当時の仲間が“鮎川誠&ミラクルメン”と勝手に命名

鮎川:僕が新宿ロフトで初めてライブをやったのはサンハウスで、1977年の12月1日にやったはずだと昨日ふと思い出してね。

──過去のスケジュールを遡ると、1977年12月3日に新宿ロフトで『ドライブサンハウスライブ』と題したライブをやった記録が残っていますね。

鮎川:ああ、1日じゃなくて3日?

──はい。それ以前にもサンハウスは1976年の2月28日、4月25日、8月13日の3回にわたって荻窪ロフトでライブをしていたようです。

鮎川:僕らは1974年くらいからレコーディングやら何やらで東京へ行くようになって、こっちのエージェントが手伝ってくれて三ノ輪モンドとかでライブをやったね。新大久保の商店街にあった縦長のライブハウスでもやった気がする。荻窪ロフトもその流れでやりよったけど、「ここがあの荻窪ロフトか!」みたいな感じではなかった。1976年の8月にサンハウスでライブをやったときは、ジャケット撮影をしたマックス高橋(高橋昌嗣)さんというカメラマンのご夫妻が聴きに来たんやけど、スピーカーの前にいた奥さんがあまりの爆音で鼓膜に深刻なダメージを受けられてね。実際のライブよりもそんなエピソードのほうが覚えてる。

──3rdアルバム『ドライヴ・サンハウス』の発売日であり、解散を決定したと言われる1978年3月25日に新宿ロフトでサンハウスとして最後のライブをやっているんですよね。