2人の目で合わせてた
──アナログフィッシュ20周年の記念イベント「聖地巡礼」の最中ですが、いつから始まりましたか?
斉藤:ライブは今年の2月ぐらいからですが、昨年の年末ぐらいから聖地巡礼のグッズは作っていて、今年は1年かけてやるって言って。
──誰が名付けたのですか?
斉藤:名前をつけたのは晃(下岡晃)です。
佐々木:ゆかりのあるスクービードゥやフラワーカンパニーズ、ASIAN KUNG-FU GENERATION、GRAPEVINEにHINTOなどお世話になったバンドと共演していく感じです。
──バンドを20年間続けるってすごいですね。20年前の東京初ライブは新宿JAMですよね。
下岡:まだ、上京する前でジュテーム・ダンスフロア(『水中、それは苦しい』のジョニー大蔵大臣のソロユニット)と対バンでした。
──その現場に自分もいましたが、曲によってギターとベースを持ち替えていた時期ですね。
佐々木:あの頃、チューナーを持ってなかった。
下岡:2人の目で合わせてた(笑)。
一同:爆笑
──ドラムは違っていたのですよね。
佐々木:地元の先輩にお願いして。
下岡:全然ドラムを叩いたことがない人を誘ってやっていた。
──上京してきたのはいつ頃ですか?
下岡:ライブ終わって家に帰ったあとに同時多発テロのニュースをテレビで観たのを覚えてるから2001年頃かな。
──東京に出てくるときに家はどうやって決めたのですか?
下岡:高校の同級生だったバロンが東京に住んでいて、当時アナログフィッシュのドラムを叩いてて、その紹介で。
──バロンさんは1年ぐらい叩いていましたよね。
下岡:バロンは自分でやりたいことがあるから1年ぐらいで辞めることになって。そう言えばバロン、改名して「上の助空五郎」になっていた。
──そして、2002年に斉藤州一郎がドラムで入りますね。
斉藤:ボロキチというバンドでアナログフィッシュとも対バンしてたんですが、辞めることになったタイミングぐらいにお話をいただいて。
──今のアナログフィッシュが完成されましたね。
斉藤:そこからライブ活動しながら2003年にインディーズでCDを2枚出したり。
──お客さんも増えてきた頃ですね。
下岡:インディーズで出したぐらいから下北沢シェルターとか秋葉原GOODMANにお客さんがいっぱい入るようになってきました。髭とか対バンするようになってきた頃です。
──2004年にセカイイチ・髭とのツアーも。
佐々木:「トットコトットコ」スプリットツアーのファイナルをO-nestでやりました。
──その後にもスパルタローカルズやフジファブリックとも。
佐々木:メジャーデビューした後の2005年。
下岡:そこから2年ぐらいEPICの時期。
みんな暖かく迎え入れてくれた
──ただ、2007年に斉藤さんがバンドを離れるのですよね。
斉藤:2007年に半年間ぐらいかけて月1で行っていたイベント「SIX PISTOLS-extra」というツアーの途中からいなくなりました。
下岡:2007年の冬から2008年春にかけてやっていたイベントだ。
斉藤:2008年2月京都磔磔のライブ直前で体調を崩してバンドを離れることになって。
佐々木:あぁ、磔磔だった。思い出した。
斉藤:だから磔磔は僕抜きの2人で演奏してもらって。
──その時にお客さんの反応はどうでした?
下岡:みんな暖かく迎え入れてくれた。
佐々木:盛り上がってくれた。
──突然のドラム抜きのライブは大変だったのではないですか?
下岡:いやぁ~、演奏ちゃんとできてなかったなぁ。お互いソロのライブもやってなかったし。
佐々木:PAの方が気を使ってくれて、足踏みすると音がなる楽器を作ってくれたり。なんとか乗り切った。
──そこからサポート探し始めるのですよね。
佐々木:ドラムはMO'SOME TONEBENDERの藤田勇さんにビッツくん(菱谷昌弘・HINTO)を紹介してもらったり。サポートを探している時に鍵盤も入れたいとなって、高野勲さんに相談したり。
下岡:鍵盤にクリンゴンの木村さんに入ってもらったね。
佐々木:ギターが弾ける鍵盤ということもあって。
下岡:そうだ、木村さんにギターも弾いてもらってたね。
──鍵盤が増えて、あの時期は今までスリーピースのスタイルとは違うアプローチがありましたね。
佐々木:演奏が4人になって、新たな部分が出たのは良かった。
下岡:「平行」って曲はビッツくんがいて出来た曲だしね。
3人でやりたい
──そうすると、再び斉藤さんが戻ってくると。
佐々木:『Life Goes On』を作っていて半分ぐらいできてきたんですけど、行き詰まっちゃって。「どうしようかな…」って思っていた時で。その時、州一郎の体調が叩ける状態まで戻っていたので「もう一回、州一郎と晃の3人でやってみたい」と思って、それでもダメだったら辞めようと思ってました。
下岡:健ちゃん(佐々木健太郎)が3人でやりたいって言ったので「いいよ」って。
──再び再開すると。
斉藤:自分からも2人に「戻りたい」と意思を伝えて戻りました。
──2009年10月10日の新木場コーストのフロアライブで戻ってくると。
下岡:あれは良かったね。
斉藤:確かに良かった。その後、2010年に九段会館で、2011年に日比谷野外音楽堂と続きますね。
──この頃からfelicityからリリースが継続的に始まりますね。
下岡:レコード会社とかマネージメントもそうだけど、バンドが恵まれてて。俺たちぐらいの規模でこれほど環境が揃っているって奇跡に近いんじゃないかと思う。
──周りに愛されていますよね。
下岡:お金にはならないけど(笑)。
一同:(笑)
下岡:ミニマルに活動すれば赤にならない。
斉藤:その後も、2012年に『抱きしめて』をリリースしたりとか、やけのはらさんと一緒にやったり、8枚目のアルバム『荒野』リリースも。
佐々木:2013年のアルバム『NEWCLEAR』あたりで、動員が持ち返したんですよ。
下岡:渋谷のクアトロがソールドアウトになった。
──この2014年に佐々木健太郎ソロがリリースしてますね。
佐々木:最初はスタッフ発信でやり始めたら、アルバムが完成して。
下岡:やって良かったと思うよ。
──同年にバンドでアルバムをリリースと。
下岡:『最近のぼくら』は、ここ最近だと名盤だと思っていて。全体的に地味なんだけどトータルで聞くと良くて。
佐々木:自分はソロアルバム作ってて、曲を出し尽くして晃の曲が多い(笑)。
斉藤:だからトータルがいいってこと?(笑)
下岡:そんなことはない(笑)。
──2015年にはアルバム『Almost A Rainbow』を、昨年には『Still Life』とリリース続いてますね。レーベルから「こうして欲しい」などリクエストはありますか?
下岡:全くなくて、幸せです。
お客さんと近いところで演奏するイベント
──さて、今回LOFT HEAVENのイベント『聖地巡礼-town meeting -』についてお聞かせください。
下岡:うちらのやっている『town meeting』というのはアコースティックでお客さんと近いところで演奏するのがテーマなんです。
斉藤:イベント自体は10/10にやるのがバンドもお客さんも恒例となっているんですけど、昨年はやってなくて。待っているお客さんもいるので今年は復活と。
下岡:『town meeting』は健太郎率が高い。
佐々木:僕!?
下岡:生(アコースティック)が強いから。
佐々木:そうなるかぁ。頑張ります。
下岡:『town meeting』という企画自体がバンドにとってファンサービス的な意味合いが強いから、みんなに喜んでもらえたらいいなと思います。