2010年代も、音楽史に残るアイコンたちがこの世を去ったり引退していってしまったが、彼らの人気は衰えていない。映画『ボヘミアン・ラプソディ』をはじめとする伝記映画やホログラムなど、様々な方法で復活を遂げている。


「今クイーンとして活動していると、まるで昔に戻ったような気がする。バンドは全盛期と同じ位ビッグになっている」とブライアン・メイは、2017年にローリングストーン誌に語っている。映画『ボヘミアン・ラプソディ』が公開される1年前のことだ。同伝記映画はその後、ポップカルチャーの大ヒット作となる。しかしフロントマンのフレディ・マーキュリーの死から20数年が経ち、ヒット映画の公開前の時点でも、ギタリストのメイは自分たちが世界のトップにいると感じていた。「アリーナでプレイできる自分たちを誇らしく思っているし、幸運でもある。
何せこれまでに僕らがやってきたどのコンサートよりもスケールが大きくなっているんだからね。」

ジム・モリソン、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス同様、マーキュリーも死後さらに名を揚げた。ただしマーキュリーの場合は、それら先輩アーティストとは違った形で死後のレガシーが作り上げられている。彼自身とクイーンの一員として作った彼の作品が、芸術的にますます盛り上がるエネルギー源として、レガシーを形成するプラットフォームになっている。例えば映画作品賞を受賞した大ヒット作『ボヘミアン・ラプソディ』や、マーキュリーの代わりにアダム・ランバートが参加したクイーンのアリーナツアー、そしてさまざまなリイシューやアーカイヴのリリースなどがそうだ。『ボヘミアン・ラプソディ』は全世界で10億ドル近い興行収入を記録し、クイーンの楽曲のストリーミング回数は3倍以上に増えた。さらにYouTube上のMV「Bohemian Rhapsody」の再生回数は、10億回を超えた。
2010年代に差し掛かるとクイーンは、かつての姿を取り戻した。2008年にリリースされた最新のスタジオアルバム『The Cosmos Rocks』は元バッド・カンパニーのポール・ロジャースがヴォーカルを務め、かろうじてトップ50に入る程度だった。しかしそれから10年後、クイーンは再びロック界で最も儲けるバンドの仲間に加わったのだ。

2010年にクイーンが移籍したユニバーサル・ミュージック・グループ傘下のUmeにとって、バンドの成功は必然といえる。Umeでは、5年先のバンドの姿を描いていた。ただ、どの程度ビッグになるかは未知だった。
「映画がヒットする前から、私たちは大きな成功を確信していた。なぜなら彼らの音楽は皆に愛され、受け入れられていたからだ」と、Umeでコンテンツ制作と国際マーケティングを担当するアンドリュー・ドー副社長は言う。「本格的なキャンペーンに入ると、私たちは予算をもっと注ぎ込んで作品をどんどん紹介し、人々に映画を知ってもらう努力をするだけだった」。

クイーンの最近の成功に劣らず驚きなのは、彼らだけが決して特別な例ではないということだ。この10年は以前にも増して多くのアイコン的な有名ミュージシャンがこの世を去った。そして次の10年は、80年代を飾ったベビーブーマー世代のクラシックロッカーたちを中心に、さらに多くのアイコン的ミュージシャンとの永遠の別れが訪れるだろう。
しかしアーティスト本人と彼らの作品は、最新技術によって死後も生き続けるのだ。時は刻々と進み、クラシックロックはどんどん古くなっていくかもしれない。しかしバンドをブランド化することで、クラシックロックのミュージシャンが永遠に生き続ける道を見出したのだ。

ホログラムのおかげで生き返り、ツアーを続けるレジェンド(フランク・ザッパ、ロイ・オービソン)もいれば、生き残ったメンバー同士で再結成したバンド(デッド・アンド・カンパニー)もある。さらにブロードウェイのミュージカルとなったミュージシャン(ティナ・ターナー、ザ・テンプテーションズ)など、さまざまな形で生き続けている。バイタリティ溢れるミュージシャンたちは、自叙伝を書いたり、ウィスキーのブランドを立ち上げたりしている。
また映画のサウンドトラック向けにリミックスした楽曲をライセンス提供したり、昔の作品をリイシューして復活させたりもしている。さらに、自分よりも若いヒットメーカーと手を組むミュージシャンもいる。そしておそらく最も驚くべき事実は、ガンズ・アンド・ローゼズやエアロスミスらを見ればわかる通り、「ラスベガス・レジデンシー(ラスベガスでの長期公演)」という言葉がもはや「ミュージシャンの終焉」を意味する訳ではないということだ。この10年で映画『ボヘミアン・ラプソディ』のほかにも、ブライアン・ウィルソン、ザ・ランナウェイズ、ジェームズ・ブラウン、N.W.A.ら多くのミュージシャンの伝記映画が成功している。エルトン・ジョンは引退ツアーに合わせて伝記映画『ロケットマン』を公開し、全世界合計で2億ドル(約220億円)の興行収入を上げた。

時は刻々と進み、クラシックロックはどんどん古くなっていくかもしれない。
しかしバンドをブランド化することで、クラシックロックのミュージシャンが永遠に生き続ける道を見出したのだ。

「劇的な変化は、メディアの集中化が進行していることだ」と、Umeの社長兼CEOのブルース・レスニコフは言う。「アーティストのレコーディングやライヴのキャリアとストーリーテリングとの新たな関係性が生まれている。彼らの映画やドキュメンタリーがそれを物語っている。戦略的に言えば、我々が行なっているのは作品を売り出すことではなく、ブランドとの提携やブランド・マネジメントだ。ビッグなアーティストほどフランチャイズやブランドを持っている。だから我々もただレコード製作に関わるだけでなく、今ではメジャーなアーティストにフランチャイズ専門チームを付けている。だからクイーンでもエルトン・ジョンでも、或いはザ・ビートルズだろうがザ・ローリング・ストーンズだろうが、我々はフランチャイズ権を得てビジネスパートナーとして提携しているのだ。このやり方は第一線のレーベルと現代のアーティストとの関係に酷似している。」

「だから我々はアーティストのマネジメントと共に、全てのメディアを一点に集中させる戦略を綿密に計画している」とレスニコフは続ける。「ツアー、映画、本、音楽、ストリーミングなど、戦略はアーティストによってさまざまだ。その中で際立つために一役買っているのが流行りのデジタルテクノロジーで、今ではファンやオーディエンスに直接働きかけ、以前よりも幅広く若い世代に広めることができる。特に広く若い世代へという点では、この10年で大きく変わったと思う」。

クイーンが(アダム)ランバートと共演したのが2009年のことで、その後2014年に本格的なツアーをスタートさせ、年間数十回のコンサートをこなした。ランバートはフレディ・マーキュリーの単なるモノマネでなくバンドのプレイも素晴らしいという評判が広まると、マディソン・スクエア・ガーデンでツアーを締めくくるようなバンドになった。同じように他のクラシックロックのバンドも、主要メンバー抜きで新たな足掛かりを見出した。フリートウッド・マックは、2018年にリンジー・バッキンガムが脱退したものの道を踏み誤ることなく、元トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのマイク・キャンベルと元クラウデッド・ハウスのニール・フィンを加入させて、アリーナツアーを続けた。またイーグルスは、2016年にグレン・フライが亡くなって間もなく彼の息子ディーコン・フライとヴィンス・ギルを迎えてライヴ活動を再開し、ホテル・カリフォルニア・ツアーを成功させた。フリートウッド・マックとイーグルスのファンはどちらもライヴで彼らのプレイが観られることを歓迎し、1枚100ドル(約1万1000円)の高額なチケット料金にも文句を言う者はいなかった。

例えばプリンスのザ・レヴォリューションやザ・ニュー・パワー・ジェネレーションのように、この世を去ったアーティストのバックバンドが再結成してツアーを行うケースもある。またホーリー・ホーリーは、デヴィッド・ボウイと長い間組んだプロデューサーのトニー・ヴィスコンティも参加するボウイのトリビュート・スーパーバンドで、バックバンドの再結成と同様の活動をしている。今は亡きアーティストがステージに立つこともある。2012年のコーチェラ・ミュージック・フェスティバルのドクター・ドレーとスヌープ・ドッグのステージには、ホログラムのトゥパック・シャクール(2Pac)が登場した。ホログラム技術のおかげで死後もツアーを続けられるのだ。最近では、フランク・ザッパ、ロイ・オービソン、バディ・ホリー、ロニー・ジェイムズ・ディオらがホログラムで生き返り、再びツアーに参加している。ステージに立つ亡霊に合わせてバックバンドがプレイしたり、新たにオーケストラと共演する亡きアーティストもいる。所詮ニセモノなのだが、ファンにとっては幾ら支払っても観たいものだ。2019年に行われたフランク・ザッパのホログラム・ツアーのチケットは125ドル(約1万4000円)で、コンサートの約4分の3がソールドアウトだった。ロイ・オービソンの場合もほぼ同じ興行成績を上げた。

この10年でミュージシャンの遺産管理者にとって、亡きアーティストのブランドを蘇らせるためのさまざまな道が開けた。アーティストによっては、生前の作品を死後にどのように扱うかを予め決めている。例えばデヴィッド・ボウイは、死後に自分の全作品をどのように復活させるかを綿密に計画していた。だが従来は、アーティストの遺産管理者自身が方針を決定しなければならなかった。

2016年にこの世を去ったプリンスは遺言を残していなかったため、彼の遺した資産を巡って家族の間で激しい争いが起きた。事態を収拾するため、ワーナー・ブラザースでプリンスのA&R(アーティスト&レパートリー)を担当していたマイケル・ハウが遺産管理団体の記録責任者に任命された。プリンスの死後、遺産管理団体は『Purple Rain』と『1999』の超デラックス・ボックスセットのほか、プリンスが他のアーティストに提供した楽曲のデモを集めたアルバムをリリースした。プリンスは生前『Purple Rain』のリイシューの準備に関わっていたものの、ハウ曰く「細かく計画されていた」訳ではないという。

「我々が今しようとしていることが、プリンス本人が本当に望んでいたかどうかを考えると、夜も眠れない」とハウはローリングストーン誌に語っている。「確信をもって明確に断言できる者は誰もいない。しかしこの手の案件の基本方針として、作品の拡張版をリリースする場合、プリンスが生きていたら楽曲全体に対して求めたであろう完璧さと尊敬の念と誠意をもって、意思決定プロセスの初めから取り組むべきだ」。

アーティストの遺志を受け継ぎやすい例もある。1993年にこの世を去ったフランク・ザッパは、未亡人のゲイルが彼の遺産を管理し、2015年に彼女が亡くなった後は息子のアーメットが引き継いだ。アーメットはアイリュージョンのグローバル事業開発担当執行副社長も務め、フランク・ザッパのホログラム・ライヴの実現に貢献した。彼曰く、父フランクもホログラムのライヴに乗り気だったに違いないという。フランクは自叙伝の中で、「数十億ドルになり得る」ホログラムの特許のアイディアを持っていたことを明かしている。アーメットは数年かけてバンドメンバーを集め、ツアーに出て彼自身がステージで歌うこともあった。

「アーメットは正に起業家向きの人間で、我々としても動くザッパのツアーを実現したいと思っていた」とUmeでザッパ作品を担当する前出のドー副社長は言う。「これは彼がフランク・ザッパ・ブランドで実現したいと思っているものの始まりに過ぎない。」

「僕は(ホログラム・コンサートが)本当に特別なものになって欲しいと思っている」とアーメットはローリングストーン誌に語った。「どのアーティストもいつかは亡くなる。今回のような魔法の体験を再現するには、テクノロジーを使って人々を惹きつけ、音楽を聴いてもらうことだ」。