第2の辛島美登里にならないか?

──Rooftop初登場ということで、小林清美さんのこれまでをお伺いしたくソロシンガーとして1994年にデビューするまでをお伺いできますか? 小林:地元のテレビ局で「カラオケ大賞」という番組があり賞を取ったんですよね、そこで「ラヴ・イズ・オーヴァー」などを手掛けた伊藤薫さんが審査員にいらっしゃって気に入ってもらえて、山梨県代表としてTBS主催で松本伊代さんがグランプリを取った事があるイベント「長崎歌謡祭」に山梨県代表で出てみないかと言われ、出演してみたら賞をとったんですよ。その時に審査員にいた服部克久さんから「事務所に入ってみないか? 第2の辛島美登里にならないか?」と言ってくださったりしたのですけども、もともと伊藤薫さんが山梨県の代表で「清美ちゃんを出してみたい。」とう流れもあり恩もありますので、伊藤薫さんが所属する事務所に入ることになりました。そこからレコード会社の方々にお声を掛けていただき、その中から日本コロムビアに決まり多くの作品をリリースさせていただきました。
──19歳でシンガーソングライターとしてデビューですね! いつ頃から作曲されていたのですか? 小林:生まれた時から勝手に歌っていて、3歳からずっと曲を作っていましていろんなところに作品を送っていたら賞を取るようになって。夢が歌手しかなかったので、他を考えてなくて。気がついたらマイク持って歌っていました(笑)。 ──生まれた時から歌手だったのですね。 小林:とにかくすごく不幸な人生でしたから、歌をやっている時が一番幸せで絶対歌手になるという夢があったから生きてこられたし、何回も死じゃった方がいいって思ったこともありましたけど乗り越えられたのは歌があったからです。あと曲を作ればすぐ形になるのがすごく楽しくて。
思いがすぐ形になるって他に無いじゃないですか。今日に至るまで曲を作ることに悩んだ事がなくて。 ──暗闇の中からの希望ですね。 小林:生き別れた父の借金を母が背負っていて、母が働きに行くしかなく家にいなかったんですよね。そうすると私が妹と弟の世話をしないといけなく料理を作ったり、家にいて家のことをやってました。 ──母親の役目をやっていたのですね。
小林:おかげで料理がすごく得意になったのはよかったです。 ──生きてきた事が今に繋がっていますね 小林:そうなんですよ。一生懸命、生きていかないといけない事が全て今に繋がっているのですよね。不幸で良かったと(笑)。 一同:(笑)

私は絶望の歌が歌いたいのに!

──ところで、デビューしてから23歳ぐらいの時に変化があったんですよね? 小林:デビューして4年ぐらいして「歌を歌っていて、このままで良いのかな?」って思い始めたのですよ。当時、藤子・F・不二雄先生の作品や『湘南爆走族』の映画の歌など歌わせていただけたり。凄く良い話をいただいていたのに、アニメソングが続いていた頃に周囲から「アニソン歌手として声優さんとかやったらブレイクするよ」と勧められたのですが、時代やジャンルが今のように確立されてなくて「アーティストなのになんで?」という風になってしまって。
最後には、こち亀の映画の主題歌を歌うことになっていたのですが断ってしまって。 ──大変なことですね。 小林:その断ったのを堂島孝平さんが歌ったんですけども。後になってみて「なんてバカなのだ。なんで断ってしまったのだろう」と後悔して。渦中では気づかなかったのですけども。
──若い時ならなおさら気付かないですよね。周りが見えなくなってしまったんですね。 小林:「私は絶望の歌が歌いたいのに!」とか思ったりして。 ──とにかく大人の言うことに反発してしまったのですね。 小林:コロムビアの方々も散々、面倒を見てきたのに。こち亀のタイアップを駆け出しの私が断るなんて「ふざけるな!」って、思ったと思います。
──地雷を踏んでしまったのですね。 小林:その後にコロムビアを離れることになったのですが、事務所の社長に申し訳なくて。しばらくは社長が「大丈夫だよ。清美ちゃんを面等見るよ」と言ってくださったのがありがたくて。ただ、私が事務所に居させてもらうことも社長に対して悪い気がしてきて自分から事務所を辞めると伝えたんですよね。 ──それが23歳頃なのですね。

ずっと続けてあげたいから

小林:事務所を辞めて「これからどうしよう?」と考えている時に、私は子供達が好きだし歌を教えたいと言う思いから急に音楽スクールの構想を思いついて。ただ、その前にスクールとはどうすれば良いのと思って地元山梨に今は無くなっちゃたのですが音楽スクールがあって、そこで働かせていただいて副校長をしていました。そこに通っていたのが「鏡星」のメンバー中嶋ふたばで教えていたのですけども、凄い歌に熱心で頑張り屋さんで良いアーティストなるのだろうと思ってたら、急に泣きながら辞めると言い出して。「なんで?」って聞くと「お金がない」と。その音楽スクールがすごい月謝が高くて「あれ? なんで私。好きな歌を、こんな高い月謝で教えてるの?」ってなっちゃって、私がその学校を辞めたんですよ。 ──すごい決断ですね。 小林:それで辞めてから中嶋ふたばの為にスクールを作ろうと「K&Mミュージック」を始めたのですよ。最初1人から始まったのですよね。 ──1対1だったのですか? 小林:それが、あっと言う間に口コミで凄い人が増えて、今それが十数年と続いているのですよね。で、その中で皆んな上を目指していくと本当にデビューしたいと言うのが出てきて始めたのが「Peach sugar story」だったんですよね。地元から出してあげたい! と。そうしているうちに東京での活動が多くなり東京校も作ろうとなり新宿に作り(現在は中野に移転)、通うのも大変だから神奈川にも作ったりと。 ──全てが用意されたかのようにやってくるんですね。次に行こうとしたら、どんどん発展していくみたいな。 小林:そうなんですよね。人生の中でピンチが全部チャンスに変わるのですよね。やりたい事や、考えたことは全部実行しようと思っています。あと、無理に箱を埋めるのは絶対嫌で。「大きいところやります」よりも「一つ一つのライブをちゃんと伝えたい」や「すごい繊細な音を間近で聞いてもらいたい」と言うのがあります。音楽を大事にしている事務所なので。だからこそLOFT HEAVENはグランドピアノがあって着座で音を聞いて楽しむ場所なので好きで。最初、こちらにお誘いをいただきた時にロフトさんにグランドピアノ置いてあるのを聞いて、すごく嬉しくて。 ──そう言っていただけると嬉しいです。ありがとうございます。 小林:皆んな、色々考えている事はあると思うんですけど私は、今所属している子たちが長く、何歳になっても歌を歌える場所を作ってあげたくて。生活状況とか結婚とかで変わっていくのでしょうけど、歌うことが嫌にならなければ歌いたい気持ちが残っているのであればずっと続けてあげたいから、その為にも自分が歌っていかなければいけないし、続けていかないといけないし、場所を守っていかなければいけないなと思っています。 ──さて、今回そんなK&Mミュージック所属アーティスト「カード戦士EARNEST」の活動1周年イベントですが、見どころをお聞かせください。 小林:彼女たちにとって初めての外部で初の1時間ライブとなります。彼女たちの1年間が集大成と、これからの未来が見られると思いますので、EARNEST知っている方も知らない方もここからスタートなので。 ──今までの蓄積が現れるんですね。 小林:新曲もこの日に披露しますので、新しカード戦士が現れます。 ※インタビュー中、最新の宇宙人情報もありましたが、文字数の都合で割愛させていただきました。