和式のトイレと楽屋の洗面台のナゾ
──シェルターと聞いて思い浮かべるのはどんなことですか。狭い楽屋だったり和式のトイレだったり、いろいろあると思うのですが。
増子:シェルターって言えば“OPEN MIND”だよね。
──3年前、洋式のトイレに変わった時に落書きは一掃されましたね。
増子:あれは残しといてほしかったな。だけどなんでトイレは和式だったんだろうね?
鈴木:楽屋のトイレも和式でしたよね?
増子:バリバリ和式だったよ。(註:フロアのトイレ同様、2018年3月に晴れて洋式となりました)
TAISEI:あと、楽屋の洗面台になぜか板がはめ込んであってね。みんなあそこに座っちゃうからだろうね。
増子:できればあの板を平らにしてほしいわけよ。モノを置けるから。
鈴木:ああ、斜めになってますもんね。(写真下参照)

──いきなりマニアックな話になってますけど(笑)。各自、シェルター初出演のことは覚えていますか。
TAISEI:SAの初めてのワンマンがシェルターだったんだよ(2002年8月4日、『「GREAT OPERATION」発売記念ワンマン』)。
増子:シェルターは俺たちが上京した年(1991年)にできたんだよね。ちょうど30年前。
──怒髪天がシェルターに初めて出たのは1992年6月11日、共演はGearと破天荒というバンドだったようです。
増子:破天荒に怒髪天、ややこしいな(笑)。
鈴木:破天荒って名古屋のバンドですよ。近所に車が停まってましたから。
増子:マジで? よっぽど俺らのほうが破天荒だったけどね(笑)。でもそのブッキングは全然覚えてないなあ…。
TAISEI:チケット代は?
──前売1,500円、当日1,700円です。
TAISEI:いい時代だよねえ。
増子:昔は安かったから。

──フラカンのシェルター初出演は1993年9月21日で、FLOWERS OF ROMANCE、ZOSETS、SNAKY JOEが対バンでした。
鈴木:あれっ、それが最初ですか? LEEDSっていう中谷のブースカさんのバンドと対バンしたのが確か最初だったと思うんですけど。(註:後日調べたところ、THE LEEDSとの共演は1993年11月14日だったことが判明)
増子:FLOWERS OF ROMANCEにフラワーカンパニーズっていうのもややこしいね(笑)。
──フラワーズというバンド(桜井秀俊&パイオニアコンボにも在籍した上野一郎がベース担当)も初期シェルターの常連でしたし(笑)。
鈴木:その最初のシェルターだったというライブも共演バンドも全然覚えてないですね。
増子:ホーボーズジャングルくらいしか覚えてないな(笑)。
鈴木:ゆうたろうさんのバンドですね。
あまりに意外すぎた驚愕のシークレットゲスト
──若い人には何のことだか全然分かりませんよ(笑)。フラカンはアンティノスからデビューする前にシェルターで研鑽を積んでいたことになりますね。1993年に3回、1994年に7回、1995年に7回出演していたので。
鈴木:そうですね。
TAISEI:そこは使えないよ(笑)。
増子:いや、全部書いたほうがいいよ(笑)。でも××××××なんてそんなに敷居が高くなかっただろ?
鈴木:そうなんですよ。でも何回電話しても「ああ、聴いとく」って言うだけで全然相手にされなくて。
増子:○○○はテープ審査とかあったよな。
TAISEI:ああ、テープ審査とかやったクチ? 俺は幸か不幸か、そういうの一回もない。
増子:俺らはテープや資料を渡して「ここで唄わせてください」ってお願いして出たけど、だいたい一度出たら二度と声がかからなかったね。「個人的にはいいと思うんだけどウチの店にはちょっと…」とか永ちゃんみたいなことを言われて(笑)。

──「俺はいいけどYAZAWAがなんて言うかな?」的な(笑)。SAの『GREAT OPERATION』発売記念ワンマンは、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTがシークレットゲストとして出演したんですよね。
TAISEI:そうそう。シェルターにはそれまでも何回か出てたけど初のワンマンだし、何か面白いことをやりたくて、どえらい奴をシークレットで呼ぼうってことになったわけ。チバ(ユウスケ)に話したら「いいよ」ってことで、その代わり絶対にシークレットにしてくれと。で、当日フロアがパンパンの状態でミッシェルが出てきたら、お客さんはポカーンとしてるのよ。まさかこんな所にミッシェルが出るわけないし、誰? みたいな(笑)。終始ずっとそんな感じで、終わった後にあいつらが「やっぱり俺らももうちょっと頑張らないとダメだな」って言ってたよ(笑)。
増子:お客さんもあまりのことでびっくりしてたんじゃない?
鈴木:それ、キュウちゃん(クハラカズユキ)が言ってたかも。「『CISCO』をやっても全然盛り上がらなかった。あんなにシーンとした『CISCO』は初めてだった」って(笑)。
TAISEI:俺らとミッシェルがつながってるのを知らない人たちが多かったんだろうね。
増子:俺たちはシークレットでスガシカオさんに出てもらったことがあったな(2010年1月17日、『オトナ真剣ゼミナール“SHELTER留学”』)。
──ありましたね。それこそ元ミッシェルのウエノコウジさんも同じくシークレットで。
TAISEI:スガシカオはさすがに「わぁ!」の大歓声やろ?
増子:「わぁ!」よりも「ええッ?!」だよ。あまりにわけわかんない状態だからそっくりさんに見えるっていう(笑)。みんなシェルターになんて来るわけないと思うしさ。

──フラカンもシークレットで誰かを呼んだりしましたか。
鈴木:厳密に言うとシークレットではないですけど、シェルターに出始めた頃、ライブの2、3日前に「前座を入れていいですか?」って急に言われて出たのがデビュー前の山崎まさよし君だったんですよ。まだ誰にも知られてない頃だったけど、弾き語りがめちゃくちゃ上手くて格好良くて。その後がすごく出づらかったですよ。こんな人が出てくるなら先に言ってくれよと思いましたね(笑)。
増子:それは見事に潰されたな(笑)。
──フラカンはシェルターでエレファントカシマシとも対バンしたことがありましたよね(1995年7月16日)。
鈴木:はい、対バンしましたね。
──エレカシが一時期メジャーから離脱していた時期で。
増子:その同じ時期に俺たちもエレカシと251で一緒にやったよ。当時の俺たちはリハからガンガン飲んでて、エレカシのリハを見たら「やっぱりいいなあ」と思って「一緒に飲もうよ」って誘ったの。メンバーはみな無頼どもなんだろうとか思って。そしたら「いや、本番前は…」って断られちゃってさ(笑)。意外と真面目なんだなと思った。
シェルターでソールドアウトさせるのは最初の大きな関門
──再始動後の怒髪天の初シェルターはいつなんだろうと調べてみたら、SUPER SNAZZの企画でしたね(1999年10月23日、『SUPER SNAZZ PRESENTS “BUBBLEGUM-Z” VOL.3)。LAUGHIN' NOSEと怒髪天がゲストで。
増子:ああ、あれか。覚えてるよ。SNAZZはほら、ミッチ(spike)が札幌だから。札幌っていうか、あいつは江別だけど。
──それと忘れちゃいけないのが、怒髪天の自主企画『トーキョーブラッサム』の始まりは他でもないシェルターでしたよね(2000年4月27日、『怒髪天企画 トーキョーブラッサムvol.1~故き温め、新しきを知るとは~』。ゲストはOi-SKALL MATESとJackie&Enocky)。
増子:そうだね。もともとはシェルターでやるために始めたイベントだから。俺がシェルターでやったライブで一番鮮烈なのはワンマンかな(2001年2月24日、『au presents LIVE RECOMMEND トーキョーブラッサムvol.4~如月ニーチェ~』)。『如月ニーチェ』のレコ発で、eastern youthにシークレットで出てもらってさ。あれがやっぱり一番だね。
──その前の週に渋谷のクアトロで行なわれたeastern youth主催の『極東最前線33~新世紀上等!!~』に怒髪天がゲスト出演して、翌週のシェルターで主催とゲストが入れ替わったんですよね。
増子:そうそう。初のワンマンでちゃんとシェルターが埋まったのも感慨深かった。
TAISEI:俺もシェルターで初ワンマンをやった時は埋めたいと思ったし、ソールドアウトにしたかった。シェルターでソールドアウトさせるのって一つの大きな関門なんだよね。
増子:そう、第一段階としてすごく大きい。当時、ロフトが歌舞伎町に移転したじゃない?
TAISEI:むっちゃデカくなってね。
増子:そうなのよ。いきなり550のキャパになって、とてもじゃないけど埋めれない。こりゃ参ったなって時にシェルターがあった。しかも雰囲気が昔のロフトに近くてね。

鈴木:前のロフトでもやってるんですか?
増子:うん、やってる。
TAISEI:俺もやってる。
鈴木:いいなあ。僕らは前のロフトでライブをやったこともなければ行ったこともないんですよ。敷居が高すぎて近づけなかったし、ロフトに出たのは新しくなってからなんです。
増子:前のロフトは敷居が高かったし、なかなか出れなかったね。ロフトはやっぱり日本一のライブハウスだから。
TAISEI:でも俺、高校生の頃からSAやってるじゃん? その時に呼ばれたんだよ、LOODSってバンドに。
増子:R.B.F.(レーベル)の西村(茂樹)さんのバンドね。
TAISEI:うん。SAが『I GET POSITION』を出したり『Oi of JAPAN』に参加してたから、西村君がR.B.F.の企画に呼んでくれたの(1986年3月28日、『Loud Machine Tour』)。「どこでやるの?」「ロフト」って言うんだけど、当時の俺はロフトを知らないわけよ。
増子:俺はARBの「LOFT 23時」を聴いて憧れてたよ。新宿に行けばロフトがあるんだなと思って。
TAISEI:俺は全然知らなかった、岐阜の高校生だったから。だからロフトがすげえって感覚が分からなかったんだよ。その後東京に出てきて、BAD MESSIAHでもよく出てたから、圭介の言う「ロフトは敷居が高い」っていうのがよく分からない。まあ、今思えば怖いもの知らずだったけどね。
増子:集客のあるバンドに誘われるタイミングも良かったんだろうな。一からロフトを埋めるのはまず無理だよ。

──圭介さんはどうですか、今でも記憶に残るシェルターでのライブといえば。
鈴木:僕らが26、7の頃だったかな。年越しのオールナイトに何回か出たんですけど、ある時掛け持ちで出たんですよ(おそらく1995年12月31日~1月1日、『THE FINAL OF 1995~presented by SHELTER~』)。Queと渋谷の屋根裏を回って、シェルターをラストにして。確か朝の4時くらいだったかな。その途中に文化放送の生放送に酒を飲みながら出たもので、シェルターに着いた頃にはメンバーもマネージャーもベロベロで。僕は飲めないので冷静だったんですけど。なかでも酷かったのが竹安(堅一)で、ろくにギターは弾けないわ、間違えまくるわ、「恋をしましょう!」って僕が3回くらい叫んでも全然入ってこない。しまいには僕のハープアンプを笑いながらバーンと倒して、もう僕は完全にブチ切れですよ。お客さんのいる前で竹安に飛び蹴りしましたから。
TAISEI:正月早々なにやってるんだよ(笑)。
鈴木:お客さんもシーンとしちゃって。出番が終わって楽屋でメンバーに言いましたからね、「俺はもうやめる! 名古屋へ帰る!」って。マネージャーもベロベロに酔っ払ってたので、ローディーのQ太郎が「お前が何とかしろ!」ってマネージャーをぶん殴ってたんですよ(笑)。
増子:最低だけど笑えるな(笑)。
鈴木:お客さんから初めて「金を返せ」って言われたし、ホントに最低でしたよ。その後、正月の2日くらいに竹安から電話がかかってきて、「すいませんでした」と。それ以来、酒を飲んでライブをやることはなくなったんですけど、あれはシェルターでやった最低のライブというより、今までやったライブで一番最低のライブでしたね。
昔の歌詞を一語一句添削してやりたい
──今回、お三方に出演していただく総勢30組のアーティストによる30日間連続ワンマンライブ『LOOK BACK ON THE 1991-2021』について説明させていただくと、10月1日を1991年、2日を1992年、3日を1993年…と各日を年号に見立てて、その年を代表するバンドがほぼ時系列順に出演する趣向なんです。怒髪天が出演する10月1日は上京した1991年、フラカンが出演する10月3日はシェルターに初出演した1993年、SAが出演する10月9日は再始動した1999年という意味合いがありまして。
増子:ああ、なるほどね。今初めて聞いた(笑)。
──だから怒髪天なら1991年、フラカンなら1993年、SAなら1999年当時をそれぞれ彷彿とさせるセットリストに多少はなるのかなと。
増子:なるだろうね。今年は俺ら上京30年でさ、古い曲ばっかりやらされてるから(笑)。古い曲を唄うとじんわりきて、悲しい気持ちになることもあるよね(笑)。
鈴木:当時のことを思い出して?
増子:そう。基本的に恨み節で暗いんだよ。
TAISEI:あるよなあ、そういうの。

──TAISEIさんでもありますか?
TAISEI:SAは今の3人になって来年で20周年なんだよ。こないだリハで、3人で作ってたアルバムの中のすげえ渋い曲を今度のシェルターに向けてやろうってことでやってみたんだけど、20年も経つと歌詞がダサすぎてね…。
増子:自分で添削したいよな。そこはちょっと違うだろって。1991年の上京した頃の俺なんて、もう首絞めてやりたい(笑)。
TAISEI:古い曲をやると、そりゃその時はそう思ったのかもしれないけど…っていうの、ない?
鈴木:めちゃくちゃありますよ。
TAISEI:あるよね。でもやればウケるじゃん? みんな好きなんだなあ…って思うしさ。
増子:めったにやらないからウケるし、喜ばれるんだよ。
鈴木:だけどウケない時もあるんですよね。何のためにやってんの、これ?!みたいな(笑)。
増子:あまりに古すぎて誰も知らないレベルで、逆に新曲と思われたんじゃないかっていう(笑)。
TAISEI:SAはそういう古い曲を10月9日に何曲かやろうと思ってる。だけど昔の曲って歌詞が入ってこないのよ。

増子:俺らにも「もういい加減にしろ!」って曲がいっぱいあるよ。「何を言ってんだ?!」っていうのがさ。
TAISEI:あるよね。「お前、甘いぞ!」って言いたくなるもん。
増子:もうホントに赤ペンで「ここはこう、そこはこう」って逐一書き直してやりたい。
鈴木:それをやったら僕の歌詞なんて“全赤”ですよ(笑)。この曲は今でも唄えるけど、あの曲はやっぱり恥ずかしいって感じで分かれますね。
──でも、そういうことがあるからこそ今なお新曲を発表し続けているんでしょうしね。
増子:まあそうだよね。SAはないと思うけど、フラカンは若い頃に舐められたくない、若く見られたくないって思いからよりシブい方向に行きがちだったでしょ?
鈴木:そうですね。
増子:俺らもそういうのがすごいあった。そして当時はそれがちゃんとできてなかったんだよ。だから昔の曲は今やったほうが逆にしっくりくるんだけど、歌詞だけが幼いんだよね。

鈴木:分かります。音はシブいんだけど、歌詞だけが納得いかない。
増子:歌もフラットしたりシャープしたり酷いもんなんだけど(笑)、歌も演奏もちゃんとやると昔の雰囲気が出ないんだよ。
TAISEI:上手くなりすぎちゃったところは確かにあるかもしれないね。
増子:だから部分的にちゃんと間違えてないといけない。すごい複雑な話だけどね(笑)。でも、24、5で上京した当時の曲はシブすぎるから。ジジイじゃねえんだからっていうさ。
TAISEI:ああ、ブルースっぽい感じの曲が?
増子:そう。今やすっかりジジイになったからちょうどいいんだけど(笑)。
若いバンドが目指すライブハウスでいてほしい
──シェルターがオープンしたのは下北沢にロック系のライブハウスがまだ屋根裏くらいしかなかった頃なんですが、下北沢はこの30年で音楽の街というイメージがすっかり定着しました。下北沢でやるライブはやはり他の街とは違う独特の雰囲気があるものですか。
TAISEI:安心感っていうのかな。下北は遊ぶ所でもあり飲みに行く所でもあるし、肩の力を抜いてリハをやるくらいの気持ちでライブをやれる。そういう気持ちで臨めるのは下北ならではだと思う。渋谷でも新宿でもちょっとは構えるからね。
鈴木:ピリつく感じはありますよね。ちょっと出かけてきますみたいな。でも下北だとふらっと行ける感じがある。
TAISEI:よくライブのMCでも下北のことを「マイ・ホームタウン!」って言うんだけど、ホントにそれくらい20代の頃から下北で遊んでたから。
増子:よく飲んでたしね。いつも誰かしらライブをやってたし、どこかの打ち上げに合流したりして。
鈴木:今でも下北を歩いていれば誰かに必ず会いますしね。
増子:人の打ち上げに必ずいるのはグレ(COMMONS)だけどね(笑)。
──下北にいればかなりの確率でグレさんに遭遇しますからね(笑)。
増子:しかもかなりの確率でただ飲みしてるから(笑)。

──たとえばQueや251、ガレージなどと比べて、シェルターにはどんなイメージがありますか。
増子:シェルターは特別だよ、やっぱり。
TAISEI:ステージの高さもキャパも絶妙なんだよね。ハコの大きさが絶妙。
増子:あと、ニシ(3代目店長の西村仁志)がここで築いたものが大きいよね。シェルターは最先端の音楽が生まれる場所だったし、北海道から出てきたbloodthirsty butchersやeastern youthがここを活動の基盤として自分たちでイベントを組んだりしてたのが誇らしかった。シェルターでここまでできるんだと思ったし、他で出れなくてもホントに格好いいバンドがちゃんと出れるハコだよね。それはニシの時代から始まってると思う。
鈴木:シェルターはやっぱり格好いいし、硬派ですよね。下北のハコの中でも一番硬派なイメージがある。
──あと、自分が客として通っていた頃から感じていたのは、どれだけ爆音でもちゃんとクリアに聴こえる音響システムの素晴らしさなんですよね。
TAISEI:音はいいよね。やってて気持ちいいんだよ。
増子:まあ、ステージ上は死ぬほど熱いけどね(笑)。天井から水蒸気がポタポタ落ちてくるから。
TAISEI:でもそこを超えられるんだよね。自分の感情がその状況を超えられるし、むちゃくちゃにできるっていうか。


──今後のシェルターに期待したいことがあれば、ぜひお願いします。
増子:このご時世だから、とにかく存続してほしいよ。あとは古いものにこだわらずにいてほしい。それがシェルターの良さだから。
鈴木:今度の30周年のスケジュールを見ても思うけど、もっと若いバンドをどんどん出してほしいですよね。
増子:出るバンドの高年齢化が進んで、今や養老院みたいになってるハコも多いじゃない? 30年前から出る面子が変わらないみたいなさ。シェルターにはそうならないでほしいね。ブッキングする側の感性も衰えてくるから、ライヴハウスの店長は年齢制限を設けたほうがいいよ。
TAISEI:シェルターといえば、若くてちょっと嫉妬するくらいの格好いいバンドが出てるイメージがあったよね。今でも20代のロックンロールバンドで「こいつら格好良すぎるだろ!」みたいな奴らはいるだろうし、そんなバンドがどんどん出れるハコであってほしい。
増子:こないだSAとNEATBEATSが若手のロックンロールバンドと回ってなかった?
TAISEI:ああ、JOHNNY PANDORAね。
増子:彼らはめちゃくちゃ格好いいでしょ?
TAISEI:うん。見た目はキャロルっぽいんだけど、音楽的にはヒルビリー・バップスっぽいところもあるんだよ。
増子:ちょっとスイートな感じね。しかもツイストがバカうまだから。

──へえ。今もそんなバンドがいるんですね。
TAISEI:いるいる。
増子:まあ、局地的にそこしかいないけどね(笑)。でもすごく格好いい。パンクもそうだけど、たとえばCYbER dYNEの細い服が似合うような若い世代のバンドが目指すライブハウスになってほしいな、シェルターには。あそこに出たいと常に思われるようなさ。
TAISEI:若い時しかできない細身のファッションってあるよね。服を見せるためだけにライブをやる奴らっているじゃん。歌や演奏は二の次でさ。若い奴らはそれで充分なんだよ。
増子:俺らの歳で細身の格好してたらただの病気だからね。具合悪そうなおじさんが出てきたと思われるだけだから(笑)。
鈴木:若い世代のことで言うと、僕らは2年前にシェルターでbachoっていう若手の格好いいバンドとブッキングしてもらったんですけど(2019年10月16日、『SHELTER presents.「地下室ノ正義」』)、それまで接触のないバンドとやれるのはすごく刺激になるんですよ。だから若いバンドと交流を図れるブッキングはぜひ続けてほしいですね。
増子:そういう対決シリーズはいいよな。何度も言うけど、シェルターっていうのは特別だから。その特別感をずっと保ち続けてほしいよね。