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「slide-slide-slippity-slide」という歌詞のごとく、クーリオはあらゆる人々をプラス思考へと誘導した。彼の「Fantastic Voyage」や「1,2,3,4(Sumpin New)」といったヒット曲と比べると、当時のラジオから流れてくるネガティブな連中の曲はどれもうさん臭く聴こえた。
「Fantastic Voyage」はどのポップミュージックとも一線を画していた。当時はラップ系からロック系まで、どのラジオ局も負のスパイラルに陥っていた(この曲がリリースされたのはカート・コバーンの死からわずか数週間後だった)。クーリオは「Fantastic Voyage」の元ネタとして、中西部のR&Bバンド、レイクサイドによる1980年の快楽主義的なダンスフロアの名曲をひっぱってきた。秀逸なデビューアルバム『It Takes a Thief』に収録されたこの曲は、クーリオの出世作となった。本人も言うように、「ヒップがなければホップもない」。「俺は『It Takes a Thief』のおかげで仲間たちから気に入られた」と、2017年のローリングストーン誌の取材でも語っている。「それから『Gangstas Paradise』――あの曲で白人からも気に入られた」
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クーリオの「slippity-slide(しなやかに世間を渡る)」美学は当時新鮮だったが、今もしっかり根付いている。90年代ポップカルチャーで彼が開拓した独自路線は、1995年のティーンムービーの決定版『クルーレス』で見事に表現されている。
クーリオは決して歩みを止めることなく、突き進み続けた。ここ数年は家族と出演したリアリティ番組『Coolios Rules』や、WEB動画シリーズ『Cookin With Coolio』といったプロジェクトにも手を広げ、同名の料理本には本人が考案した「ゲットー・グルメ」料理のレシピが満載だ。「厨房のポン引き王」を自称する彼のレシピには、「ブロゲッティ・パスタ」や「チキンレタスロール」などがある。2017年には「俺は料理できるんだぜ。料理だったらラップと同じぐらい上手くやれる――ラップにも劣らない腕前だ」と語っていた。
「Gangstas Paradise」誕生秘話
もっとも有名なヒット曲といえば、1995年の「Gangstas Paradise」だ。スティーヴィー・ワンダーの「楽園の彼方へ」にのせてゲットー生活の苦難をラップしたこの曲は、ちょうど46年前のクーリオの命日の前日にリリースされた。ミシェエル・ファイファーの映画『デンジャラス・マインド』のサントラからの1曲で、ゴスペルシンガーL.V.が力強いボーカルを添えている。「Gangstas Paradise」はビルボード・シングルチャートで1位に輝き、その年の最多セールス・シングルとなった。彼がこの曲を書いたのは、プロデューサーがスティーヴィー・ワンダーの曲を演奏するのを耳に挟んだのがきっかけだった。
彼はその場でまるまる1曲を作り上げた。「俺は神様からの力添えだったと信じたいね」と、彼はローリングストーン誌に語った。「『Gangstas Paradise』がこの世に生まれたがっていたんだ。息を吹き込んでもらおうと、俺を媒介に選んだんだ」(この曲はのちにアル・ヤンコビック90年代最大のヒット曲「Amish Paradise」となった)。ライム部分の卑猥な文言にスティーヴィー・ワンダーが難色をを示すと、クーリオはオリジナルからそれらを削除した。ビルボード・ミュージック・アワード授賞式では、クーリオとL.V.にワンダーもステージに加わって、聖歌隊を交えながら両方のバージョンを見事に披露した。
アルバム『Gangstas Paradise』からは数々のヒット曲が生まれた。クール&ザ・ギャングのディスコビートに乗せて、TLCの「Waterfalls」のように安全なセックスを呼びかける「Too Hot」(「最初は計画したつもりでも、結局は筋書き通り」)。ダンスフロアへと誘う「1,2,3,4(Sumpin New)」――信じられないかもしれないが、当時この曲をリリースすることは、「Gangstas Paradise」以上に商業的に危険を伴っていた。
「金を稼げ。稼げるうちにね」
クーリオはヒット曲を送り出し続け、1997年にはパッヘルベルのカノンのループにのせて、亡くなった同郷の仲間を偲んでラップした「C U When U Get There」をリリースした。またカントリーの伝説的存在ケニー・ロジャースとタッグを組んで、現代版「ザ・ギャンブラー」とも言うべき「The Hustler」をデュエット。この曲はいかにも2001年らしいタイトルのアルバム『Coolio.Com』に収録され、ミュージックビデオでも共演した。2006年に『The Return of the Gangsta』で活動を再開した際には、「Gangsta Walk」でスヌープ・ドッグとも共演した。
クーリオは90年代をテーマにした番組やフェスティバルでも常に主役を張り、ライブの腕が落ちていないことを証明した。2017年の「I Love the Nineties」ツアーで、コネチカット州ブリッジポートのアリーナの楽屋で彼と話をする機会があった。期待にたがわず、クーリオはこれ以上ないほど気さくな男だった。
クーリオはラップシーンについて、長い年月での変わりようについてあれこれ語った。だが他の同世代のラッパーとは違い、新世代のスターについて苦々しい思いは少しも抱いていなかった。「昔はクラックの時代だった」と彼は言った。「今はポスト・クラック時代――メタンフェミンの時代だ。マンブルラップの連中は、クラック時代の親から生まれた。多少常軌を逸しておかしなことをしたとしても、あいつらのせいじゃない。
マイクを修理し終わると、彼はエクスカリバーのように誇らしく掲げた。「マイクカリバーだ」と言ってマイクを振り回し、ロックスターのような仰々しいポーズをとった。サックス奏者のJarezが言う。「俺たちは彼を黒人ヴァン・ヘイレンって呼んでる。いわば、ゲットーのピーター・パンさ」
「バング・ヘイレンって呼んでくれよ」とクーリオ。「ギャング・バング・ヘイレンだ」 バング・ヘイレンよ、安らかに眠り給え。さらばクーリオ――偉大なるアーティスト。Slide-slide-slippity-slideよ、永遠なれ。
From Rolling Stone US