ライブとDJとお笑いが三位一体となったイベント
──『ギリギリシティ』はそもそもどのようなコンセプトで始まったんですか。
古澤:端的に言えば、ライブとDJとお笑いが三位一体となったカオスなイベントですね。僕らみたいな打ち込み系のバンド、打ち込み系じゃなくてもオルタナ寄りの生バンドによるライブ、テクノやハウス、エレクトロを主体としたDJ、ベタじゃないお笑いの三要素が渾然一体となった感じというか。
──古澤さんは“ウォンテッド古澤”という名で芸人をやっていたこともあるんですよね。
古澤:はい。新宿ロフトで行なわれた鳥肌実さんのライブで前座をやらせてもらったこともあります。軍服を着て今じゃ絶対にやれない放送禁止ネタばかり披露して(笑)。始めて10年弱くらいの『ギリギリシティ』は、DJもライブもお笑いも全部自分で出てたんです。でもそれだとゲスト出演してくださる方の応対やイベント自体の仕切りができないということで、レギュラー陣から「出るのはせめて2つにしたほうが良い」との指摘を受け、言われてみたら自分も確かにそうだなと思い1つ削った次第です(笑)。
──なるほど。音楽とお笑いの二足の草鞋を履いていた古澤さんならではのイベントと言えますね。
古澤:そう思います。音楽はもちろん、お笑いも自分の好きな芸風の人に出てもらっているので僕の嗜好が色濃く出てますね。『ギリギリシティ』というタイトルに関して言うと、当初の立ち上げメンバーと何度も話し合いをしたのになかなか決まらなかったんです。あるとき渋谷駅のホームで、メンバーの一人に「いいネーミングを思いついた!」と言われて、自分は『ギリギリシティ』と聞こえたから「それじゃん!」と答えたんですけど、本人は『ビリビリシティ』と言ったつもりだったみたいで(笑)。
──15年前の2月に始まった当初は高円寺の無力無善寺で行なわれていたそうですね。
古澤:無力無善寺で3回、同じ高円寺のルーツで3回やって、当時は月一ペースだったんです。そこで半年経って肩慣らしができたし、もっとバンドを呼びやすいハコに場所を移そうということで選んだのが新宿JAMでした。JAMで6、7年やって、今の四谷アウトブレイクに移して10年前後ですかね。
──LOWBORN SOUNDSYSTEM(以下、ローボーン)の現メンバーである神無月ひろさんと出会ったのもJAMだったとか。
古澤:そうなんです。前任ボーカルがイベントに出られないので「代打で同居人に頼みました」と唐突に言われ、ライブ当日にいきなり紹介されたのがひろちゃんで(笑)。当時は本業の漫画家を続けながら趣味のバンドをやってたみたいです。
──hajirockさんと椿かおりさんと出会ったのも『ギリギリシティ』だったんですよね?
古澤:hajiさんは他のバンドで何度か出てて、その流れでローボーンに途中参加してもらいました。椿さんに至るまでは何人かボーカル候補がいて、いろいろ試したんですけどしっくりこなくて。僕が以前出た映画に参加していた映像プロデューサーに紹介してもらったのが椿さんで、新宿西口のルノアールでお茶をして話したら本人も乗り気で。
──アウトブレイクをホームグラウンドにし続けているのはハコとの相性ですか。
古澤:自分たちの音楽性や方向性に一番理解のある場所に自然と落ち着いた感じですね。
──今度のアウトブレイクで126回目を数えますが、ここまで長く続けてきた原動力は何なのでしょう。
古澤:本来はメインカルチャーであるべき音楽やお笑いを世に知らしめたい、それを知ってもらいたくてやり続けています。今回渋谷でやる『ギリギリシティ』のスペシャル版でも自分たちが思春期に影響を受けた人たちを中心にブッキングしました。
──どういうわけかロフト系列のハコとはご縁がありませんでしたね。
古澤:以前、松本章さんと一緒に新宿ロフトのバーステージでイベントを企画したことがあったんです。松本章さんと僕で半々ずつブッキングして、半年くらいやったのかな。でも僕は僕で『ギリギリシティ』もあったし、なかなか時間が取れずに終わってしまったんですけど。
──それが『じっけん☆ぴゅたごらす』というイベントですか?
古澤:そうです。
新曲のMVが海外のリスナーにも支持されて10万回再生
──そうしたイベントまでカウントすれば、126回、127回どころの話じゃないですね。
古澤:自分でもなぜ『ギリギリシティ』にカウントしなかったんだろうと思うんですけど、ローボーンのファースト・アルバム(『卑しい生まれの音響装置』)のレコ発は『ギリギリシティ』じゃなかったんですよね。ヒカシューや痛郎、RUINS aloneや脱線3のロボ宙さんとZEN-LA-ROCKさんがやってたユニット(SPACE MCEE'Z)に出てもらって、O-nestでやったんですけど。それだけの面子が揃うなら『ギリギリシティ』としてやったほうが良かったのにと今さらながら思いますね。
──ロックとお笑いの親和性の高さを象徴するように、JAM時代には椿鬼奴さん率いる金星ダイヤモンドもライブ枠で出演していますね。
古澤:ありましたね。奴さんとコンビを組んでいた(増谷)キートンさん周りの芸人さんに当時よく出てもらいました。あと、チャンス大城さんやユンボ安藤さん、野沢ダイブ禁止さん、加藤ミリガンさんらがやっている全日本プレス加工という芸人バンドにも、いまだにアニバーサリーなどのときによく出てもらっています。
──音楽とお笑いのクロスオーバーという意味では、ダイノジが主催していた『DIENOJI ROCK FESTIVAL』を連想しますね。『ギリギリシティ』の趣旨とはまた違うと思いますが。
古澤:方向性や見せ方は違うかもしれないけど、思想的には近い気もしますね。純粋に自分たちの好きな人たちを集めて楽しいことをやろうとする部分では同じじゃないかと思います。
──コロナ禍以降、この2年のあいだも『ギリギリシティ』の灯を絶やすことなく開催を継続しているのがまず凄いことですよね。
古澤:今さらやめられないし、ここまでくると引き際が分からないというか(笑)。去年から今年の前半まではほとんど無観客のオンライン配信を続けてきましたけど、それは僕らだけじゃなくハコも大変なわけだし、自分たちがどれだけ力になれるかは分からないけど少しでもコンテンツを提供できればと考えてのことだったんです。僕は仕事の一環として大学でもレコーディングや映像制作を教えているんですが、大学としても今はオンライン配信のカリキュラムなどに力を入れるようになりました。そういうのも時代の流れだなと思いますね。
──古澤さん自身は無観客の配信ライブをやってみていかがでしたか。やはりやりづらかったですか?
古澤:テンション的には有観客と変わらずやれましたけど、モニターを見ながらライブをやるとライブ感が出ないのは何度かやってみて分かりました。こっちがカメラを追いながらカメラの目線で動かないとダメなんですよね。それはアーカイブを何度か繰り返し見ないと気づかないことだと思います。だからオンラインにはオンラインなりの見せ方がちゃんとあるというか。たとえば去年、配信ライブで一番稼いだのはサザンオールスターズだと思いますが、実はあのライブも事前収録だったそうですよね。配信できちんとした内容を見せようとするなら、生でそのまま見せるよりもあらかじめちゃんと編集したもののほうが今の段階ではいいのかもしれない。
──この状況下で『ギリギリシティ』を定期開催するだけではなく、ローボーンは6月に12年ぶりの新作『LAST GAME』を配信リリースするなどいつになく活発な動きを見せていますよね。開店休業を余儀なくされるバンドも多いなか、やり方次第でやれることはまだまだあると言わんばかりの行動力にも思えます。
古澤:『LAST GAME』は幸いにもiTunesのエレクトロニック・チャートで3位になったし、有り難いことにYouTubeにアップしたミュージックビデオが海外の人たちにかなりウケたんですよね。「かたはらいたし」はイタリアとフランスで最初に軽くバズって、そこから飛び火してアメリカとカナダでも視聴者が増え、今は10万回再生を越えたんです。「かたはらいたし」よりもローボーンらしい「CHANGE」というエレクトロ系の曲はインドネシアとか日本以外のアジア圏でよく見られていて、これも10万回再生を突破しました。「CHANGE」は着ぐるみのキャラクター効果もあったのかな。こうした流れは不幸中の幸いというか、これまで見いだせなかった僕らなりのアウトプットと言えますね。ただどれだけ海外でウケてもライブの集客に繋がらないのが悲しいところなんですけど(笑)。YouTubeに海外のいろんな人たちがコメントをくれたりして凄く嬉しいけど、そういうもどかしさは正直、若干ありますね。
──コロナ禍で世界的に巣ごもり生活を強いられたこともよく見られた勝因だったんでしょうか?
古澤:それはあるかもしれません。曲調としてウケるのは逆のイメージだったんですけどね。エレクトロ系の曲はイタリアとかフランスでウケるのかなと漠然と思ってたし、オルタナ系の「かたはらいたし」がエレクトロニックミュージックの本場であるヨーロッパでウケたのはちょっと意外でした。
──こうした世界的に閉塞した状況を曲にしようという発想はありませんでしたか。
古澤:人類が100年に一度と言われる未曾有の状況に陥っているわけだし、あり得るとしたらやはり励ます感じの曲になると思うんですよ。でもそういうのは僕らのキャラじゃないし、自分の実力不足もあり皆にウケるような歌詞の伝わりやすい曲は書ける能力が無いと言うか。日本でバラードが人気なのはそういうことだと思うし、僕らはそもそも歌よりも音がメインですしね。その音の上にどうせボーカルを乗せるなら、自分が思ったことを歌詞にしてるだけだし、聴く人に寄り添うような歌詞を書ける能力があれば、こんなに長いあいだ地下に潜ってませんよ(笑)。
文化庁の芸術活動の支援を受けて開催する『ギリギリシティ』スペシャル版
──聞くところによると、2019年の後半から再開したセカンド・アルバムの制作作業がずっと続いているそうですね。
古澤:制作を再開した途端にコロナになってしまって。緊急事態宣言の期間中はバンド内でクラスターを起こすわけにいかないし、家庭のあるメンバーもいるので2020年前半からレコーディングは見合わせていたんです。でも最近は感染者数もだいぶ減ってきたし、年内の『ギリギリシティ』2本を終えて来年早々から再開させる予定ではあります。
──レコーディングを見合わせていたということは、『LAST GAME』の収録曲はコロナ禍前にほぼ完成させていたものなんですか。
古澤:実はそうなんです。『LAST GAME』の制作自体は2019年の後半に一旦終わっていて、この状況なので新曲をレコーディングできる機会があるかどうかが見えなくて。このコロナ禍は当面収まりそうもないし、今ある音源を一度マスタリングして出すことにしたんです。それで僕らのサウンドプロデュースをしてもらっている、電気グルーヴのエンジニアとしても知られる渡部高士さんにマスタリングをしていただいて。「CHANGE」のミックスダウンは自分自身でやったんですけど、他の曲は渡部さんにミックスとデジタル用のマスタリングをしてもらいました。
──ミュージックビデオの撮影と編集は今年に入ってからの作業なんですよね?
古澤:「かたはらいたし」のほうは、撮影したのは去年の秋くらいだったと思います。
──アウトブレイクでの撮影ですね。これはやはり『ギリギリシティ』を定期開催しているがゆえに?
古澤:もちろんです。店長だった佐藤さんはいろいろ大変だったと思うけど、元気でいてくれたらいいですね。「ナゴム好きはだいたい友達」がモットーだった彼の持つチャンネル自体が凄くエキセントリックだったし、僕らとの相性も良かったし、本当にお世話になったんです。われわれがずっと『ギリギリシティ』をアウトブレイクで続けているのは、未だにアウトブレイクに対して恩返しができていないからと言う気持ちが強いからなんですよ。もうちょっとイベントなりバンドが世間に知れ渡るようになって、固定客も増えてきたら、やっと少しずつアウトブレイクに還元していけるのかなと。これまでずっと佐藤さんの厚意で続けさせてもらえたし、佐藤さんがいなければJAMの後に『ギリギリシティ』を10年もやれなかったと思います。
──今回はそのアウトブレイクで126回目の『ギリギリシティ』を、翌日に渋谷のヴィジョンで127回目の『ギリギリシティ』スペシャル版を敢行するという大胆な2DAYSですね。
古澤:渋谷のほうはレギュラーメンバーの日程が調整できるのが、たまたまその日だけだったのですが、『ARTS for the future!』というライブハウス、映画館、劇場などを支援する文化庁の補助対象事業での開催となります。支援事業的に僕らのやってることに合いそうだから応募する価値があると知り合いから薦められました。それで応募したところ、『ギリギリシティ』の16年に及ぶ歴史と、去年1年だけで5、6回やったオンラインの実績が認められて採択されたのかなと思います。今回の規模のイベントを手弁当でやるには限界があるし、こうした制度の援助を受けながら自分たちが影響を受けてきた人たちが一堂に会するようなイベントを、皆さんが来やすい価格帯で開催できればいいかなというところですね。そこを目標に年内に何とか開催できればと動いていて、結果的にこれだけ豪華な方々にご出演していただけることになって嬉しい限りです。
バンドでしか味わえないものが確実にある
──現在、ライブハウスは公演主催者に対して、従前の収容人数の50%程度でライブを開催するよう要請することになっています。そうした現状と、ライブハウスは感染リスクの高い空間という先入観を持つ人も未だ多いなか、今後も『ギリギリシティ』を継続させていく上でどんなヴィジョンがありますか。
古澤:もしコロナ禍前の状況に戻らないようであれば、生のライブで失ったものをオンラインの配信でどれだけ埋められるのかという話になってきますよね。オンラインがオフラインに近づくにはたとえば、リアルタイムで配信しても演者と観客が共に満足できるテンプレートがこの先出てくるか? とか。それもあと1、2年もすれば実現しそうな気がします。さっきも話したように、事前収録して緻密に完成させたものを配信したほうがリアルなオンライン配信よりも満足度が高いという認識が根づけば、見る側がきちんと作り込まれたものを一つの作品として捉えることになるだろうし、オンラインとオフラインの溝が埋まるのはその意識の変容がどうなっていくか次第だと思いますね。
──僕もこの2年、配信ライブを見る側と出る側のどちらも経験して感じたのは、一期一会のライブのリアル感とリアルタイムの配信の良さが必ずしも一致するわけじゃないということなんですよね。特にキャリアを積んだミュージシャンの場合、演奏中のミスを気にされる方もいらっしゃいますし。
古澤:そうなんですよね。たとえばライブ盤でも後でスタジオで加工したり、ミックスし直したりした上で出すじゃないですか。それと近しい話だと思います。オンラインの配信とはいえそれも一つの作品だと思うし、表現の細かい部分までこだわる人ほどそれをそのまま出したいとは思わないはずなんです。そこまで作り込む余裕がないのなら、複製のできないアーカイブを数日だけ残す形になるんじゃないですかね。僕らもまだその試行錯誤の途中ですから、配信にせよ何にせよ見せ方の課題はいろいろと考えていく必要がありますね。
──来年、ファースト・アルバム以来14年ぶりとなるアルバムを完成できそうな確率は今のところ何%ですか。
古澤:今のペースで行くなら2、30%ですかね(笑)。配信であと2、3作出してからちゃんとした盤として出したいとは考えているんですけど。その2、3作の制作の進行がどれくらいできるかがキモでしょうね。
──セカンド・アルバムの制作にこれだけ時間をかけているのはなぜなんですか。
古澤:一緒にやっててクオリティ的に満足できるメンバーがなかなか揃わなかったというのが本音でまずあったんです。それが今ようやくこのメンバーならアルバムを作りたいと思えるようになったので、後はこのコロナ禍の状況を踏まえた上でのタイミングだけですね。
──今やローボーンのオリジナル・メンバーは古澤さんだけですが、ファースト・アルバムのときからどれだけメンバーが変わっても“LOWBORN SOUNDSYSTEM”という屋号を引き継いでいます。布陣が変わるなら全く違うバンドをやる選択肢もあるのにそうはしないのは、ローボーンへの揺るぎないこだわりがあるからですか。
古澤:まあ、作詞・作曲は全部自分がやってるし、過去を振り返ると他のメンバーと分担作業ができたこともないですからね。決して現状に満足しているわけではないですが、今のメンバーは人前でパフォーマンスを見せる/魅せる意識は過去のメンバーに比べて高いと思うので。それにまだ作品として発表はしていませんが、ひろちゃんは歌詞を書けたりもするので。その辺の役割分担ができてくれば自分はトラックを作るだけでいいとか、ローボーンとして新しい見せ方もできそうなんです。このバンドを16年ほど続けてきて途中から支えてくれる人たちが少しずつ増えてきたし、今のメンバーが信頼を寄せてくれているからこそ、曲作りやバンドの方向性など僕が自分のやりたいことをここまでやれているという言い方もできますね。
──古澤さんはクラシックの作曲やDJなどでも活動されていますが、そのなかでバンドの一員であることはどんな位置づけなんですか。
古澤:クラシックは楽譜で作曲するだけで本番当日は演奏者にお任せなので、自分の作った楽曲がこんな感じで聴こえるんだなというリスナーと同じ感覚で聴く楽しみが大きいですが、バンドのほうは自分が演者の一員ですからね。自分のテンションでやれる楽しさがあるし、その違いは凄く大きいです。自分の場合は一人で弾き語りしてもテンション上がらないし、やっぱりバンドでしか味わえないものが確実にあるんですよ。
──月並みですが、来年はどんな年にしたいですか。
古澤:レコーディングを第一に頑張りたいです。このコロナ禍がこの先どうなるかまだ分かりませんけど、やれるだけのことを精一杯やって楽しみたいですね。