いつ死ぬか分からないから残しておかないと

──このタイミングで『詩詞集』を発表した経緯から聞かせてください。

中山:ソロ・アルバム(2019年6月発表の『ROLLING LIFE』)を作るときもそうだったんだけど、いつ死ぬか分からないし、残しておかないと、と思って。ここ数年、周りのミュージシャンが亡くなることもすごく多かったし。

実はソロ・アルバムを作るのと同時期に詩集も出したいと考えていたんです。本当はソロ・アルバムを出した半年後くらいに出したかったんだけど、思っていた以上に作業が大変で、結果的に1年半後になっちゃって。そもそも「来年は詩集を出そう」と去年の元旦から目標にしていたんです。ノートの端に書いていたらそのままだけど、詩集にしてまとめれば残せると思ったので。

──本書の巻末(P.198)に大量のノートとメモが散らばった写真が掲載されていますが、そこに書き溜めてきたものを精選した一冊であると。

中山:私、詩のノートの管理はすごくちゃんとしていて、横浜の実家にはトランク一杯分の量があるんです。たぶん2,000編はあるんじゃないかな。ただこのコロナ禍でそれを取りに行く余裕もなかったので載せるのは諦めて、東京の自分の部屋にあるノートの詩を全部パソコンに打ち込んだんですよ。640編ほどあったんだけど、いつも酔っ払いながら書くから読めないのがほとんどで(笑)。なんとか解読しましたけど、たとえば一行だけしかないものとかは潔く捨てました。

── 一番古い詩はどれくらい前のものなんですか。

中山:20年くらい前ですかね。

VooDoo Hawaiiansを始めた頃。

──640編の中から76編の詩(残りは24編の詞)を厳選するのは至難の業だったと思いますが。

中山:大変な作業でしたね。まず、持っていたノートパソコンが古くて、新しくMacBook Airを買うところから始めたんですよ。でも自粛期間中にテレワークが普及したのでネット注文してもなかなか届かなくて、6月の中旬にやっと届いたんです。それから手書きのノートを解読して打ち込み、ここ数年iPhoneのメモに打ち込んでいたものを移したんです。とにかくいっぺんに読めるようにしないと選べないと思ったので。ちなみに、打ち込みを終えたノートは全部破って捨てたんですよ。なんかもういいやと思って。打ち込んだノートから順にビリビリに破くのはものすごい快感でした(笑)。

──自筆のノートなのにもったいないですね。いつの日か中山加奈子ミュージアムみたいなものができたら収蔵されそうな品なのに。

中山:ああ、大英博物館にあるビートルズの歌詞みたいな。私も昔はそういう淡い夢を見ていたことがあって、加奈子展みたいなことをやれたらいいなと考えたこともあったけど、そんなことが実現することはもうないだろうなと思って。それよりも、自分が死んだときにあちこちに散らばった詩が残っていたら周りにご迷惑をおかけすると思って、これは消してしまわなければと考えたんです。

──100編の詩と詞を選ぶ基準はどんなところだったんですか。

中山:詩に関しては640編を何度も読み直して、「採用」「ボツ」「保留」のフォルダに分けていったんですけど、読むたびに気持ちが変わるんですよ。それでさらに「絶対OK」「仮OK」のフォルダに分けていき、気がついたら100編くらいになったんです。最初は200編以上を掲載する予定で、ページ数もそれくらいを用意していたんだけど、持って運ぶのも重いし、キリよく100編でいいかなと思って。

──本書がユニークなのは詩と歌詞を一緒くたにして並べた構成なのですが、これはどんな意図があったのでしょう。

中山:最初は音になっている詞だけを集めて一冊にして、二冊に分けようと考えたこともあったんだけど、途中から“poetry”(詩)と“lyrics”(詞)を混ぜたいと思うようになったんです。“poetry”と“lyrics”は明らかに違うものだけど、自分の中では同等に扱っているので。それならいっそ混ぜちゃって、さりげなくみんながよく知る歌詞もそこに入れるのが一番いいかなと思ったんです。

──詞はどのように選択したんですか。

プリンセス プリンセスの「Diamonds(ダイアモンド)」(P.142)や「ジュリアン」(P.170)、「パパ」(P.100)といった誰もが知る歌詞も選ばれていますが。

中山:自分の名刺みたいな歌詞だし、そういうよく知られた歌詞をあえて外すことなく胸を張って入れておこうと思ったんです。詞を選ぶ基準については、縦書きになって文字だけで成立するものをなるべく選びました。と言うのも、文字の打ち込みを済ませた後、試しに縦書きにしてみたらすごいときめきがあって。「Diamonds(ダイアモンド)」や「パパ」の歌詞が縦書きになったらどう見えるんだろう? と思って実際にやってみたら、これなら文字だけでも成立するかもと思えたんですね。逆に縦書きにしてみたら成り立たないなと感じた歌詞はボツにしました。音がないとこの詞はダメだったのかと思って。

──『ROLLING LIFE』の収録曲の歌詞は縦書きにしてもしっくりくるのが多いように感じますね。中山さんの内面を吐露した曲が多かったので。

中山:一番新しいアルバムだし、音があっても詞と詩を混ぜたくなってきた頃に作ったものですからね。

自分の中の武士が「卑怯なことはダメだ!」と言う

──見せ方も凝っていますよね。たとえば「天国」(P.102)は山なりに円を描くような文字配列が施されていたり。

中山:細かい部分まで自分なりにこだわりました。

この『詩詞集』を作るにあたって自分の持っているいろんな詩集を読み返したり、図書館にも行って端から端まであらゆる詩集を読んだんです。主に装丁の部分で、どうすれば読みやすくなるかの参考として。自分の『詩詞集』は分量も多いし、だったら横開きだな、とか。あと、写真があって二、三行だけ詩を載せる詩集もあっていいなと思ったけど、このコロナ禍で誰かと組んでやるわけにもいかないので自分でイラストを描くことにしたんです。

──味わいのあるイラスト、いいですよね。「進化するサル」(P.36)に添えられたイラストは人類の進化の果てに蓋の開いた落とし穴があるというもので、現代社会に対する皮肉のようにも感じましたが。

中山:ああいうテイストが好きなんですね。ひねりたいと言うか、ひねくれたいと言うか。

──構成も巧みで、よく練られてあるなと思って。たとえば「ROCK STAR」(P.62)、「Good Bye Music」(P.64)、「キヨシローさん」(P.65)、「絶景」(P.66)、「ブライアンのように」(P.68)と連なるパートは音楽が主題となっているし、「Heaven's Gig」(P.90)、「汲もう」(P.92)、「宇宙に抱かれて」(P.94)、「36.5℃」(P.96)は死と生が主題のパートですよね。「実家にて」(P.98)、「パパ」(P.100)、「天国」(P.102)、「ピーナッツ」(P.104)は大切な家族のことを綴った作品で固めたパートですし。

中山:ああ、言われてみれば確かに。

でも並びについては勘でやりました(笑)。100編全部をプリントアウトして、家の床じゅうに広げてジーッと眺めて「まずはこれからだな」「次は何を読みたい?」「じゃあその次は?」「ちょっとヘヴィだからこっちにしようか」みたいな感じで並べていったんです。半ページで終わるものは途中で入れ替えもしたけど、結果的に偶然うまくいったんですね。こういうのは勢いで決めないと、悩んだら一生出せないと思ったんです。

──その選び方もそうですけど、中山さんは生真面目ですよね。本書でも自身の生真面目な性格が足枷になっているという詩が随所に見受けられますけど。

中山:自分では生真面目だと思っているけど、実際はひねくれたいから違うのかな?(笑) 物事は斜めから見るほうだし、服は破けていたほうが好きだし。今回、640編もの詩を読み直して自分を知りましたね。私は真面目で不器用で、調子よくやっている人たちにいつも踏みつけられて損ばかりしているとか書いているけど、もう死ぬとか言いながら全然死なないし、実は自分が考えていた以上にタフなんじゃないのかと思ったんですよ。だから実際は生真面目じゃないのかもしれない。

──「負の引力」(P.172)にもありましたよね。うまくいっている人を見ると、本当は無理をしているんじゃないかとつい疑ってしまう。

なぜなら自分がそういうタイプだからという。

中山:それもそういう人に寄り添いたがる癖なだけで、実際は全然優しくないんだと思います。

──「信用できる人」(P.106)に「やさしいふりをしてしまった」とありますしね(笑)。そうした中山さんの多面的な性格も窺えますし、中山さんの信条みたいなものを感じ取れる詩も多いですね。「消去」(P.46)には「うらみを捨てろ」「ありがとうを唱えて自由になれ」と自分を諭す一文があるし、「大人」(P.84)には「まっすぐになんて/立っていられない/それでもまっすぐが好きです」「ズルいことに苦笑いして/平気でいられるように/なりたくない」と大人としての理想像が描かれている。「Yes.」(P.140)には「Yes.を心のなかで/自分につぶやく/これが上手く生きるコツ」という中山さんなりの処世術も記されています。

中山:いま挙げていただいた詩はどれも珍しくポジティブですよね。

──ポジティブですね。「私の人生は同じことの繰り返しです」と謳った「ループ」(P.164)のようにネガティブな詩が多い中で(笑)。

中山:ポジティブとネガティブというメーターの振り幅が大きいんでしょうね。みんなそうだろうけど。時にすごくひねくれたり、ネガティブに振れるのは自分の中に棲むちっちゃな武士のせいだと思うんですよ。

──武士ですか(笑)。

中山:はい。その武士が「正々堂々と勝負せよ!」「卑怯なことはダメだ!」と訴えかけてくると言うか。「後ろから斬っちゃダメだ!」って(笑)。それが自分の美徳につながっている気がします。

──昔からそういう性格なんですか。

中山:そうかもしれない。小学校の同級生もそんなふうに言いますね。「加奈子はめったに怒らないけど、怒るとすごく怖い」って。おそらく「曲がったことは嫌い」と言う人でいたい、ということでしょうね。実際は別として。

書くことでここまで生きてこられた

──この『詩詞集』には硬軟織り交ぜた多彩な詩と詞が収録されていますけど、どれだけネガティブな感情にとらわれても希望を忘れない詩が特にいいんですよね。影が濃いぶん光が眩いと言うか。たとえば「方針」(P.176)の「4回転はもう飛べない/2回転も無理だろう/でもまだ飛びたいんだ」とか、「第三場」(P.192)でちゃぶ台を蹴り上げて「てめえら、残念だったな。まだ生きてるよ。」と威勢よく啖呵を切ったりとか(笑)。

中山:デザインをやってくれたのは古くからの友人でもある吉田圭子さんで、彼女にも言われたんです。「すごく暗くて、死をテーマにした詩が多いけど、通して読んだら元気になったよ」って。「エッ、本当? 落ち込んでる人の頭を余計沈めるみたいじゃなかった?」って訊いたら「逆、逆。最後はちゃんと前向きだから」と言われて。

──前向きだと思いますよ。「この世界を愛そう」(P.120)の「ここからが正念場/もがきや悩みが深まるこの先に/私は光を見つけて この自分の生を完成させたい」というこれからの生き方を模索するような一文もありますし、七転八倒しながらも前向きに生きていこうとする気概を感じますし。

中山:ああ、そうですか。それなら良かった。こんなに暗いものを出していいのか? とちょっと悩んだんですけど。

──暗いこと、内向的なことが決して悪いことではないと思うんです。「夢人」(P.08)の「下る坂道を/大切に生きてる」、「ポスターだらけの/あの部屋で憧れた/未来にはとうとう/わたし 来れなかった」という諦観が今の等身大の自分をリアルに表現していてすごく共感できましたし、抗いようのない現実を受け止めている強さを感じたので。こういった詩は今の中山さんにしか書けないものだと思うんですよ。

中山:そう感じてもらえたなら嬉しいです。歳相応ってことなのかな。今の歳で書けるものが見つかるのは素直に嬉しいことです。今さら若作りしてもしょうがないし、初々しいラブソングを書けるわけじゃないですからね。

──でもそうした境地に達したからこそ、盟友である岸谷香さんに提供した「恋をしていた私たちへ」(P.18)のような、若い頃の自分たちを俯瞰してアドバイスを告げる詞を書けるのではないでしょうか。もう二度とあの頃には戻れないという深い感傷を帯びつつ。

中山:「恋をしていた私たちへ」の歌詞を縦書きにして読んだら、自分でも泣いてしまったんですよ。「君たちはそれぞれ/違う幸せに たどり着くだろう/それでも ふたりとも/ちゃんと 幸せになれる」という部分で特に。自分で書いた歌詞で泣くなんてバカみたいだけど、あのときはもう二度と戻らないわけだから。でも仮にパラレルワールドが存在して、まだあのふたりが恋人同士でいるのなら、ふたりで過ごすいろんな出来事をちゃんと見ておきなさいよ、って言うか。それはもう二度とないからね、って。

──それもいま置かれた立場の諦観の果てに芽生えた視点だろうし、この詞に共感する人はたくさんいると思うんですよね。

中山:だけどこの『詩詞集』を出す前はすごく怖くなったんですよ。作業してるときはすごく楽しくて、校正すらも何もかもが楽しいと感じていたんだけど、発売の2週間くらい前から果たしてこれを世に出して良いものだろうか? と思うようになったんです。

──なぜでしょう?

中山:世界中の人に嫌われてしまうかもしれないと思ったんですね。「こんな面は見たくなかった」とか「自己満足の塊を出しやがって」とか非難の声を勝手に思い浮かべては夜中にハッと目が覚めたりして。でもすでに入稿を済ませてしまったし、出すのはもう止められない、どうしよう!?と思ったんですよ。

──だけど『ROLLING LIFE』のように自身の暗部と対峙した曲が数多く収録された作品がすでに世に受け入れられたわけじゃないですか。

中山:それで調子に乗ってこんな『詩詞集』を出していいのかな…と思ったんです。100人いたら半分の人には否定されると思いながら表現をしているけど、それでもためらいがありましたね。

──確かにネガティブな感情に煽られてペンを走らせたと思しき詩は多いですけど、「負の引力は強さの引力/ちゃんと生きてることの証」だし[「負の引力」(P.172)]、共振共鳴する読者は多いと思いますけどね。

中山:そうだといいんですけど。

──表現者としての矜持を感じる詩も興味深いですね。「一撃」(P.48)の「全てを飲み込んで/言わないことの美しさ」という一文には詩人であり作詞者である中山さんの創作に向かうスタンスが窺えます。

中山:私は誰かとコミュニケーションを取るときはすべてを言わずに飲み込むタイプなんです。そこで思ったこと、感じたことはノートに向けて言う。15歳の頃からずっとそうです。多分、書くことでここまで生きてこれたんだと思う。以前、『完全自殺防止マニュアル』という本の取材をしてもらったことがあって、「思ったことは何でも書くようにしてるんです」と話したら「自殺防止にはそれが一番いいんですよ」と言われたことがありましたね。

複雑な感情や心の機微は書くことでしか消化できない

──面白いですね。言葉を書き残すのは時に苦痛が付いて回るだろうし、ギターをジャーン!とかき鳴らしたほうが負の感情を一発で発散できそうですけど。

中山:ギターでは発散できないですね。書くこととはアウトプットが違うんだと思います。ステージに立ってギターを弾いたり唄ったりするのとは違う。うまく説明できない複雑な感情や心の機微は書くことでしか消化しきれないんです。

──そこまで書くことを大切にしている中山さんが、「言葉」(P.136)という詩では「言葉は邪魔だ 初めて知った/言葉に救われて来たからこそ/こんな恐ろしいものに/惑わされてはいけない」と綴っていますよね。言葉を駆使して表現をする人だからこそ、言葉の厄介さを時に感じるのはよく分かるのですが。

中山:あれは書いた通りの詩なんですけど、みんなギリギリのところでやっているのに「がんばれ」だなんてよく簡単に言えるなと思ったら、無性に腹が立ってしまって。「がんばれ」って安易な言葉だなと実感したんですよ。

──言葉にならない思いや感情を表現できるのが音楽だと思うんですけど、ギタリストとして世に出た中山さんが実は昔から言葉を操る表現を志向していたというのがアンビバレンツで面白いですね。

中山:おそらく自分は音楽と言葉を混ぜたかったんでしょうね。何とかして日本語の詩と詞と音楽で自分を表現できないものか、って。この『詩詞集』は当初、朗読CDも付けたかったんですよ。GarageBandを使って、詩を読みながらギターを即興で弾いてみるとかして。それは諸事情でできなかったけど、また別の機会でそんなこともやれたらいいなと思っています。

──愛らしいカップルを見かけてほのぼのしたかと思えばその片割れが自分の彼だったという「シチュー」(P.80)のような詩は中山さんのストーリーテラーぶりが遺憾なく発揮されているし、朗読すると映えそうですね。

中山:「シチュー」は実際に朗読したことがあるんです。もう10年以上前だけど朗読ライブをやっていた時期があって、そこで「シチュー」を読み上げると客席が静まり返るんですよ。男性ミュージシャンは特にゾッとしたみたいです(笑)。そんなふうに朗読ライブで気に入って読んでいた詩もあるし、「夢人」(P.08)は曲を付けて唄っていました。

──軽妙に社会を風刺する「イチャモン天国」(P.148)や権威に対して唾棄するような「Low guy」(P.182)には痛烈な毒気が感じられて、多彩な作品が並ぶ『詩詞集』の中でもとりわけ異彩を放っていますね。

中山:ああいう皮肉っぽい詩も書いていて楽しいんです。「イチャモン天国」は言葉遊びみたいなところがあって、漢字をダーッと羅列するとそれだけで威力があるし、なんかごちゃごちゃして虫みたいじゃないですか(笑)。文字を打ち込みながら面白さを感じた詩ですね。

──そんな毒気を炸裂させる中山さんも人の子で、家族の大切さ、親の有り難みを主題にした詩も多いですね。「Home」(P.16)、「実家にて」(P.98)と同じテーマが2編もあるし、プリンセス プリンセスの代表曲の一つだった「パパ」(P.100)のほか、「タオルケットの海」(P.10)には「その頃 ママは若くて」という一文があるし、「クラクションでしゃべるひと」(P.20)には「子供のころにママがくれた 知恵と 保身と クラクション」という一文があるし、母親のことを絶えず気にかけていることが窺えます。

中山:気にかけていると言うか、縛られているのかも。「Home」と「実家にて」は実家に帰ったとき、夜中に2階で一人お酒を飲みながら書きました。階下にいる母の気配を感じながら。

──実家でリラックスすれば良いところを、そうやって詩を書いてしまうのは表現者の業なんでしょうね。

中山:シンコーミュージックから出した1冊目の詩集(1995年に刊行された『買えない運命』)のあとがきにも書いたんですけど、感情がさらさらと流れてしまって二度と戻ってこないことが怖くてたまらないんですよ。だから何か感情が動いたときは「書かなきゃ!」と思って書くんです。地方のライブの後、ホテルとかにいると気持ちが動きやすいですね。昔はメモ用紙に慌てて書き留めていたけど、最近はスマホに打ち込めばいいから便利です。

──そもそも中山家は読書や作文を子どもに勧めるような家庭だったんですか。

中山:いや、全く。子どもの頃、父が出張へ行くたびに絵本を買ってきてくれたり、その後はキュリー夫人の伝記とかを買ってもらった程度です。昔、『少年少女世界文学全集』みたいなのがありましたよね? 『小公子』とか『家なき子』とかが入ってるやつ。あれを家の裏のお姉ちゃんがくれて、小学生のときに読んでいたかな。

──詩なり詞に関心を抱いたのは思春期の頃ですか。

中山:ニューミュージック全盛の時代ですね。深夜放送でフォークソングを聴いて、その歌詞の世界がすごく好きになったんです。肝心の音楽を聴かずに歌本や歌詞カードばかり読んでましたね。伊勢正三さんとか長渕剛さんとか。その前から宝塚歌劇団が好きだったんですけど、それも詞をよく聴いていました。だから昔から詞が好きだったんでしょうね。

──影響を受けた詩人はいらっしゃいますか。

中山:影響を受けたわけじゃないけど好きなのは、茨木のり子さん、石垣りんさんですね。

ミュージシャンってそんなに偉いのか?

──「鳥」(P.72)という詩がありますが、本書全体を通して鳥や鳥類に属するものが出てくる詩が多いなと思って。ざっと挙げると、「夜の孔雀」(P.38)、「街」(P.42)の「トンビが輪をかいたりして」、「暗雲の中の探し物」(P.60)の「川沿いのベンチで水の音を聞きながら、鴨を見る」「犬や猫の動画を見る、喋るインコを見て笑う」、「星は砕け散り」(P.82)の「鳥の羽が 落ちていた」、「海の扉」(P.108)の「白い鷺」、「血脈」(P.110)の「鳥が空を飛ぶように」、「咲かない花の種を持ってる」(P.134)の「電線の鳩」、「さえずり」(P.161)の「弱い鳥」、「差異」(P.187)の「鷲」、「Watcher」(P.188)の「カラス」、「その人」(P.194)の「鳩」といった具合に。

中山:ああ、本当だ。

──決して意図したわけではないですよね?

中山:そうですね。よく群衆を羊に喩えることがありますけど、それが私の場合は鳥なのかもしれない。勝手だし、すぐに群れたがるし。とは言え、悪いイメージばかりに使っているわけじゃないんですけど。

──「二枚の翼」(P.14)という詩もあるし、鳥に対する憧れもあるのかなと思って。

中山:だいぶ鳥好きだったんですね(笑)。鳥に対して何か思うところがあるのかもしれません。

──音楽と詩という“二枚の翼”を持つ中山さんにしか書けない詩が「妖怪の夕べ」(P.86)だと思うんです。ライブの開演前、終演後の自身周辺の景色を自虐的に語っていますよね。ライブハウス鳥獣戯画みたいな感じで。

中山:ライブハウス鳥獣戯画っていい言葉ですね(笑)。「妖怪の夕べ」も読んで気を悪くする人が出てくるんじゃないかと気になったんですけど、ライブの前後ってこんな感じですよね?

──そうですね。打ち上げの席のやり取りとか、とてもリアルですし。

中山:自分も含めてだけど、この人たちなんか妖怪みたいだなと思ったんですよ。最後の二行がないとだいぶ酷いですよね(笑)。

──「おいおい、ミュージシャンって、そんなに偉いのか。」という一文がありますが、これは常日頃から感じていることなんですか。

中山:うん、そう思いますね。狭い世界の中でああだこうだ偉そうなことを言ってるけど、それに違和感を覚えることが多くて。背広を着て満員電車に乗りながら会社へ行く人たちのほうがよっぽど偉いんじゃないかと思うときもありますし。自戒を込めた自虐的な詩ですね。

──自虐と言えば、「触れるオモチャ」(P.156)や「アンモナイト」(P.180)とは自分自身のことですか。

中山:そうですね。私たちみたいな稼業は触れるオモチャみたいだなと感じることが多いんです。サービスもしなきゃいけないし、どれだけ疲れていても写真を求められれば笑顔で応えなきゃいけないし。それに対して別に不満はないし、当たり前のことなんですけどね。昔は自分が触れるオモチャであることで機嫌が悪くなることもあったけど、ここ数十年はもうそんなことはないです。とても優しく親切に接してくださる先輩ミュージシャンの姿を見て、これを手本にしなきゃいけないなと思ったので。

──プリンセス プリンセスのメンバーとして一世を風靡した人が「アンモナイト」みたいな詞を書くのはだいぶ思いきったと言うか、潔さを感じますね。

中山:ものすごく自虐的ですよね(笑)。でもそれが当時一番言いたいことだったし、だからこそVooDoo Hawaiiansのシングルとして出したんです。一見するとミュージシャンの話のように思えるけど、昔の印象のままでずっと生きていかなくちゃいけないのは誰にでも当てはまることだと思うんですよ。どれだけ歳を重ねても20歳のときの印象を持たれたままだったり、みんなそういうことがあるじゃないですか。

──自分自身を水の中の三輪車という未熟な乗り物に喩えている「水中の三輪車」(P.128)は比喩の秀逸さが光る逸品ですが、自分に置き換えられる何かを絶えず探してメモを取ることが多いですか。

中山:決して良いものじゃない何かで喩えられるものはないかといつも探していますね。今の気持ちを喩えるなら何だろう? って。

──「This is New Day」(P.152)は2017年に発表されたVooDoo Hawaiiansの曲の歌詞ですけど、コロナ禍のいま読むとすごく響くものがありますね。

中山:このコロナ禍を意識して入れたわけじゃないんだけど、確かに今の時代のことをテーマにしているようにも読めますね。「This is New Day」は自分でも珍しいタイプの歌詞で、風変わりで面白いから入れることにしたんです。曲調もちょっとニュー・ウェイヴっぽい感じで変わってるんですよ。

──コロナ禍以降に書き下ろした詩も『詩詞集』には収録されているんですか。

中山:「水中の三輪車」は自粛期間中、全く動けないときに書きました。自分も世の中も膠着状態にある状況を描いたと言うか。

詩集は自分を出した解放感がすごくある

──個人的に一番好きなのは「さえずり」(P.161)という詩なんですが、さえずり=tweet、Twitterの語源ですよね。つまりむやみにつぶやく人たちへの風刺と言うか、SNSを万能だと思っていたら足元をすくわれるぞという警告のようにも感じたんですよね。

中山:ああ、なるほど。今まで気がつかなかった。その解釈、いいですね。そういうことにしておきましょう(笑)。

──「カメラ」(P.168)もまた、何でもかんでもスマホで写真を撮って実物を見ない現代人への風刺に思えたのですが。

中山:それもそういうことにしておきましょう(笑)。自分ではそこまで考えていなかったけど、そんなふうに読まれるなら大歓迎だし、そこまで深読みされるのは幸せなことですよ。読み間違えた解釈をする人もいるでしょうけど、それでも全然構わないし、こっちがあえて正解を出すつもりもないですし。私としてはちょっとでも共感してくれる詩なり詞があれば出した甲斐があるし、幸せだなと思います。たった一行でも分かってもらえるところがあれば嬉しいです。

── 一行どころか、死が身近なものになりつつある中山さんと同世代の人は「Heaven's Gig」(P.90)や「汲もう」(P.92)といった亡くなった人へ想いを馳せる詞と詩に深い共感を覚えると思うんです。個人的な話で恐縮ですが、ぼくも7年前に公私ともにお世話になっていたミュージシャンが急逝して、「Heaven's Gig」と同じようなことを考えることが日頃から多くて。

中山:死は年々身近に感じますね。コロナで亡くなった友人もいますし。だから生きているうちにやれることをやるしかないし、この『詩詞集』も生きているうちに出したかった。明日のことは誰にも分かりませんから。私の場合、10歳の頃から死に関心があったんです。死ぬことの怖さもあったけど、それと同時に死への憧れもありました。本当に死にたいわけじゃないんだけど、ブライアン・ジョーンズやジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンとかが揃って27歳で死んだじゃないですか。ああいう幻想に憧れていたと言うか、その程度の青くさいものですよ。怖いけどその世界をちょっと覗いてみたいっていう。なんて言うか、有名な人が死ぬとみんな大騒ぎするでしょう? 別に親しくなくても。あれにすごく違和感があるんですよ。こぞって“R.I.P.”を連発したり、もしかしてこのアクシデントを楽しんでない? みたいな。もちろん悪気もなく故人を偲んでいるのは分かるんだけど。私は身近な人が亡くなっても、その人がこれまでと変わらずそばにいるように感じるんです。ただ会えないだけで。

──なるほど。ところで、本書のカバーには人形の写真が使われていますが、これはどんな意図があったんですか。

中山:自分の顔写真を使おうかと思ったときもあったんだけど、顔のアップは生々しくしてどうかなと思って。中身が生々しいのに表紙まで生々しいのはイヤだなと。不要不急の外出もできないから撮影に行くこともままならないし、これは影武者を出すしかないと思ったんですよ。それでデザイナーの吉田圭子さんに影武者を送り、うつむかせたポーズを指定して撮影してもらったんです。ちなみにこの人形は“Kanako doll”と言いまして、PostPetのアートディレクターの方が“momoko DOLL”というバービーみたいな人形をプロデュースしていて、ラフォーレで展示会(『DOLLHEAD EXIBITION 2001』)をやったときにhitomi69さんという方に“Kanako doll”を作ってもらったんです。それを今回新たに用意した衣装に着替えさせて影武者にしました(笑)。

──何から何まで中山さんのこだわりが詰め込まれた一冊なんですね。企画、編集、制作、選定からイラストまで自身で手がけるなんて、アルバムの制作でもそこまでできませんよね。

中山:それはもう吉田圭子さんのおかげです。「加奈ちゃんは優秀な編集者だよ」と母のように姉のように優しく受け止めてくれて(笑)。ずっと二人三脚で作業を進めて、何度もやり取りしながらやっと完成させることができました。ただ、どれだけ校正しても誤字・脱字が出てくる恐ろしさを知りましたし、編集と校正の大変さが身に染みましたね。吉田さんに「いいよ、また誤植があったらいつでも言って」と励まされながら何とか切り抜けましたけど。

──640編から漏れた詩が少なくともあと570編あるわけですから、この『詩詞集』をシリーズ化することもできますよね。

中山:そうなんです。吉田さんにも「あと5冊は出そうね」と言われてます(笑)。

──こうした『詩詞集』を刊行するのは、アルバムを発表するのとはまた別の喜びがあるのでは?

中山:ありますね。音楽だともうちょっとうまく唄えたなとか、もっと違うアレンジにすれば良かったとか発表した途端に後悔が始まるんだけど、詩集にはそれがないんです。詩集のほうが自分を出した解放感がすごくある。実際、この『詩詞集』の作業はすごく楽しかったですし。実は作業の途中で何度も「この詩を載せるのはやめたほうがいいかな?」と吉田さんに訊きたくなったんだけど、それは違うなと思って。これは全部自分で決めなくちゃいけないと思ったんです。そうやって自己完結できるのが詩集のいいところですよね。今後はプロの編集の方にお願いすることがあるかもしれないけど、まず最初はこの『詩詞集』を全部自分の意志で作らなくちゃと思ったんです。

──ストックばかりではなく、生きてさえすればまた新たな詩が生まれるでしょうし、それを発表する機会を作らないのはもったいないですよね。

中山:そうですね。その前にまずは実家のトランクにあるノートの詩の打ち込みを済ませて、それをビリビリに破かないと。あれを残して死ぬわけにはいかないので(笑)。

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