ケネディ家は声明の中で、緊急電話をかけてマサチューセッツ州ハイアニスポートのケープ岬に立つ一家の邸宅に救命隊員を呼んだと述べた。当初死因は発表されていなかったが、ニューヨーク・タイムズ紙によれば、のちに薬物の過剰摂取の疑いが明らかになった。
「愛するシアーシャを失って、我々の胸は張り裂けんばかりです。彼女の人生は希望と期待と愛にあふれていました」と、遺族は声明を発表し、「世界は今日、昨日よりも少し輝きを失いました」というケネディ・ヒルの祖母エセル・ケネディ氏のコメントを発表した。
ケネディ・ヒルの母親コートニー・ケネディ氏は、1968年に暗殺された民主党の元大統領候補、故ロバート・F・ケネディ氏の11人の子供の1人。父親のポール・マイケル・ヒル氏は、1974年に起きたIRAによるパブ爆破事件の主導者として冤罪を着せられた4人組”ギルフォード・フォー”の1人だった。
ニューヨーク・タイムズ紙によると、ケネディ・ヒルはボストンカレッジの卒業生で、在学中は校内の民主党学生支部の副会長を務めていた他、ボランティアとしてメキシコへ渡り、現地コミュニティの学校建設に携わった。精神疾患を抱えていることを公言し、母校ディアフィールド・アカデミーの学校新聞に熱のこもった記事を寄稿していた。彼女は記事の中で、自殺を考えたこともあると告白している。「大勢の人が苦しんでいます。
ケネディ・ヒルは、若くして亡くなった、あるいは不審な死を遂げたケネディ一家のひとり。こうした現象は「ケネディの呪い」と呼ばれている。彼女の大叔父にあたるジョン・F・ケネディ元大統領は1963年、ダラスのパレード中に暗殺された。その息子でシアーシャのまた従弟にあたるジョン・F・ケネディJr.は1999年、飛行機の墜落事故により39歳でこの世を去った。