「バンドやろうぜ!!」っていうロックのグルーヴ感がベースではない
──簡単に自己紹介をお願いいたします。
剤電:自己紹介…。
──肩書きは何になるんでしょうか? バンドやソロ活動などいろいろされているので。
剤電:何をやっているのかっていう質問をされたことがないのでよくわからないんですよね…。数年前は「ごちゃごちゃした音楽作ります」って書いてました。ひとりで音楽を作っていた時期があるので。
──なるほど、ではずっとお一人で音楽活動をされていたところからいろいろなバンド活動をされてきた、ということですか?
剤電:そうですね。大学の時にバンドをやりたかったんですけど、人が集まらずできなくて。2000年代のその頃はネットにメンバー募集サイトっていうのが結構あって、片っ端から応募していたんです。それで何人ともあったんですけど結局そのサイトに来てる時点で身の周りの人とバンドができない人たちが集まってるっていうことなのでうまくいかなくて。だからどうしようっていうときに、大学で自主制作映画や演劇の音楽を作って欲しいって言ってもらって作っていたんです。それが初めて音楽をちゃんとやったっていうことになりますね。20歳前後の3~4年はそんな感じでした。
──その頃作っていたものと今やってらっしゃるものの音楽性は全然違いますよね?
剤電:はい。いちばん最初にやったのは特撮映画のサントラでした。
──商業主義ですか(笑)ということはその頃音楽で食っていくという感じはあったんですか?
剤電:少しそれでどうにかなろうという気はありました。大学で唯一仲が良かった先生がそういう音楽を仕事にしている方で、その人にいろいろなことを教えてもらっていた時期がありました。その先生が「自分のやりたいことをやったほうがいいよ」って言ったので初めてオリジナルで楽曲を作り始めたんです。
──では10代の頃から音楽が得意でミュージシャンを目指してきた! っていう感じとは少し違うんですかね。
剤電:音楽は聴いてきたし楽器も練習していたけど、バンドを組んで人とやることができなかったのでそういうイメージは全然なかったです。基本的に音楽に対して「バンドやろうぜ!!」っていうロックのグルーヴ感がベースではないんですよね。バンドマンノリというかバンドマンカルチャーというか、そういうものはぼくには無いです。打ち上げもあまりいかないし。
──確かにそういう内輪ノリ的なものは世の中的にも古いものになりつつある感じがします。
剤電:ぼくは90年生まれなんですが、年下の方は特に、ひとりでもやっていけることを重要視する人が多いと思います。
──ある一つのことに全ての熱量を”捧げる”のは難しいんだと思います。バンドも、やって楽しいのは間違いないんだけど「人生それが全て」にならなくちゃいけないとすると苦しいというか嫌だなって思います。それだったら何かができる”個人”でありたいというか。
剤電:最近そういう話を人とよくしますね。
平行してたものが今交差している
──剤電さんはそういう感覚にマッチした活動をされていると思っていて、現在はソロ活動に加えエレファントノイズカシマシやKLONNSというバンドで活動されていますよね。
剤電:はい。
──まずソロの名義でいうとVAMPIRE✞HUNTER™という名義と剤電/Zieという名義とあると思いますが、そこの違いは何なんでしょうか?
剤電:剤電はずっと前からやっていた名義で、全部録音です。VAMPIRE✞HUNTER™はちょうど一年前くらいにソロで人前で何かやろうと思って始めたんで全部打ち込みなんです。人前でパフォーマンスをするための名義ですね。ヒップホップやトラックメイクをやっている人を始めとして、ひとりで何かをやっている人が増えてきていてすごくいいなと思ったんです。ぼく自身も所属しているバンドに付随してぼくを語られるのがすごく嫌なので…。
──なるほど。
剤電:でも結局あんまりライブをやることもなかったし、最近はひとりで人前に立たなくてもいいかな、という感じになっているのでこの二つがどうなるのかは分かりません。そこまで人前に出ることに執着はないし、単純にやっぱり録音で録りたいっていうのもあって。
──人前に出る為に音源を作るのは違ったということでしょうか。
剤電:そうですね。年に数回やれたら良いかなって思います。
──そもそも音楽を始めたのが依頼を受けての楽曲提供ですもんね。ギターを手にモテるぜ! って言って音楽始めた人とはその辺りが違いそうですね。
剤電:確かにそうかもしれませんね。
──バンド活動についてですが、エレファントノイズカシマシは2018年は全国ツアーもあって大活躍だったように思います。
剤電:ノイズカシマシに入ったのは2013年だったんですが、その頃はハードコア寄りで。どっちかというとBOREDOMSみたいな関西アングラ色が強かったんです。
──最近のノイズカシマシはノイズとはいえポップさがあって聴きやすいと感じます。
剤電:最初の頃は機材も使えないって感じだったんですよ。
──バンドというよりパフォーマンス軍団というイメージがしっくりきますね。
剤電:初期はまさしくそんな感じでした。多分アルバムを出してレコ発をやってからちゃんと音楽をやるようになったと思います。
──ただレコ発前の不安定な感じというか、各々に個性があった上でその時都合のつくメンバーで一瞬何かを爆発させて散っていく感じもすごく好きでした。良い意味での繋がりの薄さというか、それこそバンドマンの内輪ノリじゃなく、個人がその場で接触している空間というか。
剤電:ノイズカシマシの最大の特徴はそこだったと思います。人間関係の希薄さ。もともとはスタジオも入らないし、ライブ終わったら帰りたい奴は帰るって感じだったんですが、ツアーをやって一緒に長い時間を共有したり、去年からスタジオも入り始めて、人間関係は濃くなって”しまって”いると思います。
──とても難しい問題ですね。
剤電:人間関係が濃くなって新鮮さが薄れてしまった感じはあります。バンドに対してメンバーそれぞれで考え方や感じ方は違うと思いますが、これに関してはメンバーの片岡さんも頷くんじゃないかなとは思います。
──バラバラな趣味と個性の個人たちが音を出している間だけは同じ空間を共有しているっていう事実には何か希望みたいなものを感じます。ノイズカシマシに関しては転換期を迎えているということなんですね。現在活動しているバンドとしてはKLONNSもありますが、そちらはどうですか?
剤電:ボーカルのSHVさんとは付き合いが長いんですけど、彼はGranuleっていうバンドと一緒にDisciplineっていう企画をやっていて。今年から毎月やることになったんですけどGranuleのフロントマンのHIKARU君も10年来の知り合いなんです。かつてインターネットで知り合って一緒にスタジオに入ったりしてたんですけど、ノイズカシマシの片岡さんが企画に呼んだBOMBORIっていうバンドで彼がドラムを叩いていたことで再会したんです。更にいうとGranuleのギターのBRACKOUT君も全く別のところでずっと知り合いで。今すごく平行してたものが交差している感じがしますね。先日KLONSSとGranuleで大阪に行ったんですけど、なんかとても変な感じでした…。

老人が語る伝説みたいな存在になれればいいですね
前線で面白いことをやっている人たちと話すとルーツがV系にある人が多い
──何かすごく壮大なストーリーを感じますね。
剤電:一人でいろいろやっている人も多かったんですが、そういう人たちが各々でいろいろなことをやりながら同じムーヴメントに帰結してきている感じはあるような気がします。
──それは私の身の回りでもなんとなくあります。
剤電:ボーカルの大島さんと2012年頃に出会ったとき、ゴシックとかブラックメタルとかそういうものが好きだって話したんです。当時はシティポップがすごく盛り上がっていた時期で、ぼくの周りにそういう人がいなかったのでとても驚きました。最近またそういう人と交差することが多くて。今ノイズ音楽の前線で面白いことをやっている人たちと話すと、結構ルーツがV系にある人が多いんです。変な音楽のルーツとして、最初はhideさんを聴きはじめてそこから違うものを知っていくっていう音楽の聴き方をしている人が多いんですよ。少し前はぼくがSNSでV系の話をすると30代40代のV系リアルタイム世代の方がいろいろと教えてくれたんですけど、今は同世代より下の人でこういう話をする人が多いんですよね。
──不思議な現象ですね。確かに以前は私もV系に対しては違う世界の音楽という偏見があったのですが、最近はすごく気になる存在になってきているんです。
剤電:ICEAGEとかから感じられる、シティポップとはまた違うオシャレさみたいなものに影響されて育った世代なのかもしれません。パンクっぽい格好でひとりでやってるような人もいたりしてそういうのの延長でV系も違和感なく受け入れられる土壌ができていったのかも知れません。
──ある程度ひとりでやりたいことをできるようになったから、自分の中の「かっこいい」を隠さなくてよくなったっていうのはありそうですね。バンドだけをやっているとある程度協調性は求められますし。
剤電:それはあるかも知れませんね。そしてこの流れがまたすぐ終わっちゃうのか、どんどん再解釈されていくのか、どうなっていくのかは全然わからないので気になりますね。そして29歳になる私はこれからどうすればいいのか…。
──うまくその潮流に乗っていっているようには見えるので注目しています。
剤電:昨年一年間エレファントノイズカシマシをやって、バンドシーンに取り込まれてしまったような気がするんですよね。それまでは喫茶店でもライブハウスでも美術館でもライブができるなんだかよくわからない存在だったんですけど、去年は音をどうするかっていうのにこだわったのもあって解釈できる存在になってしまったというか。それまで見にきてくれた人が来なくなったりしてしまって。今まではライブハウスに来ないような人も面白がってきてくれてたんですけど、最近はもうライブハウスでしかやっていないのでそういう人は離れてしまったかもしれません。我々的にもそれはよくないというか、時代の流れ的に淘汰される側になりつつあるような気がして結構今後どうしようかって言う感じではあります。界隈に回収されてしまうとそれ以上の広がりがなくなってしまうん気がするんですよね。
──売れていくっていうことを考えると分かりやすさは必要になってくるのかもしれないですけど、そうなるともはやアンダーグラウンドではないですし、本当に難しいところですよね。話は変わりますが、俳優デビューもされましたね!
剤電:これもまん腹の方とノイズカシマシのメンバーに縁があってのお話でした。大学で映像や舞台やっていたたので。
──個人的には剤電さんは佇まいにオーラがあるので大抜擢だと思いました。
剤電:最近は映像や舞台をやっている人が周りに減ってきてしまったのでどうなるかは分かりませんね…。楽曲提供みたいなのもはあるかもしれません。
──音源のリリース予定はありますか?
剤電:一応新しく出そうとは思っています。まだ未定なのですが…。
──いま音源で出されているアルバム「mヲ想(mou-sou)」も世界観に共感できて興味深く聴かせていただいています。ダウナーな中でも終盤へ向けてアガっていく感じがします。個人的には11.13.14.曲目が好きです…。
「mヲ想(mou-sou)」
──こちらも録音でしょうか?
剤電:録音ですね。全部Garagebandで録音と編集をしています。Young Marble Giantsが好きで。音数が少なくチープな音で短い曲っていう感じ…あとはSebadohとか。そこにプログレの要素も入れ込んで、他の人があまりやっていないようなところでやっていけたらなと思っています。
後世に語り継がれる存在になれればいいですね…
──解釈できなさって良い怪しさを醸し出しますよね。
剤電:そうですね。またそういったものを作っていて、CDにできればなと思っています。…あとは怪談CDの第2弾もあるらしいです。
──おっ!
剤電:ただ今怪談って流行っててアマチュアの人がたくさんいるんですけどぼくには作家性とかは全くないし、そこで闘っていこうとはあんまり思ってないんです。みんなが酒やタバコでバイブスを高める感覚で怪談を語っているところがあるんで…後々はファンタジー映画で老人が語る伝説みたいな後世に語り継がれる存在になれればいいですね…。
──伝説!
剤電:当然音楽以外の引き出しがあることでより多くの人と知り合えるっていうのもありますし、CD出せば多少メイクマネーできるっていうのもあるんですけど、怪談でのし上がってどうにかなるぞという気は無いですね。さわりがある話とかもあるんで、大勢の前で披露するというよりはあくまでも内輪で、聞いた話をぼくが話すっていうスタンスでやっていきます。プロを目指す人たちは語るときに作家性を出したりするんでしょうけどぼくは怖いからそういうのやりたくないので…。

歌舞伎町のウツボと寄り添う剤電氏
混乱の季節…充実した人選を出来れば送りたいです
──今後の活動はどのように注目していけばよろしいでしょうか?
剤電:今混乱の季節だと思いますけど…充実した人生を出来れば送りたいですよね。
──本当にそうですよね!
剤電:昔から安定したいという思いはあるのですがなぜかどんどん逆の方向へ行ってしまっているんですよ。30歳になるまでには自分の納得する活動ベースを作りたいと思っているんで、今年もうちょっとどうにかなれるよう頑張りたいですね。剤電としてポジションを確立させて人生を充実させていくぞっていう気持ちです。