みなさんこんにちわ! 平成の歴史も幕を閉じ、令和が始まりましたね。時代を跨ぐこの貴重な瞬間も『歴史のふし穴』ではぬるっと食べ物にちなんだコーナー3回目でお送りしたいと思います。
 カレー、肉じゃが、とんかつに続いては「ナポリタン」からいってみましょう。これは日本生まれの洋食としてお馴染みですよね。一番有名なのは、横浜のホテルニューグランド発祥説。戦後アメリカの進駐軍が茹でたスパゲティにケチャップをブチまけて食べてるのを見て、ニューグランド料理長の入江さんが「なんか雑な食べ物だな~、もっと良くできるのにな~」と作ったのが、茹で置いたスパゲティとトマトピューレとか野菜とかを炒めて出したのがナポリタンという名称になった、というのが定説ですね。  とは言え戦前にも似たようなものがあったらしく、しっかりした史料や記録が残ってなかったんでしょうね。決して全国区というわけでもなく一部ではあったかも、レベルみたいです。
ニューグランドのナポリタンからちゃんと全国に広がったのでしょう。  より現在のケチャップ味のもちもちナポリタンになったのは、これも横浜、センターグリルというお店からみたいです。ここの店長もニューグランドの入江さんと知り合いらしく、情報を交換し合って大衆的なナポリタンを完成させたのでしょう。
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 ホテルニューグランド発祥の料理はいろいろあって、「ドリア」や「プリンアラモード」もここで作られたみたいですよ。そしてこのホテルの歴史に興味もあり佇まいも好きな岡峰君はここで結婚式を挙げたんですって。ナポリタンもドリアもプリンアラモードもまだホテルニューグランドで食べれますよ。
 ニューグランドの歴史と言えば、太平洋戦争が終わって連合軍最高司令として日本に来たマッカーサーが一番最初に滞在したのがこのホテルなんです。  マッカーサーは朝食に「目玉焼きダブルな!」ってオーダーしたけど、実際には目玉焼き1個しか出てこなくて、なんで2個じゃない!? と激怒、「横浜じゅう探し回ったが卵ひとつしか確保できなかったですー」と日本人シェフに説明され、「そんなに日本の食料事情は悪いのか…」と理解、即座に緊急食料支援を決断したという有名なエピソードがあります。実際にあった話かどうかは微妙っぽいですが(マッカーサー用の食材くらい米軍で用意してるだろうし)、マッカーサーの即断や当時の日本の状況がわかりやすいエピソードではありますね!  戦後の食料不足からできた名物もあります。姫路駅の「えきそば」です。戦後食料難で小麦粉が政府の統制品となり、手に入りにくくなりました。  しかしみんなうどんが食べたいと。
ほんで気合いのこんにゃく粉と蕎麦粉を混ぜてうどん風のものを作ると。しかし味も微妙だし、時間が経つと伸びやすい、さらに日持ちもせず、さらなる改良を迫られます。そしてそこにかんすいを混ぜて黄色い中華麺を作り出したのです。  うどんの和風出汁に中華麺。アンバランスかなと思いきや、これがハマったらしいです。しっかり定着して、小麦粉の統制が解除されてうどんが復活しても「えきそば」として和風中華麺が今も姫路駅のホーム立ち食いうどん屋さんで食べられますよ。
私も10年ほど前に食べました。なんと言うか現在の複雑なラーメンとは違う、しみじみほっとする美味しさでしたよ。
第十三回 「ナポリタン」と「えきそば」の発祥をたどる
 とまぁ、3回にわたって食べ物の話をしてしまいましたね。そうだよな、今食べているもののすべてに歴史があるんだよな、初めて蟹食ったやつってクレイジーだよな、ウニもクレイジーだよな、フグは釣れたら普通に食っちゃうだろうな、ほんで何百、何千人も死んだから毒があるってわかって、さらにその毒を取るのにいろんな方法を試して、その途中に何人も死んで今の方法を見つけ出したんだろうな、ありがたいもんだな、なんて思いました。ほんじゃ令和時代もよろしく! 挿絵:西 のぼる 協力:新潮社