プエルトリコ人クィアの女王様、ベティ・ボンデージはこの1年で、FacebookとInstagramのアカウントを6回以上停止された。

フィリピン人Xジェンダーの教師兼活動家兼セックスワーカー、ミア・リトルは昨年2度もInstagramを前触れもなくいきなり永久閉鎖された。
アダルト業界のエンターテイナー、アーティスト、活動家たちが大手ソーシャルネットワークから締め出されることが、次第に当たり前になってきた。

1996年、議会は「インターネット版憲法改正第1条」、つまり通信品位法第230条を制定した。この法律は、インターネットがこの20年間で栄華を極めるための魔法の言葉をもたらした。「インタラクティブコンピューターサービスのプロバイダまたはユーザーは、別の情報コンテンツ提供者からの情報の発信者または発話者とは見なされない」というものだ。

年明け、この条文にいささか厄介な改正が施された。そしてすでに社会とWEBとの関係は変わり始めている。
上院で可決された「性的人身売買防止法」と下院で可決された「オンライン上での性的人身売買対策法」(2つ合わせて通称SESTA/FOSTA)の2つの連邦法のおかげで、ネット上の言論に関するアメリカの政策に、猥褻・ストーカー行為・ハラスメント・人身売買が絡んだ「犯罪の抑制かつ処罰のために、刑法を厳格に適用する」との文言が盛り込まれた――そして、発信側のプラットフォームにも責任が課された。

そして今、Facebookは性的コミュニケーションを匂わせる「意味深な絵文字」の使用に対する厳しい対策を打ち出すところまで来た――そそるような鏡越しのセクシー自撮りに、茄子や桃の絵文字を使える時代はまもなく終わりを迎えるのだ。Instagramの代理人ステファニー・オトウェイ氏はメールで、同社の対策は「ヌード画像やセックス、またはセックスパートナーやセックストークを間接的に、またはそれとなく要求して」絵文字が使われる場合に限られる、と明言した。

「コミュニティ・ガイドライン」の文面が進化するにつれ、インターネットをよすがに生きる一部の人々がとばっちりを食っている。SESTA/FOSTAの制定後、アダルトコミュニティを支えてきた多くのサイトが閉鎖したため、この1年セックスワーカーたちはそれまで広告やスクリーニングの場の多くを失ってしまった。あらゆる類のセックス、セクシャリティ、性の健康の話題がネット上で一気に冷え込んだため、存在をアピールし続けることが難しくなった他にも、コミュニティの取り締まりの文化も衰退してしまい、その結果、すでに追いやられていた集団や話題は、さらに疎外され、嫌がらせを受け、口を閉じざるを得なくなった。


なぜPornHubのアカウントは閉鎖されないのか?

これに対抗すべくアダルト業界は、ユーザーがコンテンツを共有し、コミュニティを構築できる独自のプラットフォームの製作と資金投入に注力している。ポルノ界の「アカデミー賞」とも言うべきAdult Video Newsも最近ソーシャルネットワークを立ち上げた。機能はTwitterとほぼ変わらないが、パフォーマーは自分たちのコンテンツを見るために課金させることができる。同様に、FanCentroやOnlyFansといったサイトも健闘している。動画サイトのフロントランナーPornHubも、いまやソーシャルネットワーク機能がメインだ。

元エスコート嬢でアダルト業界の企業家リディア・ドゥプラ氏は、2017年に女性専用のソーシャルネットワークHeauxを立ち上げた。
自らの立場を発信者としてとらえる彼女はネットいじめやヌード画像に対し厳格なポリシーを貫き、勧誘やハラスメントのパターンが見られるアカウントを定期的に削除している。アプリやオンラインショップへのトラフィック増加には主にメインストリームのソーシャルメディアを利用しているが、彼女自身もコンテンツやアカウントのトラブルを受けた経験がある。それでもドゥプラ氏は、法律の現状やプラットフォームとの契約内容に及ぼす影響に目を光らせ、常に情報収集していれば、アダルト業界の演者や企業家も主流SNSでグッズやサービスを宣伝できる手はある、と主張する。

例えばPornHubはInstagramで800万人以上のフォロワーを抱え、何年もアカウントを閉鎖されずに維持している点を彼女は指摘した――間違いなく、法律の専門家集団がコンプライアンスを徹底していることも理由のひとつだ。複雑でしょっちゅう変更される利用規約を守ってくれる聡明かつ物分かりもいいユーザーには、普通新規起業家は決して手の届かない、無料広告という奥の手を褒美として与えてやればいい。ドゥプラ氏も、これはフェアな取引だと言う。


だが、インターネットの民営化を推し進める戦略は、言論の自由の存在危機に対する解決法としては不満が残りそうだし、何より持続的ではない。憲法修正第1条はアップルパイと野球を合わせたよりも「アメリカを代表する」ものだが、民間企業には全く適用されない。そのうちネット上での発言は、気に入らなければどんな人でも黙らせる権限を持った民間企業が運営するプラットフォーム上にしか存在しなくなるかもしれない。

我々は、インターネットがもはや双方向情報通信網ではなくなり、コンテンツの価値を判断する民間企業の私有地と化した時代を迎えているのかもしれない。もっと悪く言えば、インターネットは抑制や処罰のための司法制度と化したのかもしれない――可能性に満ちた1996年当時の姿とは大違いだ。

単にFacebookを抹消すれば解決するわけでもない。
求めるべきは、インターネットの成長を育む政策だ。そして権力にいる人間が発言やアクセスを制限することで既に社会の隅に追いやられている人々や集団がさらに疎外され、嫌がらせを受け、口をつぐまねばならなくなった時、彼らに責任を負わせなくてはならない。

インターネットは人類の歴史上他に例を見ないほど、我々を結びつけ、魅了し、生活を変えた。広大かつ強大な資源であるインターネットを、我々は力の限りを尽くして、富や権力に飢えた人々の規制や搾取の手から守らねばならない。未来の世代が処罰や抑制ではなく、維持や成長に価値を置くネット環境を得られるように。