自分の言葉として原詞を理解できるカバーの強み

──ラヴェンダーズのセカンド・アルバム『Luv-Enders' Explosion!』発表時のインタビューで、次の作品へとつながる橋渡しの役目もできるんじゃないかということでモッズの森山達也さんが作曲提供した初のオリジナル曲「HOMECOMING」を収録した経緯があったと記憶しているのですが、結果的にラヴェンダーズのオリジナル作品にはなりませんでしたね。

AKIRA:それはやっぱり、このコロナ禍の影響が一番大きいですよね。

KOZZY:コロナのせいでラヴェンダーズの活動自体が止まってしまったし、僕と共同プロデューサーだった森山さんもご自身のアルバム制作やツアーがあったりして忙しくてね。

──“T.MORIYAMMER”名義のソロアクトですね。そのプロジェクトでもKOZZYさんがプロデュースをされていましたが。

KOZZY:僕らの師匠に迷惑をかけられないので、われわれ下々は自分の活動が疎かになるっていう(笑)。

──流れとしては昨年末に3週連続で配信したクリスマスソングの数々、2月に配信したシングル「恋のヴァレンタインビート」をフィジカルなアルバムとしてまとめようとしたわけですよね。

AKIRA:そうですね。コロナの中でも何かしらのリリースをしたかったし、私自身、クリスマスが大好きなんです。

1年の中で一番好きな季節で、いつかは自分でもクリスマスソングを発表したくて。それで去年、忙しいKOZZYさんを急かしてプロデュースしてもらったんです。それで2、3週間くらいでリリースに漕ぎ着けて。

KOZZY:プロデュースする対象がAKIRAというボーカリストなら、僕もどうしてもちゃんとしたものを作りたくてね。それは父親と娘という関係だからだけじゃなく、空いた時間に片手間で作るのはお互いに失礼だろうし、何より聴いてくれる人たちに失礼だから。だからAKIRAのクリスマスソングを発表するにもそれなりの時間が必要だったし、せっかく作るなら僕も思いきり楽しんでクリスマスソングを作りたかった。

その限られた時間の中で「恋はキャンディ・ケイン」というオリジナル曲を作ったときの彼女とのやり取りがけっこう良くて、そこで手応えを感じたので「恋のヴァレンタインビート」を作ってみた。僕が持ち込んだ曲に対するAKIRAのレスポンスや書いてくる詞もいい感じだったし、いずれはこれを1枚のアルバムにしたいねとお互い思っていたので、詞曲の準備をしておいてくれとAKIRAには言っていて。こっちは森山さんのソロやモッズ本体の動きに全面的に関わらせてもらっていたのでなかなか時間が取れなかったんだけど、タイミング的にはギリギリで何とかAKIRAとの作業に入れてね。

──公私の境が曖昧な家族だからこそ時間の融通が利くこともありますよね。

KOZZY:普通のプロデューサーとアーティストよりも近い関係性だし、夕食を一緒に食べた後にすぐ打ち合わせができる環境にはあったね。夕食の時間までは親子だけど、終わったらプロデューサーとアーティストとしてスタジオに入ることもできる。

僕からは曲を出して「これに合う詞はどう?」「どんな詞があるんだ?」とか訊いて、そのやり取りは親子だからなのかスムーズにできたね。まあそれはオリジナルを入れることを決めてからなんだけど。それまで録りためてたカバーがグッズ的に出したのも含めてけっこうあったから、最初はそれをまとめてアルバムにしようと考えてたんだよ。でもせっかく作るならオリジナルを入れたほうが気持ちも入るだろうってことで、オリジナルを入れようと。ただ、AKIRAとカバーをやるのは純粋に楽しい。選曲にしても僕のアプローチとAKIRAのアプローチは全然違うし、彼女は自分の言葉として原詞を理解できる強みがある。
そういう僕との違いがあるし、ちゃんと歌詞の意味を分かってる人が唄ってくれるのは聴いてて楽しくてね。

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──本作の収録曲である「It's So Easy」で言えば、バディ・ホリーとリンダ・ロンシュタットの違いに似たアプローチの差がKOZZYさんとAKIRAさんにはあると。

KOZZY:そういうこと。その違いが楽しいし、いろいろ録りためてはいたんだけど、どうせならオリジナルも入れたい欲が出たってことかな。

──そのオリジナル楽曲が殊の外いいんですよね。夢と希望をトランクに詰め込んで未知なる世界へ羽ばたこうとする「Tokyo Girl」、新天地で手に入れた自由を思うままに満喫している「California Girl」など、ラヴェンダーズでは見られなかったAKIRAさんのパーソナリティが如実に表れていて。

KOZZY:その辺は上手くできたよね。

AKIRA:うん、そう思います。

良し悪しのジャッジは世代の違う父娘でも同じ

──いわゆる曲先で、KOZZYさんが持ち寄った曲に対してAKIRAさんが詞を書き上げていった感じですか。

AKIRA:それもあったし、曲作りの段階で「こういうテーマで歌詞を書いてみたらどう?」と提案されるケースもありました。

KOZZY:たとえば「“卒業”とかどう?」みたいに僕からお題を出したりね。「アメリカへ行くことになったときに感じたことはどう?」とか。そうするとああだこうだとLINEで返事がくる。

AKIRA:家の中でもLINEなんですよ(笑)。

KOZZY:今の時代ですから(笑)。逆に「ちょっとモータウンっぽい曲調はどう?」と提案すると「それなら“出発”みたいなテーマが合うじゃないかな?」と返ってくることもあった。そんなやり取りの中で一番最初にできたのが「Tokyo Girl」だったのかな。

AKIRA:そうですね。まさにちょっとモータウンっぽい感じで。

KOZZY:AKIRAから出してくるテーマや「こういうタイトルはどう?」みたいなアイディアが幅広かったので、プロデューサーとしてはそこを上手く汲み取ってあげたかった。僕自身はいまルーツ・ミュージックやロックンロールといった古い音楽を主体にやってるけど、こう見えていろんな音楽を知らないわけじゃないし、AKIRAの好きなコンテンポラリーな音楽にアイディアを寄せてみること自体はすごく楽しかった。「ちょっとここはラップっぽく歌を入れてみようか?」とか、今風のリズムトラックを作ったりとかね。

──おっしゃる通り「Remember Me to Myself」や「The Night in the Valley」には打ち込みのリズムが部分的に使われているし、ロックスヴィル・スタジオ・ワンでのレコーディングとしては珍しいケースですよね。

KOZZY:ここ最近は使ってないけど、打ち込みに関してはわりといち早くやってたんだよ。今だと全然普通だけど、Macを使ってリズムのシーケンサーを走らせたりとか。あれはコルツを始めようとしていた1990年くらいなのかな。それで言えばAKIRAが生まれたのは1995年、物心がつくのは2000年以降になるわけで、その時代の音楽が彼女のベーシックにあるんだよね。そういうAKIRAの資質と僕の持ち味を合わせてみたらどうなるんだろう? という興味もあったし、いざやってみたら面白い曲がどんどんできてきたのでこれはいい感じの作品になりそうだと思った。だから無理に古い音楽のほうへ引っ張るんじゃなく、かと言って世の中的に新しい音楽に合わせるのでもなく、それぞれのいい部分を自然に出せたと思う。

──たとえば「The Night in the Valley」はビートルズっぽいニュアンスをメロディから感じますが、音の装飾は今日的だと思うんです。だからロックスヴィル・スタジオ・ワンとしてはだいぶ新たな試みが為されたのではないかと思って。

KOZZY:まあ、新しいと言っても最先端の音楽制作に携わる人が聴いてどう感じるかは分からないけど、僕らの中ではかなり新しいアプローチかもしれないね。でもそれもAKIRAにとっては自然なアプローチなんだと思う。そういうAKIRAのナチュラルな持ち味を今回は活かしたかった。たとえば「The Night in the Valley」で言うと、僕が曲調に合うマイナーな進行を弾いていたらAKIRAが勝手にメロディを付けて唄ってきたんだよ。じゃあそれに合うような歌詞を書いてくれと言えばいい感じのものが出てくるし、それで自ずと進むべき方向性が決まる。そういうやり取りが多かったね。

AKIRA with THE ROCKSVILLE - Luv-EndersのボーカリストAKIRAのソロ・プロジェクトが贈るポップでキュートなファースト・アルバム+クリスマスソング集【前編】

──このロックスヴィル・スタジオ・ワンへ入ってくるとき、出入口に年季の入ったタイプライターが置いてありましたが、あれは「Remember Me to Myself」の冒頭で使われたものですか。

KOZZY:そう、あのタイピング音を入れた。「このタイプライターで昔の自分に手紙を書くとしたらどんなことを書く?」ってお題をAKIRAに出してね。

AKIRA:今はあまり使われない表現で、「Remember Me to ×××」で「×××によろしく」って意味があるんですよ。だから「Remember Me to Myself」は“今の私から過去の自分へどうぞよろしく伝えてほしい”という歌なんです。昔の自分にメッセージを送るなら? というお題で書いた歌詞で、今の私の視点で当時の自分を思い出しながらメッセージを贈った感じです。

──歌詞を推敲する作業は順調でしたか?

AKIRA:サラッと書けたものもあるし、けっこう悩んだものもあるし、もともとあったものを活かしたのもあれば新しく書いたのもあります。英語もそうですけど、日本語の言葉選びは特に悩むことが多くて。「The Night in the Valley」の頭に“喚(わめ)くサイレン”という歌詞がありますけど、最初は“喚く”じゃなくて、そこに入る3文字くらいのいい日本語がないか探していたんです。そういうところでKOZZYさんからすごくアドバイスをもらいましたね。

KOZZY:英語だと“鳴る”=“sound”くらいの表現しかないんだろうけど、日本語なら“鳴る”の代わりに“響く”とか“轟く”とかいろいろあるでしょ? 僕が「英語だとここは何て言うの?」と訊くこともあるし、森山さんからAKIRAに「これは英語だと何て言うの?」ってLINEで来るときもあるんだけど、それと同じようにAKIRAから「日本語でこれは何て言うの?」と訊かれることも多くてね。経験上、彼女は多感な時期をアメリカで過ごしたから日本語のいろんな種類の言い方が分からないのは仕方ないし、それが逆に面白いところでもある。英語にも何種類も言い表せる言葉はあるし、そうじゃないのもあるけどね。そんな言葉のキャッチボールを経てメロディに合う言葉を見つけ出して、実際に唄ってもらって良い着地点にたどり着くようにするわけだけど、その良し悪しの判断がAKIRAも僕も結果的に同じなんだよね。そこに世代の違いも音楽的嗜好の古いも新しいもない。「あ、今の良かった。上手くハマったね」っていう感覚は全く同じで、共通項がちゃんとあるんだなと実感した。そこで僕が影響を受けたオーセンティックなロックに寄せるわけでもなく、ジャッジはあくまでAKIRA次第というか。「Remember Me to Myself」で「過去の自分にタイプライターを打つならどんな感じ?」というお題を出して、尚且つ最初はポツポツと語るような唄い方にしてほしいと難しいリクエストをしたんだけど、AKIRAはAKIRAなりの表現でしっかり応えていたと思う。それが今回のアルバムの象徴でもあるよね。古いタイプライターを使って新しい世代の女の子が昔の自分にメッセージを伝える、そんなテーマの歌をヴィンテージの機材でレコーディングするっていうのは“古いもの=僕”と“新しいもの=AKIRA”が融合するわけだから。それが2人の表現できる最たるものというか。まあ、いろいろ試行錯誤はしたけどね。唄い回しとか細い部分は任せたけど、そういう感じならキーをもう少し下げようとか何度か変えたりもしたし。「Remember Me to Myself」はそういうトライ&エラーの果てにああいうルースな感じになった。

英語100%の歌詞に日本語を適宜に補っていく作業

──「California Girl」の“Lazy summer”と“神様”、「Indian Summer」の“マイ・インディアン・サマー”と“ま、いいんじゃないサマー”など、韻を踏むトライアルも随所に見受けられますね。

AKIRA:その辺はだいぶKOZZYさんに助けてもらいました。

KOZZY:“Lazy summer”と“神様”みたいにふざけたのはだいたい僕のアドバイスだね(笑)。でもそういう韻の踏み方一つにしても、僕がずっと影響を受けてきたロックンロールの大事な部分っていうか。韻を踏んでないロックンロールなんてあり得ないと信じて生きてきたし、チャック・ベリーから何からロックンロールの偉大な先人たちはステキな韻の踏み方をずっとしてきたわけで。そういうセンスはAKIRAの好きなヒップホップにも通じるし、彼女は僕らと違ってそれを頭じゃなく感覚として理解できてるんだよね。その差も面白かったし、AKIRAがたくさんメモしていた韻を踏む言葉…それを歌詞に組み立てて面白いと感じるかどうかの違いも面白かった。僕が捨てようとしていた言葉をAKIRAは逆に面白がっていたりして。

──ラヴェンダーズの「HOMECOMING」も英語と日本語のちゃんぽん具合がユニークな曲でしたけど、本作のオリジナル曲はどれもその作風をさらに進化、昇華させた感じですよね。

KOZZY:そう受け取ってくれるといいけどね。

AKIRA:「HOMECOMING」の歌詞を書いたときは「英語の比率が多すぎる」という指摘があったので日本語を増やしたんです。今回はすべて英語で書いてた歌詞が特に多くて、後から英語の部分を削ったり日本語を足したりしてみました。「Remember Me to Myself」も「California Girl」も最初は英語の配分が多くて、歌詞をまとめる過程で少しずつ日本語を入れていったんです。

KOZZY:そこはプロデューサーとして「聴く人によっては唄ってることが分からない所もあるから、あまりに難解な部分は日本語にしてくれ」とお願いしてね。それも安易に日本語にするんじゃなくて。日本語のほうが僕はうるさいから「こういう言葉はどう?」とか時間をかけてアドバイスした。時間がない中でやり取りはだいぶしたね。

──KOZZYさんは日本屈指のロックンロール詩人でもあるので、日本語のチョイスにはだいぶ手厳しかったでしょうね。

KOZZY:僕がこれまでずっと培ってきた、ジョニー大倉さんから受け継いだDNAがあるからね。AKIRAの歌詞はそれをより突き進めたと言っていいのかな。もっと英語の配分が多い歌詞を使いながらメロディにしていくのは、僕の中では新しい試みだった。AKIRAにとってはオーセンティックなものに合わせて日本語にしていく難しさがあっただろうけど、僕にはすごくエキサイティングな経験だったね。だからこのAKIRAの歌詞を大倉さんにも聴かせたかったよ。あの人は本来歌詞を全部英語にしたかったし、身も心も外人になりたかったわけだから。

──“夕方”を“You've gotta”、“曖昧な”を“I may not”と発音するように英語みたいに聴こえる日本語詞をあえて書くミュージシャンもいますが、そういうフェイクではなく、AKIRAさんにはネイティヴならではの強みがありますね。

AKIRA:日本語っぽく聴こえる英語、逆に英語っぽく聴こえる日本語は意識して入れたし、そういう言葉を探すのにかなり時間をかけました。

AKIRA with THE ROCKSVILLE - Luv-EndersのボーカリストAKIRAのソロ・プロジェクトが贈るポップでキュートなファースト・アルバム+クリスマスソング集【前編】

──以前、KOZZYさんがラヴェンダーズ始動時に「ノー・ダウトっぽい感じにしたい」と話していたというエピソードを聞きましたが、今回は手本とするジャンルやバンドはあったんですか。

KOZZY:あえて言うなら90年代のロックかな。それは自分の中でもすごく重要な位置を占めてるっていうか。僕は80年代に音楽をやり始めてデビューして、90年代の頭にコルツを結成してすごい自信を持ってバンドをやっていたけど、ニルヴァーナとかグランジ・ブームが来たときに自分の感性は終わったのかな? と感じたわけ。こういう音楽についていけないのは若者として終わったのかな? ってね。そこでロックに対して絶望したとまでは言わないけど、こういうのは僕がずっと好きだったロックなのか? という思いが拭い去れなくて。でもその後、90年代後半はいいロックバンドがどんどん出てきたし、すごい量のCDを買ってた。それこそノー・ダウトとか、スマッシュ・マウスみたいに60年代の雰囲気があるバンドとかね。当時はそういう元気のあるロックが特にアメリカからたくさん出てきた印象があって、初めてAKIRAを連れていった海外バンドのライブはランシドだったかな。ノー・ダウトも一緒に観てるはず。

AKIRA:うん、観た。

KOZZY:AKIRAはそんな時代背景で育って、家では僕がビートルズをかけるのを一緒に聴いてたし、古いロックも最新のロックも知ってた。スカタライツの曲も全部唄えると思うよ。子どもの頃からずっとBGMで聴いてたわけだから。その一方でサブライムも生まれたときから知ってるのが彼女の強みだね。そういう音楽を本場のアメリカで聴いてきたAKIRAと、ずっと憧れでロックをやってきた僕との違いは大きい。僕はプロデューサーの立場としてAKIRAの才能を引き出す役目だけど、英語を自分の言葉として理解できる部分や本場のロックを体感してきた経験値ではAKIRAのほうが上だし、実際に現地で生活した人にしか分からない感覚がある。そういう生活音みたいなものを上手く歌詞に出してくれたので、そこは良かったと思うね。

LAで生活したAKIRAならではの音と空気感

──サブライムと言えば、「California Girl」に「“Santeria”ここで聴くのは最高」という歌詞がありますね。

AKIRA:LAに留学していた頃、ラジオから「Santeria」が流れてきたことに驚いたんですよ。マイリー・サイラスとかの曲の後に普通に流れてきたりして。すごい印象的だったのが高校生のとき、外にカフェテリアがあって、そこでみんなランチを食べるんだけど、でっかいブームボックスから爆音で流れてくる「Santeria」に合わせて高校生がみんな唄ってるんです。知らない人なんていないってくらいみんなで唄ってて。友達じゃなくてもみんな一緒に唄ってるのを見て、日本の高校生じゃまずあり得ない光景だなと思ったんですよ。日本で言う中3から高3までの何百人が外に集まって「Santeria」を一緒に唄ってるのは世界中でもここしかないだろうと感じたのを覚えてて、「Santeria」を歌詞に入れてみたんです。

KOZZY:みんなで大合唱するような曲じゃないけどね、「Santeria」は(笑)。

──「もし彼女と他の男との関係に気づいたら、その男の頭を撃ち抜いて彼女を引っ叩いてやる」みたいな歌詞ですからね(笑)。

AKIRA:私が住んでいたのはサウス・カリフォルニアの中でも治安の悪い地域で、それも相まってみんなでそんな歌を唄ってるのが面白かったんです。そこで一緒に唄ってた男の子がきっと何か悪いことをして次の日には学校に来なかったりとかして。「そう言えばあいついないな」とか思ったら「退学したんだよ」って友達に聞いたり。そんな17、8歳のときの体験と、小さい頃から聴いてた「Santeria」が自分の中で結びついていたことを歌詞のストーリーに入れ込んでみたんです。

KOZZY:あと「California Girl」に関して言うと、デモで僕が弾いてたアコギを全部消してAKIRAに弾かせたんだよね。僕に比べて決して上手くはないけど、カリフォルニアの空気を知ってる彼女がアコギを弾いて唄うことに意味があったわけ。現地で生活したAKIRAならではの空気感が絶対に伝わるはずだから。

AKIRA:確かにギターは下手いんだけど、緩くて別に上手くなくてもなんか成立するというか。

KOZZY:僕もこれまでLAにはレコーディングや観光で何度も訪れて、サンタモニカのビーチとかでストリートミュージシャンが演奏してるのを見たけどホントに下手(笑)。だけどやる側も聴く側もそれでハッピーなんだよね。いつも太陽が燦々と輝いて、緩い空気の中でみんなバカやっててさ(笑)。その感じが欲しくてAKIRAにアコギを弾いてもらったら、デモとは全然違う雰囲気になって「これだな」と。それで「The Night in the Valley」も「Indian Summer」も僕がイントロから弾いてたギターをAKIRAの演奏に差し替えることにした。

AKIRA:正直、テクニックとかないので、そういうところじゃない雰囲気で弾くのがいいのかなって。その不完全な感じが逆にいいのかなと思って、「大丈夫、大丈夫。これでいいんだよ!」と自分に言い聞かせながら弾きました(笑)。

AKIRA with THE ROCKSVILLE - Luv-EndersのボーカリストAKIRAのソロ・プロジェクトが贈るポップでキュートなファースト・アルバム+クリスマスソング集【前編】

──新天地へ向けて空港から羽ばたく“Tokyo Girl”は足元のおぼつかなさが魅力なので、それで良いのだと思います。緩さと言えば、トロピカルな佇まいもある「Indian Summer」のレゲエを意識したアレンジは作品全体の中で良いアクセントになっていますね。

KOZZY:ああいう曲調はお手のものだし、演奏するのも純粋に楽しいしね。

──古さと新しさの共存や融合が本作の裏テーマだとすると、「California Girl」や「Indian Summer」のようなタイトルは暗示的ですよね。前者はビーチ・ボーイズ、後者はドアーズを想起させますし。

KOZZY:前のインタビューではスカタライツの「Indian Summer」って言われたけど、ドアーズの「Indian Summer」もいい曲だよね。

AKIRA:「スカみたいな曲があるといいよね」みたいな話をしてたし、季節的に夏の曲がないことに途中で気づいたんです。それで歌詞のファイルの中に“Indian Summer”って書いてあるのを見つけて、それが使えるかもしれないってことでピックアップしました。

KOZZY:“Indian Summer”ってワードがLINEで来て、それなら自ずと曲調はジャマイカっぽくなるっていうか。

──たとえば「That's My Jam」は『LET IT BLEED』の頃のローリング・ストーンズを彷彿とさせますが、それもプライマル・スクリームを経由してのストーンズっぽさだと思うんです。これがKOZZYさんの作品ならダイレクトにストーンズかもしれませんけど、AKIRAさんの場合はオリジネイターより下の世代の音楽がワンクッション挟んであるように感じるんですよね。

KOZZY:うん、僕もそう思う。「Hey Tonight」っていうCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)の曲もスワンプロックっぽさと言うよりプライマル・スクリームを感じるよね。

AKIRA:確かにそのフレイバーはどこかしらありますね。

──原曲の根幹にあるアーシーさが程よく消えて、AKIRAさんが唄うとキューティーでカラフルな印象になる。それが音楽の面白さ、カバーに耐え得る楽曲の秀逸さだと思うのですが。

KOZZY:「Hey Tonight」なんてオリジナルはめちゃくちゃ単純な曲だからね。また繰り返すの? もうちょっと何かやればいいのにって感じで(笑)。でもそれがすごくいい。延々にいい曲なわけ。だからどんな形にしても曲の良さは変わらないし、カバーして演奏するのはやりがいも楽しみがいもある。こんなに装飾を加えても原曲の良さは変わらないんだという発見もあるしね。【後編へ続く】