アーロン・パークス(Aaron Parks)は2010年代以降のジャズに多大な影響を与えてきた。特に2008年にブルーノートから発表した『Invisible Cinema』は紛れもなく時代を代表する名盤だ。
そこからしばらくアーロンはECMからソロピアノやピアノトリオでの作品を発表し続け、『Invisible Cinema』的な表現からは離れていたのだが、水面下では新たな一歩を模索していた。それが実ったのが2018年の『Little Big』。ウォー・オン・ドラッグスの作品を手掛けたダニエル・シュレットや、グリズリー・ベアのクリス・テイラーの手を借り、ポストプロダクションを駆使して、『Invisible Cinema』の頃にはできなかったことも形にしていた。2020年の続編『Little Big Ⅱ』でも、さらにその方向性を推し進めている。
そして2024年、アーロンは再びブルーノートと契約し、このプロジェクトの3作目『Little Big Ⅲ』を発表した。Little Big名義になってからの試行錯誤の延長にありながら、馬場智章『ELECTRIC RIDER』にも参加していた新鋭ドラマーのJK Kimが加入したこともあり、ライブ感が一気に増している。
ここではアーロンにLittle Bigのプロジェクトを振り返ってもらいながら、そこで目指してきたもの、そして現在地について語ってもらった。対話の出発点は2008年の『Invisible Cinema』。アーロンの復帰に伴い、ブルーノートが『Invisible Cinema』をヴァイナルで再発したことも、すべて繋がっているような気がしたからだ。
Little Bigの4人。左からJK Kim(Dr)、デイヴィッド・ギンヤード Jr(Ba)、グレッグ・トゥーイ(Gt)、アーロン・パークス(Photo by Anna Yatskevich)
―Little Bigというプロジェクトのコンセプトを聞かせてください。
アーロン:これはLittle Big に限らず、僕のあらゆる音楽に当てはまることなんだけど、これまで聴いたことがない音楽を作りたかったんだ。即興音楽やジャズ、それと僕が長く聴いてきたロック、エレクトロニック、シンガーソングライター、その間に存在する音楽がどういうものなのか。それを想像し、見つけ、形にしたいという思い。時折、その二つの間の距離がすごく大きく感じるというか……二つを融合するプロジェクトを聴いても、どこか”挿し木”でもしてるように思えて。「ジャズはここ。そこに少し違うものをくっつけてみよう」とでも言うのか。まるで一体感がないように感じられた。今、Little Bigは最初から目指してた場所に、徐々に近づいている。さっき挙げた色んな要素がスープみたいに溶け合って、今ではもう素材を区別できないくらい、有機的な存在として調和した生き物になっていると思う。
―あなたが過去に関わってきたプロジェクトで、Little Bigと特に関係が深いものは?
アーロン:もう何年も前の『Invisible Cinema』でやろうとしたことは、Little Bigが追求しているアイデアとある意味では同じなんだ。
というのも、このバンドの文脈で即興演奏をどうするか理解するのはとても面白い。曲には和声的に大量の情報が詰まってるわけじゃなくて、シンプルで、複雑な変化も少ない。だからこそ、曲の中で新しい即興演奏の方法を見つけ、学ぶことが求められるんだ。その部分では(ギタリストで共同リーダーの)グレッグ・トゥーイから教えられることが多かったよ。Little Bigでの曲は、時に、僕にとって効率的な即興演奏をするには(曲が)シンプルすぎるんだ。でも徐々に近づくことができていると思う。
Little Bigでのライブ演奏(2018年)
―その即興演奏の方法についてもう少し教えてもらえますか?
アーロン:このプロジェクトで僕が追求してるのは、あくまでも曲の中から生まれる即興演奏だ。トップダウンではないアプローチ……というのかな。
―というのは?
アーロン:テーマは書き出されてて、みんながその旋律を演奏するんだけど、早くテーマ・パートを終わらせて即興パートに行くのが待ちきれない感じ。即興演奏が一番重要なんだと言わんばかりに。でも僕は、楽曲の旋律を演奏することが、即興演奏やソロと同じくらい、生き生きとした表現であることが重要だと考える。そうすることで、ソロはテーマと同じくらい”必然的”なものになる。つまり、二つの間には大きな差があるわけじゃなくて、互いに成長し、関連し合うものなんだ。主題~ソロ~主題ではなく、曲全部で一つのものなんだよ。
―そういった”主題~ソロ~主題ではない即興”を実践していると思えるアーティストは誰になりますか?
アーロン:今の時代は大勢いるよ。
今の時代だったら、ビル・フリゼールがその代表だよね。もちろん彼のソロはエキサイティングでスリリングだ。でもある種、少しの間そこでリラックスして過ごしているだけ、のようでもある。つまりソロを取ることがその楽曲の主旨ではないし、ソロで誰かを感心させなきゃという目的もないんだよ。
ジャズの常識に囚われない音楽観とスタジオワーク
―このプロジェクトを始めた頃、Little Bigに影響を与えたアーティストやアルバムはありますか?
アーロン:あらゆるものが影響源になった。ボーズ・オブ・カナダの『Music Has The Right To Children』、ミシェル・ンデゲオチェロの『Comfort Woman』、そして当然ながらレディオヘッド。彼らがLittle Big に与えた影響は避けられない。
―どれもわかる気がします。
アーロン:ある時期、最先端を追求し、新しいことをするためだけに新しさを求める傾向があったと思うんだ。でも、僕にとっては正直な話、自分にとって「いい音だな」と思える音のほうが大切なんだ。簡単に聞こえるかもしれないけど、シンプルさは苦労しなければ手に入らない。余計なものを全部削ぎ落とし、はじめてシンプルさにたどり着く。心に残って耳から離れないようなダイアトニックなメロディを書くのは、実はとても難しいんだよ。3作目まできた今は、この原則を作曲と演奏のどちらにおいても理解できている。意識して何かをしようとか、すごいソロを見せようとかではなく、お互いを信頼し、バンドの本質が本当の意味でわかってきたんだと思うんだ。
―さっき『Largo』の話をしていましたが、ブラッド・メルドーがロックやエレクトロニック・ミュージックにアプローチしていた頃のサウンドはあなたにとって大きかったんでしょうか?
アーロン:『Largo』に限ってだね。ジョン・ブライオンをプロデューサーに迎え、様々なテクスチャーや音楽要素を取り入れ、スタジオをプロダクション・ツールとして用いたあのアルバムから、あの当時、ものすごくインスパイアされたんだ。Little Bigの過去2作でスタジオをツールとして用い、オーバーダブを重ね、テクスチャーを加え、ささやかなサウンドスケープを作り上げていった手法はまさにその影響だ。
たとえば『Little Big II』の「The Ongoing Pulse of Isness」の曲前の1分間に聞こえるのは、バイノーラルマイクで録音したチャイムの音だ。僕はスタジオを歩き回って、ヴィブラフォンをボウで弾いてみたり、スタジオ自体が一つの楽器であるかのように色んなことを試した。
それに比べると、今回の3作目はずっとシンプルだし、ライブでの僕らのサウンドに近い。何層もオーバーダブを重ねるようなことはしてないよ。唯一、重ねたのは「Delusions」のシンセパート1箇所と1曲目「Flyways」のシェイカーだけ。それ以外のオーバーダブや余計なテクスチャーは加えてない。
―Little Bigではスタジオワークも重要だと思うので、過去作からの変遷についても聞きたいです。1作目の『Little Big』はStrange Weather Studiosを使用し、エンジニアにはダニエル・シュレットを迎えていましたよね。
アーロン:あれはカッサ・オーバーオールの紹介。カッサはシアトルの同じ地域で育った、子供の頃からの古い友人で。僕は彼のアルバム『I Think I'm Good』の数曲で演奏している。
あのスタジオで特に感心したのは、ダニエルが録るドラムサウンドだ。Little Bigというバンドにとって、スタジオでもライブでも、僕らが求めるサウンド、特にドラムの音を理解しているエンジニアの存在がすごく重要なんだ。というのも、多くのジャズレコードで聴かれるのとは違う、よりコンパクトでドライなアプローチが僕らのドラムを録る際に必要で、それには経験と知識が物を言う。ダニエルにはそれがあった。彼が録るドラムは心を引きつける美しさがあるんだ。スタジオのヴァイブも、マッド・サイエンティストのようなダニエルが醸し出すヴァイブも気に入ったんだ。
『Little Big』はいわば建設プロジェクトだった。録音は一回ではなく、ピアノ、ベース、ドラムが5月、ギターが7月……と個別に録られたので、本物の化学反応はない。かなり上手く統合されているけれど、あくまでも作り物だ。まだ自分たちの音を探してる最中だったということもある。なので、スタジオをツールのように使いながら、「グレッグに何ができるか? バンドがギターに求めるものはなんなのか?」と試行錯誤しながらやっていた。そしてライブを重ねるうちにグレッグを含め、全員の演奏が変わっていったんだ。つまり、最初のLittle Big はスタジオでアイデアを追っていたけど、そこから成長し、今はよりライブ的になったということ。
1stの収録曲「Professor Strange Weather」は僕のお気に入りで、あれはダニエルに捧げた曲。まるで実験室でフランケンシュタインが生み出されたみたいに、スタジオで作られた。あるアイデアをループしてピアノ/ベース/ドラム、ピアノのトラックを作り、ピアノだけをミュート。そして残されたベース&ドラムをカットアップして新しいフォルムを作り、その上にグレッグのギターと僕のシンセを即興で乗せたんだ。この時は二人一緒にスタジオで音を重ねていったので、さっきの話で言えば、化学反応はあったね。そしてそれを支えていたのが、ダニエルのスタジオ魔術師のようなアプローチだったんだ。
―2作目の『Little Big II』ではスタジオがBrooklyn Recordingが使われ、エンジニアはアンディ・タウブが務めています。
アーロン:あそこは僕のホームスタジオだった。(スタジオがある)ブルックリンのコブル・ヒルまでは、家から歩いて5分。新しいピアノが入った時は慣らし弾きのために鍵を渡され、夜中に行って弾いていたくらいだ。『Invisible Cinema』もそうだし、他にもたくさんのレコーディングをあそこでしたよ。アンディもダニエル同様、マッド・サイエンティストだ。行くたびに違うマイキングを試すんだけど、いつだってユニークで魅力あるサウンドになるんだ。共同プロデュースとミックスはグリズリー・ベアのクリス・テイラーで、彼がスタジオにいることで貴重な洞察力が加わったと思う。
あのアルバムでは2曲目の「Here」が一番好きだね。というのも、あれは2度テイクをとり、僕らは2回目を終えて「これだ!」と思っていた。ところがクリスに「悪くないけど、最初のを聴き返してみたほうがいい」と言われてそうしたら、確かに彼の言う通りだった。2回目のテイクは下手をすると自己満足すぎるくらいに自信に満ちていて、最初のテイクにあった親密で不安定な、ある種の魔法が欠けていた。それは常にLittle Bigのパラドックスでもあるんだ。僕らの音楽にはすごくたくさんの”特定性”の要素があって、ポップな感覚もあれば、ハーモニーには厳格さもある。曲はまるで宝石箱みたいに、大切なもの以外は何もない、磨き抜かれたシンプルさがあるんだ。でも同時に、完璧すぎるものにはしたくない。”侘び寂び”が必要……というか。器にはヒビが必要なんだ。何かが少しだけ不完全な方が、魔法が生まれる。完璧を目指しながらも、実際は望んでいないという矛盾の音楽ってこと。
ファーストの曲「The Trickstar」でも最初、トミー・クレイトンがドラムスティックを落としたんだけど、その音はそのまま残されている。そして演奏へと続く。その不完全さがあってこそなんだ。レナード・コーエンも言ってたように「すべてのものにはヒビがあり、そこが光が入る場所」ってことだよ。
『Little Big Ⅲ』の進化、JK Kimとの化学反応
―そして今回の『Little Big Ⅲ』は、スタジオはDreamland Recording Studioで、エンジニアはアリエル・シャフィアとなっています。これについては?
アーロン:数年前、ホセ・ジェイムスのクリスマス・アルバムのレコーディングで初めて行った時、すごく気に入ったピアノに出会ったんだ。完璧な澄んだ音というよりは、どこかポンコツで……ペダルから足を離した時の軋むような音は、アルバムでも聴こえると思う。その個性的で魂が宿っているみたいなサウンドに惹かれたんだよ。
しかも、あそこはスタジオの音響がすごくいい。今回レコーディングするにあたって、どう進め、準備すべきかをかなり慎重に考えたんだ。それでまずはShape Shifter Labのマット・ギャリソンの好意で、移転したばかりの新しいブルックリンのスタジオで3日間、リハーサルを行った。そしてスポンサーを募り、スタジオスペース費用の心配をすることなく、音楽と数日間”向き合い””知り合う”時間を設けたんだ。そのあとに3日間、お客さんを前にして、毎晩出来上がったばかりの新しい音楽を演奏した。そうやって1週間の集中した時間の中で新しいレパートリーを仕上げ、バンドの一体感を高め、スタジオに直行したんだ。
―いわゆるジャズのレコーディングとは全く異なるプロセスですね。
アーロン:そう。あと、Dreamlandにしたもう一つの理由は、そこに住み込んで作業ができるからさ。3日間、家族からも離れ、家とスタジオを地下鉄やタクシーで行き来することもなく、小さな自分たちだけのクリエイティブな世界の中に巣篭もりするみたいにレコーディングができた。今後も可能な限り、このやり方でやりたいと思ったよ。バンドって、1箇所に集まって時間を過ごすと、それでしか得られない不思議な一体感みたいなものが生まれるんだ。
―Dreamlandが何をもたらしたのか、もう少し解説してもらえませんか?
アーロン:一つ言えるのは、アリエル・シャフィアが素晴らしいエンジニアだったということ。彼の録音技術のおかげでレコーディング後、ミックスはほとんどしなくてよかったくらいだ。「新たに音を作り変える必要は何もない。これが求めてるサウンドだ」と思えたから。そういうことって滅多にない。アリエルはスタジオを知り尽くした上で、想像力とクリエイティビティを持っている。
例えば「The Machines Say No」のドラム。アルバムにおける「Nefertiti」的瞬間というか、トニー・ウィリアムスmeetsエイフェックス・ツインというか! アリエル自身がドラマーだから生まれたヴァイブだ。レコーディング中、彼はコントロールルームで、JK Kimのプレイに合わせドラムにリバース・ディレイをかけたり外したりしてたんだ。僕らはそのことを何も知らなかった。ところが間違えて、そのリバース・ディレイをかけた音が僕ら全員のヘッドホンに送られてきたので、JKはリアルタイムで、アリエルがマニュピレートした音に反応したんだ。その結果、本当の意味における”エンジニアとライブ演奏のコラボレーション”が起きた。もし、普通にレコーディング後にエフェクトを加える……という過程をたどっていたら、決して起きなかったことだよね。
―エンジニアとのセッション的な瞬間ですか。面白い。
アーロン:それにアリエルからは、ピアノのサウンドやミキシングに関しても多く学んだよ。最初、自分がイメージするよりも、ピアノの音が薄い気がしてたのでそれを彼に告げると「わかった。もう少し厚くすることは可能だ。でも理由があってこうしてるんだ」と言われた。実際、僕が足りないと思ってた厚みが加わった瞬間、全体の周波数スペクトラムが飲み込まれ、ベースやドラムのクリアさやフィーリング、ダイナミックさがすっかり失われてしまった。アリエルからは「ピアノは扱いに注意しないと全てを破壊するデストロイヤーにもなる」と教えられた。だからこのアルバムでのピアノのサウンドは過去のアルバムとは全然違ってるんだよ。
他にもアルバム全体を通して、気づかないような細かいことをたくさん試している。たとえば「Delusions」のラスト近く。あれはピアノのリバーブだけを取り出してループさせたんだ。するとリバーブ自身がフィードバックし始め、グルグルと音が回り、しまいにはコントロールが失われるんだ、良い意味で。
そんなふうに各曲に特有の”音の指紋”のようなものが残されてて、目立たないけど、独自の個性になっているよ。1曲目の「Flyaways」ではピアノとギターはコンピングに徹し、目立つようなソロを弾いたりしない。ただ脈打つ音背景が作られ、エネルギーが高まっていく曲だ。それがいい感じになるように、パンニングを調整した。なので、あの曲のピアノとギターは、他の曲とは少しだけ違う位置に配置されている。そんなごく小さな、考え抜かれた微調整がアルバム全体に散りばめられているんだ。
―ちょうど名前が挙がりましたが、『Little Big Ⅲ』ではドラマーがJK Kimになりましたよね。その理由は?
アーロン:(前任の)トミー・クレインが「ツアーで家を離れる生活を続けたくない」と言ったからだね。僕らジャズ・ミュージシャンは、自家用ジェットで優雅にツアーができるわけじゃない。みんな必死でツアー暮らしを続けているんだ。彼がそう思っているなら、僕が無理に留めることはできない。アルバムはトミーと作り続け、ツアーは別の誰かを探す選択肢もあったけど、Little Bigは本当の意味での「バンド」であってほしい。寄せ集めではダメなんだ。
トミーの後任を探すため、しばらく何人かのドラマーを試していた。2023年のヨーロッパのツアーの4日目に初めて、JK、デイヴィッド(・ギンヤード Jr:Ba)、グレッグのラインナップでやったら、マジカルな感覚があった。「この4人なら4人以上になれる」と思えたんだ。そのギグというのが、ブートレグで出てる『Live in Berlin』だよ。iPhoneのボイスメモが捉えた4人の初めての瞬間だ。JKはメンバー最年少。僕らとは世代が違うしアイデアも新鮮だ。そして、世界で最もポジティブな人間なんだ。
―僕も会ったことがあるのでわかります。眩しいくらい明るい人ですね。
アーロン:僕の4歳の息子はJKが大好きなんだ(笑)。いつも「JKと話せる?」と言ってくる。本人もだし、彼の演奏には子供のような喜びや無邪気さがある。おかげで僕のなかの子供心も呼び起こされ、物事をあまり難しく真剣に考えすぎないように、という気にもさせられるんだ。
Live In Berlin Aaron Parks Little Big
Photo by Anna Yatskevich
何も隠さず、真実を語ろうと思った
―最後に、あなた個人の話を聞かせてください。2022年にご自身の双極性障害についてのエッセイを執筆されてますよね。その件なんですが。
アーロン:うん、OK。
―公表することはすごく勇気が必要だったと思います。でも、あれを読んで、勇気づけられた人もいたと思います。あなたはなぜ、自分のことをあそこまでまっすぐに書いたのでしょうか?
アーロン:「書くことで自分のことをより理解できるようになる」ってことがあるよね? だから書き始めたんだ。それを公表したのは、2週間のツアーをキャンセルしてしまい、迷惑をかけてしまったプロモーターやファンに説明する責任があると感じたのがきっかけだった。書いていくうちに、何も隠さず、真実を語ろうという気になった。その方が潔いし、嘘がないと思った。多くの人がこの手のことを話してくれればいいのに、と思うよ。人間なら誰しも、恥ずかしくて他人に話せないことがあるものだし、似たような悩みや葛藤を抱えているものだ。僕が自分の経験を共有し、それはこういう病気なんだとはっきりさせることで「これが僕の現実なんだ」って言えるから。決してそれは恐れたり恥じたりするものではなく、それに合わせて自分が調整すればいいってことを伝えたかった。曖昧だったものをはっきりさせることで、もう怖くなくなるし、そこから逃げることもなくなるんだ。
―病気を抱えながらもあなたは今も世界中を飛び回っています。その間に曲を書き、作品を録音して、またツアーに出る。私たち日本人はそのおかげでライブを観ることができるわけです。でも、あなたも言及していたように、世界中をツアーすることによるアーティストの身体と心への負担は計り知れませんよね。アーティストが健康でサステナブルに活動できるために、音楽業界や我々リスナーができることはどんなことだと思いますか?
アーロン:いい質問だけど、僕にその答えがあるかな……。ひとつ言えるのはもっとライブ・パフォーマンスへのサポートがあればいいと思う。かつてそうだったように、アーティストが1つのクラブや都市に、たとえば1週間くらい留まって、レジデンス公演を行えたならと思う。毎晩、観客は変わるわけだから、経済的にそれが持続可能なら、アーティストの健康のためにはずっといいよね。訪れた先で、その街や地元の人や文化と触れ合って時間を過ごせれば、アーティストのためにもなる。
ただホテルを渡り歩き、毎日公演をこなすだけの過酷なペースを続けていると、どこにいても、どこにもいないように感じてしまう。最低でも、もう少しオフの日を増やせれば、より健康的で充実したツアーになるわけだけど、経済的にはギリギリでやっていることも多いから、なかなか難しいとは思う。どれくらいキャリアを積んでいるかにもよるだろう。僕にできるのは、十分な休息が取れる日程になっているか気を配ることくらいだ。連日ステージがあるとしたら、それなりに理にかなっているか、世界中を無駄に行ったり来たりしなくて済むようにする。1回だけならいいけれど、連日早朝4時出発のフライト、というのはさすがに辛い。これは精神的な問題を抱える者にとってだけでなく、全ての人にとって重要なことだ。人間らしくあるために、睡眠は不可欠だからね。
アーロン・パークス
『Little Big Ⅲ』
発売中
日本盤;SHM-CD、ボーナス・トラック収録
再生・購入:https://aaron-parks.lnk.to/LittleBigIII
あくまでジャズをベースにしながらも、様々なジャンルを感じさせるアイデアも含まれており、2010年代のジャズ・シーンを予見していたようにも思える。だからこそ、このアルバムは多くのジャズ・ミュージシャンを触発した。ジョシュア・レッドマンやカート・ローゼンウィンケルが自身の作品にアーロンを招き、ケンドリック・スコットをはじめとする同世代にも刺激を与えている。
そこからしばらくアーロンはECMからソロピアノやピアノトリオでの作品を発表し続け、『Invisible Cinema』的な表現からは離れていたのだが、水面下では新たな一歩を模索していた。それが実ったのが2018年の『Little Big』。ウォー・オン・ドラッグスの作品を手掛けたダニエル・シュレットや、グリズリー・ベアのクリス・テイラーの手を借り、ポストプロダクションを駆使して、『Invisible Cinema』の頃にはできなかったことも形にしていた。2020年の続編『Little Big Ⅱ』でも、さらにその方向性を推し進めている。
そして2024年、アーロンは再びブルーノートと契約し、このプロジェクトの3作目『Little Big Ⅲ』を発表した。Little Big名義になってからの試行錯誤の延長にありながら、馬場智章『ELECTRIC RIDER』にも参加していた新鋭ドラマーのJK Kimが加入したこともあり、ライブ感が一気に増している。
ここではアーロンにLittle Bigのプロジェクトを振り返ってもらいながら、そこで目指してきたもの、そして現在地について語ってもらった。対話の出発点は2008年の『Invisible Cinema』。アーロンの復帰に伴い、ブルーノートが『Invisible Cinema』をヴァイナルで再発したことも、すべて繋がっているような気がしたからだ。
Little Bigの4人。左からJK Kim(Dr)、デイヴィッド・ギンヤード Jr(Ba)、グレッグ・トゥーイ(Gt)、アーロン・パークス(Photo by Anna Yatskevich)
―Little Bigというプロジェクトのコンセプトを聞かせてください。
アーロン:これはLittle Big に限らず、僕のあらゆる音楽に当てはまることなんだけど、これまで聴いたことがない音楽を作りたかったんだ。即興音楽やジャズ、それと僕が長く聴いてきたロック、エレクトロニック、シンガーソングライター、その間に存在する音楽がどういうものなのか。それを想像し、見つけ、形にしたいという思い。時折、その二つの間の距離がすごく大きく感じるというか……二つを融合するプロジェクトを聴いても、どこか”挿し木”でもしてるように思えて。「ジャズはここ。そこに少し違うものをくっつけてみよう」とでも言うのか。まるで一体感がないように感じられた。今、Little Bigは最初から目指してた場所に、徐々に近づいている。さっき挙げた色んな要素がスープみたいに溶け合って、今ではもう素材を区別できないくらい、有機的な存在として調和した生き物になっていると思う。
―あなたが過去に関わってきたプロジェクトで、Little Bigと特に関係が深いものは?
アーロン:もう何年も前の『Invisible Cinema』でやろうとしたことは、Little Bigが追求しているアイデアとある意味では同じなんだ。
でもそれを実現するには本物のバンドが必要だと気づくのに時間がかかったし、気付いてからはバンドとして成立させる方法を見つけなければならなかった。あとは個性豊かで、同じ美意識と興味を持つ人たちを集め、じっくりとサウンドを自分たちのものにしていく作業が必要だった。2枚のアルバムを出したら終わるジャズ・プロジェクトではなく、それ以上の何かってこと。これからも構築され、進化し続け、互いに学び合えるものであってほしいからね。
というのも、このバンドの文脈で即興演奏をどうするか理解するのはとても面白い。曲には和声的に大量の情報が詰まってるわけじゃなくて、シンプルで、複雑な変化も少ない。だからこそ、曲の中で新しい即興演奏の方法を見つけ、学ぶことが求められるんだ。その部分では(ギタリストで共同リーダーの)グレッグ・トゥーイから教えられることが多かったよ。Little Bigでの曲は、時に、僕にとって効率的な即興演奏をするには(曲が)シンプルすぎるんだ。でも徐々に近づくことができていると思う。
Little Bigでのライブ演奏(2018年)
―その即興演奏の方法についてもう少し教えてもらえますか?
アーロン:このプロジェクトで僕が追求してるのは、あくまでも曲の中から生まれる即興演奏だ。トップダウンではないアプローチ……というのかな。
「”ずっと練習して編み出した複雑な即興アイデア”をここで演奏するぞ」ではなくて、「どうすれば即興演奏を助けられるか、何が今この即興演奏に必要なのか」を知ること。このバンドでライブをやってて本当に面白いのは、どこで即興が終わり、どこからテーマが始まるか、その境界がわからないことがよくあることだ。だから観客にとっても「ここで即興演奏は終わり」「ここで拍手」「次のパートへ」……とはならない。すべての曲が独立した物語を持っていて、即興演奏があろうがあるまいが、ほとんど関係ない。ジャズ、特にモダンジャズで僕が拒否反応を感じるのは、Sibelius(*楽譜制作ソフト)で書かれた譜面みたいな感じだった時だよね。
―というのは?
アーロン:テーマは書き出されてて、みんながその旋律を演奏するんだけど、早くテーマ・パートを終わらせて即興パートに行くのが待ちきれない感じ。即興演奏が一番重要なんだと言わんばかりに。でも僕は、楽曲の旋律を演奏することが、即興演奏やソロと同じくらい、生き生きとした表現であることが重要だと考える。そうすることで、ソロはテーマと同じくらい”必然的”なものになる。つまり、二つの間には大きな差があるわけじゃなくて、互いに成長し、関連し合うものなんだ。主題~ソロ~主題ではなく、曲全部で一つのものなんだよ。
―そういった”主題~ソロ~主題ではない即興”を実践していると思えるアーティストは誰になりますか?
アーロン:今の時代は大勢いるよ。
でも昔のものでも……たとえばチャーリー・パーカーは決して「ソロに至るまで、メロディを少しぶち込んでおく」ようなことはしない。彼が演奏するテーマにはソロと同じくらい”意図”と生命力と存在感があるし、ソロにはメロディと同じくらいのリリシズムがある。ただメロディを終わらせてアスレチックなことに取りかかるんじゃなくて、全てが絡み合っている。他にもマイルス、ロイ・エルドリッジ、レスター・ヤングなど僕のヒーローたちの多くがそうだ。『Little Big III』を聴いて、すぐさま連想するアーティストではないかもしれないが、その要素はある。
今の時代だったら、ビル・フリゼールがその代表だよね。もちろん彼のソロはエキサイティングでスリリングだ。でもある種、少しの間そこでリラックスして過ごしているだけ、のようでもある。つまりソロを取ることがその楽曲の主旨ではないし、ソロで誰かを感心させなきゃという目的もないんだよ。
ジャズの常識に囚われない音楽観とスタジオワーク
―このプロジェクトを始めた頃、Little Bigに影響を与えたアーティストやアルバムはありますか?
アーロン:あらゆるものが影響源になった。ボーズ・オブ・カナダの『Music Has The Right To Children』、ミシェル・ンデゲオチェロの『Comfort Woman』、そして当然ながらレディオヘッド。彼らがLittle Big に与えた影響は避けられない。
好きなアルバムとなると『In Rainbows』なんだけど、『Hail To the Thief』の不完全さやエレクトロ・アコースティック感……どこか雑で、荒っぽいところがすごく好きなんだ。そういう意味では『Invisible Cinema』はブラッド・メルドーの『Largo』無くしては存在しなかった。彼が「こういうことも可能だ」と手本を見せてくれて、目から鱗が落ちる思いだった。あと、大好きなバンド、Here We Go Magicの『A Different Ship』もLittle Bigにはとても大きい。
―どれもわかる気がします。
アーロン:ある時期、最先端を追求し、新しいことをするためだけに新しさを求める傾向があったと思うんだ。でも、僕にとっては正直な話、自分にとって「いい音だな」と思える音のほうが大切なんだ。簡単に聞こえるかもしれないけど、シンプルさは苦労しなければ手に入らない。余計なものを全部削ぎ落とし、はじめてシンプルさにたどり着く。心に残って耳から離れないようなダイアトニックなメロディを書くのは、実はとても難しいんだよ。3作目まできた今は、この原則を作曲と演奏のどちらにおいても理解できている。意識して何かをしようとか、すごいソロを見せようとかではなく、お互いを信頼し、バンドの本質が本当の意味でわかってきたんだと思うんだ。
そのせいなのか、前2作よりもエキサイティングでスリリングな即興演奏になっている気がする。執着心を手放すことで、逆にそういった興奮やスリルが自然と内側から生まれてくるようになったんだよね。
―さっき『Largo』の話をしていましたが、ブラッド・メルドーがロックやエレクトロニック・ミュージックにアプローチしていた頃のサウンドはあなたにとって大きかったんでしょうか?
アーロン:『Largo』に限ってだね。ジョン・ブライオンをプロデューサーに迎え、様々なテクスチャーや音楽要素を取り入れ、スタジオをプロダクション・ツールとして用いたあのアルバムから、あの当時、ものすごくインスパイアされたんだ。Little Bigの過去2作でスタジオをツールとして用い、オーバーダブを重ね、テクスチャーを加え、ささやかなサウンドスケープを作り上げていった手法はまさにその影響だ。
たとえば『Little Big II』の「The Ongoing Pulse of Isness」の曲前の1分間に聞こえるのは、バイノーラルマイクで録音したチャイムの音だ。僕はスタジオを歩き回って、ヴィブラフォンをボウで弾いてみたり、スタジオ自体が一つの楽器であるかのように色んなことを試した。
それに比べると、今回の3作目はずっとシンプルだし、ライブでの僕らのサウンドに近い。何層もオーバーダブを重ねるようなことはしてないよ。唯一、重ねたのは「Delusions」のシンセパート1箇所と1曲目「Flyways」のシェイカーだけ。それ以外のオーバーダブや余計なテクスチャーは加えてない。
―Little Bigではスタジオワークも重要だと思うので、過去作からの変遷についても聞きたいです。1作目の『Little Big』はStrange Weather Studiosを使用し、エンジニアにはダニエル・シュレットを迎えていましたよね。
アーロン:あれはカッサ・オーバーオールの紹介。カッサはシアトルの同じ地域で育った、子供の頃からの古い友人で。僕は彼のアルバム『I Think I'm Good』の数曲で演奏している。
あのスタジオで特に感心したのは、ダニエルが録るドラムサウンドだ。Little Bigというバンドにとって、スタジオでもライブでも、僕らが求めるサウンド、特にドラムの音を理解しているエンジニアの存在がすごく重要なんだ。というのも、多くのジャズレコードで聴かれるのとは違う、よりコンパクトでドライなアプローチが僕らのドラムを録る際に必要で、それには経験と知識が物を言う。ダニエルにはそれがあった。彼が録るドラムは心を引きつける美しさがあるんだ。スタジオのヴァイブも、マッド・サイエンティストのようなダニエルが醸し出すヴァイブも気に入ったんだ。
『Little Big』はいわば建設プロジェクトだった。録音は一回ではなく、ピアノ、ベース、ドラムが5月、ギターが7月……と個別に録られたので、本物の化学反応はない。かなり上手く統合されているけれど、あくまでも作り物だ。まだ自分たちの音を探してる最中だったということもある。なので、スタジオをツールのように使いながら、「グレッグに何ができるか? バンドがギターに求めるものはなんなのか?」と試行錯誤しながらやっていた。そしてライブを重ねるうちにグレッグを含め、全員の演奏が変わっていったんだ。つまり、最初のLittle Big はスタジオでアイデアを追っていたけど、そこから成長し、今はよりライブ的になったということ。
1stの収録曲「Professor Strange Weather」は僕のお気に入りで、あれはダニエルに捧げた曲。まるで実験室でフランケンシュタインが生み出されたみたいに、スタジオで作られた。あるアイデアをループしてピアノ/ベース/ドラム、ピアノのトラックを作り、ピアノだけをミュート。そして残されたベース&ドラムをカットアップして新しいフォルムを作り、その上にグレッグのギターと僕のシンセを即興で乗せたんだ。この時は二人一緒にスタジオで音を重ねていったので、さっきの話で言えば、化学反応はあったね。そしてそれを支えていたのが、ダニエルのスタジオ魔術師のようなアプローチだったんだ。
―2作目の『Little Big II』ではスタジオがBrooklyn Recordingが使われ、エンジニアはアンディ・タウブが務めています。
アーロン:あそこは僕のホームスタジオだった。(スタジオがある)ブルックリンのコブル・ヒルまでは、家から歩いて5分。新しいピアノが入った時は慣らし弾きのために鍵を渡され、夜中に行って弾いていたくらいだ。『Invisible Cinema』もそうだし、他にもたくさんのレコーディングをあそこでしたよ。アンディもダニエル同様、マッド・サイエンティストだ。行くたびに違うマイキングを試すんだけど、いつだってユニークで魅力あるサウンドになるんだ。共同プロデュースとミックスはグリズリー・ベアのクリス・テイラーで、彼がスタジオにいることで貴重な洞察力が加わったと思う。
あのアルバムでは2曲目の「Here」が一番好きだね。というのも、あれは2度テイクをとり、僕らは2回目を終えて「これだ!」と思っていた。ところがクリスに「悪くないけど、最初のを聴き返してみたほうがいい」と言われてそうしたら、確かに彼の言う通りだった。2回目のテイクは下手をすると自己満足すぎるくらいに自信に満ちていて、最初のテイクにあった親密で不安定な、ある種の魔法が欠けていた。それは常にLittle Bigのパラドックスでもあるんだ。僕らの音楽にはすごくたくさんの”特定性”の要素があって、ポップな感覚もあれば、ハーモニーには厳格さもある。曲はまるで宝石箱みたいに、大切なもの以外は何もない、磨き抜かれたシンプルさがあるんだ。でも同時に、完璧すぎるものにはしたくない。”侘び寂び”が必要……というか。器にはヒビが必要なんだ。何かが少しだけ不完全な方が、魔法が生まれる。完璧を目指しながらも、実際は望んでいないという矛盾の音楽ってこと。
ファーストの曲「The Trickstar」でも最初、トミー・クレイトンがドラムスティックを落としたんだけど、その音はそのまま残されている。そして演奏へと続く。その不完全さがあってこそなんだ。レナード・コーエンも言ってたように「すべてのものにはヒビがあり、そこが光が入る場所」ってことだよ。
『Little Big Ⅲ』の進化、JK Kimとの化学反応
―そして今回の『Little Big Ⅲ』は、スタジオはDreamland Recording Studioで、エンジニアはアリエル・シャフィアとなっています。これについては?
アーロン:数年前、ホセ・ジェイムスのクリスマス・アルバムのレコーディングで初めて行った時、すごく気に入ったピアノに出会ったんだ。完璧な澄んだ音というよりは、どこかポンコツで……ペダルから足を離した時の軋むような音は、アルバムでも聴こえると思う。その個性的で魂が宿っているみたいなサウンドに惹かれたんだよ。
しかも、あそこはスタジオの音響がすごくいい。今回レコーディングするにあたって、どう進め、準備すべきかをかなり慎重に考えたんだ。それでまずはShape Shifter Labのマット・ギャリソンの好意で、移転したばかりの新しいブルックリンのスタジオで3日間、リハーサルを行った。そしてスポンサーを募り、スタジオスペース費用の心配をすることなく、音楽と数日間”向き合い””知り合う”時間を設けたんだ。そのあとに3日間、お客さんを前にして、毎晩出来上がったばかりの新しい音楽を演奏した。そうやって1週間の集中した時間の中で新しいレパートリーを仕上げ、バンドの一体感を高め、スタジオに直行したんだ。
―いわゆるジャズのレコーディングとは全く異なるプロセスですね。
アーロン:そう。あと、Dreamlandにしたもう一つの理由は、そこに住み込んで作業ができるからさ。3日間、家族からも離れ、家とスタジオを地下鉄やタクシーで行き来することもなく、小さな自分たちだけのクリエイティブな世界の中に巣篭もりするみたいにレコーディングができた。今後も可能な限り、このやり方でやりたいと思ったよ。バンドって、1箇所に集まって時間を過ごすと、それでしか得られない不思議な一体感みたいなものが生まれるんだ。
―Dreamlandが何をもたらしたのか、もう少し解説してもらえませんか?
アーロン:一つ言えるのは、アリエル・シャフィアが素晴らしいエンジニアだったということ。彼の録音技術のおかげでレコーディング後、ミックスはほとんどしなくてよかったくらいだ。「新たに音を作り変える必要は何もない。これが求めてるサウンドだ」と思えたから。そういうことって滅多にない。アリエルはスタジオを知り尽くした上で、想像力とクリエイティビティを持っている。
例えば「The Machines Say No」のドラム。アルバムにおける「Nefertiti」的瞬間というか、トニー・ウィリアムスmeetsエイフェックス・ツインというか! アリエル自身がドラマーだから生まれたヴァイブだ。レコーディング中、彼はコントロールルームで、JK Kimのプレイに合わせドラムにリバース・ディレイをかけたり外したりしてたんだ。僕らはそのことを何も知らなかった。ところが間違えて、そのリバース・ディレイをかけた音が僕ら全員のヘッドホンに送られてきたので、JKはリアルタイムで、アリエルがマニュピレートした音に反応したんだ。その結果、本当の意味における”エンジニアとライブ演奏のコラボレーション”が起きた。もし、普通にレコーディング後にエフェクトを加える……という過程をたどっていたら、決して起きなかったことだよね。
―エンジニアとのセッション的な瞬間ですか。面白い。
アーロン:それにアリエルからは、ピアノのサウンドやミキシングに関しても多く学んだよ。最初、自分がイメージするよりも、ピアノの音が薄い気がしてたのでそれを彼に告げると「わかった。もう少し厚くすることは可能だ。でも理由があってこうしてるんだ」と言われた。実際、僕が足りないと思ってた厚みが加わった瞬間、全体の周波数スペクトラムが飲み込まれ、ベースやドラムのクリアさやフィーリング、ダイナミックさがすっかり失われてしまった。アリエルからは「ピアノは扱いに注意しないと全てを破壊するデストロイヤーにもなる」と教えられた。だからこのアルバムでのピアノのサウンドは過去のアルバムとは全然違ってるんだよ。
他にもアルバム全体を通して、気づかないような細かいことをたくさん試している。たとえば「Delusions」のラスト近く。あれはピアノのリバーブだけを取り出してループさせたんだ。するとリバーブ自身がフィードバックし始め、グルグルと音が回り、しまいにはコントロールが失われるんだ、良い意味で。
そんなふうに各曲に特有の”音の指紋”のようなものが残されてて、目立たないけど、独自の個性になっているよ。1曲目の「Flyaways」ではピアノとギターはコンピングに徹し、目立つようなソロを弾いたりしない。ただ脈打つ音背景が作られ、エネルギーが高まっていく曲だ。それがいい感じになるように、パンニングを調整した。なので、あの曲のピアノとギターは、他の曲とは少しだけ違う位置に配置されている。そんなごく小さな、考え抜かれた微調整がアルバム全体に散りばめられているんだ。
―ちょうど名前が挙がりましたが、『Little Big Ⅲ』ではドラマーがJK Kimになりましたよね。その理由は?
アーロン:(前任の)トミー・クレインが「ツアーで家を離れる生活を続けたくない」と言ったからだね。僕らジャズ・ミュージシャンは、自家用ジェットで優雅にツアーができるわけじゃない。みんな必死でツアー暮らしを続けているんだ。彼がそう思っているなら、僕が無理に留めることはできない。アルバムはトミーと作り続け、ツアーは別の誰かを探す選択肢もあったけど、Little Bigは本当の意味での「バンド」であってほしい。寄せ集めではダメなんだ。
トミーの後任を探すため、しばらく何人かのドラマーを試していた。2023年のヨーロッパのツアーの4日目に初めて、JK、デイヴィッド(・ギンヤード Jr:Ba)、グレッグのラインナップでやったら、マジカルな感覚があった。「この4人なら4人以上になれる」と思えたんだ。そのギグというのが、ブートレグで出てる『Live in Berlin』だよ。iPhoneのボイスメモが捉えた4人の初めての瞬間だ。JKはメンバー最年少。僕らとは世代が違うしアイデアも新鮮だ。そして、世界で最もポジティブな人間なんだ。
―僕も会ったことがあるのでわかります。眩しいくらい明るい人ですね。
アーロン:僕の4歳の息子はJKが大好きなんだ(笑)。いつも「JKと話せる?」と言ってくる。本人もだし、彼の演奏には子供のような喜びや無邪気さがある。おかげで僕のなかの子供心も呼び起こされ、物事をあまり難しく真剣に考えすぎないように、という気にもさせられるんだ。
Live In Berlin Aaron Parks Little Big
Photo by Anna Yatskevich
何も隠さず、真実を語ろうと思った
―最後に、あなた個人の話を聞かせてください。2022年にご自身の双極性障害についてのエッセイを執筆されてますよね。その件なんですが。
アーロン:うん、OK。
―公表することはすごく勇気が必要だったと思います。でも、あれを読んで、勇気づけられた人もいたと思います。あなたはなぜ、自分のことをあそこまでまっすぐに書いたのでしょうか?
アーロン:「書くことで自分のことをより理解できるようになる」ってことがあるよね? だから書き始めたんだ。それを公表したのは、2週間のツアーをキャンセルしてしまい、迷惑をかけてしまったプロモーターやファンに説明する責任があると感じたのがきっかけだった。書いていくうちに、何も隠さず、真実を語ろうという気になった。その方が潔いし、嘘がないと思った。多くの人がこの手のことを話してくれればいいのに、と思うよ。人間なら誰しも、恥ずかしくて他人に話せないことがあるものだし、似たような悩みや葛藤を抱えているものだ。僕が自分の経験を共有し、それはこういう病気なんだとはっきりさせることで「これが僕の現実なんだ」って言えるから。決してそれは恐れたり恥じたりするものではなく、それに合わせて自分が調整すればいいってことを伝えたかった。曖昧だったものをはっきりさせることで、もう怖くなくなるし、そこから逃げることもなくなるんだ。
―病気を抱えながらもあなたは今も世界中を飛び回っています。その間に曲を書き、作品を録音して、またツアーに出る。私たち日本人はそのおかげでライブを観ることができるわけです。でも、あなたも言及していたように、世界中をツアーすることによるアーティストの身体と心への負担は計り知れませんよね。アーティストが健康でサステナブルに活動できるために、音楽業界や我々リスナーができることはどんなことだと思いますか?
アーロン:いい質問だけど、僕にその答えがあるかな……。ひとつ言えるのはもっとライブ・パフォーマンスへのサポートがあればいいと思う。かつてそうだったように、アーティストが1つのクラブや都市に、たとえば1週間くらい留まって、レジデンス公演を行えたならと思う。毎晩、観客は変わるわけだから、経済的にそれが持続可能なら、アーティストの健康のためにはずっといいよね。訪れた先で、その街や地元の人や文化と触れ合って時間を過ごせれば、アーティストのためにもなる。
ただホテルを渡り歩き、毎日公演をこなすだけの過酷なペースを続けていると、どこにいても、どこにもいないように感じてしまう。最低でも、もう少しオフの日を増やせれば、より健康的で充実したツアーになるわけだけど、経済的にはギリギリでやっていることも多いから、なかなか難しいとは思う。どれくらいキャリアを積んでいるかにもよるだろう。僕にできるのは、十分な休息が取れる日程になっているか気を配ることくらいだ。連日ステージがあるとしたら、それなりに理にかなっているか、世界中を無駄に行ったり来たりしなくて済むようにする。1回だけならいいけれど、連日早朝4時出発のフライト、というのはさすがに辛い。これは精神的な問題を抱える者にとってだけでなく、全ての人にとって重要なことだ。人間らしくあるために、睡眠は不可欠だからね。
アーロン・パークス
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