(笑)。

―昨今の周年ブームとは違う時間を過ごしたところがGRAPEVINEらしいなぁと(笑)。そんな周年を経てリリースされるアルバムが『ALL THE LIGHT』。収録曲には”光”のことを歌った曲も複数ありますが、アルバムのテーマはずばり”光”ですか?

田中:”光”というテーマを設定してこのアルバムを作った訳ではないんです。歌詞から引っ張られて出てきた感じです。アルバム最後の「すべてのありふれた光」や、その前の「Era」という曲の「二段締め」の効果もあって光の印象が強いアルバムだなと感じまして、タイトルとしては『ALL THE LIGHT』が一番気持ちいいんじゃないかなと。


―例えば、震災の後に”光”について歌った曲が巷には溢れていました。ひねくれもの(笑)のGRAPEVINEが”光”の曲をこのタイミングで複数歌ったのには何か理由があったのですか?

田中:”光”という言葉自体は昔からよく使っていますし、ドライな言い方をすると使いやすい言葉なんですよ。言葉自体の懐が深いというか、様々な解釈ができるんです。例えば、希望の光というベタな捉え方もできれば、醜いものをさらけ出すような残酷なものとしても、影を濃くするような存在としても使える。ただ今回は、少しは光に手が届いたような感じがして、このタイトルに落ち着いた感じではあります。

―一”光に手が届いた感じ”とおっしゃっていましたが、例えばアルバムの中の「God only knows」は、歌詞も曲調もむしろ怒りの歌です。


田中:そうですね。まぁこのご時世と言いますか(笑)。『All THE LIGHT』と聞いて、明るいアルバムなのかなと言われると、タイトルの響きは清々しい作りかもしれないですが、意外と中身はそうでもないものも多いですね。

―そういうGRAPEVINEらしいひねくれ方は歌詞もアレンジにも変わらず顕著ですが、アルバムの全体像としてはセルフ・プロデュースではなく、ホッピー神山さんがプロデュースを担当していますね。

田中:はい。ホッピーさんは1stアルバムのいくつかの楽曲に共同プロデュースとキーボーディストとして参加してもらっているのと、その10年後ぐらい「Everyman,everywhere」という曲でも弦のアレンジをお願いしました。
今回、レコーディングにあたりプロデューサーをつけようと言う話になり、三度目のホッピーさんにお願いしようと。しかもどうせならアルバム1枚を全面プロデュースしてもらおうということになりました。

―そもそも今回は何故プロデューサーを付けようと?

田中:ここ4枚ぐらいはセルフ・プロデュースだったんですが、どうしても何か煮詰まるというか、出てくるものの見えてきてしまう。それで何か新しい空気の入れ替えをしたいなと話してたんです。で、前作が20周年ということでセルフでやったので、今回こそはプロデューサーを付けて、新しい空気を入れようと。

―どういう作り出しだったんですか?

亀井亨(Dr):ホッピーさんにはプリプロ=曲作りのはじめから一緒にスタジオに入ってもらいました。


田中:我々元々そういう体質というか性分なんです。デビュー当時は別として、特別なビジョンを持ってないんですよね。次はこういう作品にしたいといった具体的なビジョンがあるんであれば、こういうサウンドにしたいからこんなプロデューサーにお願いしたいという話しになるんですけど。あるのは、出て来たものをどう面白く自分達でやれるかということなんです。だから、プロデューサー像もぼんやりしているんです。例えばレディオヘッドみたいにしたいから、ナイジェル・ゴッドリッチに、という話しなんですが、音のイメージはなく、空気の入れ替えとして、あるいは、今うちのバンドはキーボードの高野勲氏、ベースの金戸覚氏をいれた5人でやっているんで、6人目のアレンジのアイディアマンとして刺激的な人の方がいいなという話です。


―GRAPEVINEは3人ともコンポーザーなわけですが、今回は作曲の割合はどう決めるのですか?

亀井:基本的に全員持ってくるというシステムです。人によって持ってくる時と持ってこない時とバラバラなんです。今回はホッピーさんのリクエストで「こういう曲を書いてくれ」っていうのがあって、田中くんがそのリクエストに応えてましたね。

―どの曲ですか?

亀井:1曲目「開花」と6曲目の「こぼれる」です。アカペラの曲と弾き語りの曲を作って欲しいというホッピーさんのリクエストに田中君が応えた曲です。

―アカペラ曲というリクエストを田中さんはどう感じましたか?

田中:確かにバンドやっているとアカペラというアイディアは出ないなと。なので、これはホッピーさんのおかげです。ホッピーさんが言ってくれないとこういう曲を作ろうとも思わなかったですねからね。

―しかも、アカペラ曲で終わるんじゃなく、アカペラ曲で始まるのも意外でした。

田中:ホッピーさんは、ここ3、4枚の僕らの作品を聴き込んでくれて、自分がプロデュースする場合はどんなものを作ったらいいのか青写真を描いてきてくれたようです。それで、一曲目にバンドっぽくないものがきたら、ぎょっとするんじゃないかということだったと思うんです。そういうアルバムの全体像をイメージしてくれていたんだと思います。プロデューサーを付けるのも久し振りだったので、どうせならホッピーさんの意見に乗っかろうと考えていました。かなりホッピーさんの色は強いんじゃないかと思います。

―ホッピーさんから亀井さんへの作曲に関するリクエストはどんなでした?

亀井:僕には、『GRAPEVINEっぽい曲を作ってくれ』というリクエストがありました。つまり、いつもと変わらずですね(笑)。

―曲だけでなく、アレンジも予想外の展開がありたまらくドキドキしました。美しい曲も途中で必ずと言っていいほど汚すアレンジが入ってくる。ウィルコが好きなGRAPEVINEらしいなぁと。

田中:アレンジに関して言うと、別にきれいなものとか聴きやすいものを作ろうっていうものではなくて。何か違和感や、いびつさを感じるもの、いわゆるオルタナティヴな部分を感じるものに惹かれて作っていると思うんですよ。だからこのアルバムの中には変なアレンジがいっぱいあります。それはいわゆるパロディーであったり、オマージュであったり、茶化しであったり、悪ノリであったり、多分そういう色んなものだと思います。

―そういう音を入れることがGRAPEVINEにとって正解ということですか?

田中:何が正解というのはないんじゃないかなという気がします。例えば、売れることや皆さんが聴きやすいものを正解とするのであれば、僕らがやっていることはそれではないです。

西川:あまり、カッコいいなという感じでは作ってないです。ニヤニヤ笑って作っている感じです。

田中:その感覚を僕はすごく重要だと思っています。逆に言うと、多くの日本のバンドに圧倒的に足りないのは、ユーモアだったり毒だったり皮肉だったりするのかもしれない。そこを我々は大事にしたいと思っています。とは言え、結局我々もポップなものが好きなんですよ。ロックを含めポピュラ―ミュージックが好きなんです。だから人並にグッと来るような部分だって絶対に欲しいわけです。なので、バランス感覚なんですかね。好みの混ぜ方というか、ミクスチャー具合なんだと思います、GRAPEVINEらしさって。

―そして、今回も歌詞の歯ごたえが半端なかったです。詞を書くにあたってはいつものように古典文学を読み返したのでしょうか?

田中:そういうものも参考文献として使わせていただいています。ただ、前作でシェイクスピアを引用していたら、リスナーの間でその曲がマクベスのテーマソングみたいに扱われるようになったんです。「違うって」って言ってももうダメなんですよ。シェイクスピアを引用して伝えたかった社会的メッセージはもうどっかにやられてしまうんです。具体的な名前を持ってきたが故に、それの曲になってしまう。それが嫌なので、今回はどこから何を拾って来たかというのは巧妙に分からないようにしました。

―でもなぜ古典文学を参考文献に使うのですか? 言葉の強度の問題ですか?

田中:歌詞って口語体で書くことが多いと思うんですが、曲と一緒になって音として入ってくる歌詞を”これ何?”っていう違和感のあるものにしたいんです。よく”歌詞が聴きとりにくい”って言われるんですが、それは聴きとりにくいのではなくて、その文脈で次の言葉が予想できないということなんだと思うんですよ。意図的にそうしているんです。予想しない言葉が来ると、そこに行間が生まれます。そういうセンテンスを書く時、影響を受けたり、面白いなと思った言葉やフレーズを使うんです。そうすると、その行間に奥行きが生まれるからです。そもそも僕は自分を表現者だとは思っていないんですよ。ロックにしてもそもそも日本人に根付いたものではないはずやと。全部借り物だと思っているんです。それでいいと思うんです。自分が影響を受けてカッコいいなと思った、感動したことをやりたい。で、やったら本家とは似なかったけど、違うものができた、そういうことやと思うんです。

―曲のタイトルも凄いですよね。例えば「弁天」!

田中:最高じゃないですか? どんな曲か聴いてみたくなりますよね(笑)。

―しかも「弁天」の後の曲が「God only knows」っていう。それだけでヤラレました。

田中:ありがとうございます。まぁそういうとこだと思うんですよ。というか、そういうとこが足りないんです、他の人達は(笑)。

―それにしても「弁天」という言葉のチョイスは改めて面白いですよね。

田中:歌詞はすごく時間をかけて書くんですけど、どこまで伝わっているのか?まぁほとんど伝わってないんだろうなということをよく思いますけどね。それでもこういうふうにやらざるを得ないです。

―別に伝えたいわけじゃないんですか?

田中:というか意地悪なのかもしれない。例えばいろんな警鐘を発していたりするんですけど、巧妙に明言することを避けているので、深読みしないとわからないんです。そうすることで自分の責任を回避しているのかもしれないですけどね。

―なるほど。

田中:白黒ハッキリつけるとなると、結局自分にも返ってくるものです。例えば何かを攻撃しようと思って歌詞を書いている時も、「攻撃している自分はどうなんだ」っていう視点が必ず入ってくるわけですよ。「お前は一体どの偉そうな目線でそれが言えるんだ」って。結局いろんな人から見た視点が入り、ドストエフスキー的な、ポリフォニックな歌詞に仕上がっていくケースが多いです。

―それがGRAPEVINEの歌詞の真骨頂とも言えると思います。

田中:逆に見出しが強くなって太字になり過ぎると危険だなとも思うので、そういうところを巧妙に考えつつ書いています。シェイクスピアを分かりやすく引用してしまったがためにシェイクスピアでしかなくなってしまった曲って悲しいなと俺は思ったわけですよ。メッセージが強く打ち出されていることによって、楽曲の良さやアレンジや音色というのは死んで行ってしまう。ダイレクトなメッセージソングを否定しないですが、音楽という意味だけで言うとあんまりやりたくない。

―ちなみにそういうのはバンド内で話したりするんですか?

田中:一切しないですね。そういうのって歌詞を書く、歌を歌う人の話なので。メンバーはレコーディングで音楽を作っているんですよね。音楽を作っている間はそんなメッセージ云々の話なんて一切関係ないので。例えば欧米であれば生きて活動していること自体がメッセージという人もいると思う。その場合は自身のアイデンティティがメロディやリズムを発しているかもしれない。ただ、我々は違うと思います。そもそもロックも借り物ですし、日本人という国民性です。複雑なものが好きな国民性から真っ直ぐなメッセージは出てこないでしょう。

―つまり……その国民性+音や言葉でニヤってしまうオルタナな要素=GRAPEVINE?

田中:そもそも僕はロックのロックっぽいところが好きじゃなかったですからね。ロックのいわゆる共同幻想を呼び起こすような部分、皆で同じ方向を向くような部分、そういうのを嫌ってきたタイプなんです。だから、こういう音楽を奏でてしまうんです。

視点、行間、見出し GRAPEVINEの世界観に欠かせないもの

『ALL THE LIGHT』
GRAPEVINE
SPEEDSTAR RECORDS
発売中