【阿炳】

 20世紀前半に江蘇省無錫で、大道芸人として活躍した音楽家。作品のほとんどは突然の死で失われたが、残された曲はいずれも、中国民族音楽の代表曲になっている。


■33歳で失明、不遇の流浪生活

 生まれは1893年とされる。本名は華彦釣で、阿炳は通り名。父親は道士で、阿炳も幼い頃から道教の修行を積んだ。特に道教音楽の演奏のため笛、胡琴(二胡)、琵琶などを学んだが、すばらしい才能を見せたという。

 33歳で病気のため失明してからは、流浪の生活を送った。大道芸人として金を稼いだが、常に貧困だった。
ただし、現地では演奏者として有名な存在だった。

 戦乱が続いたこともあり、現地以外では知られることがなかったが、1950年夏、存在を知った天津市にあった中央音楽学院の教授らが訪問。阿炳に演奏を求めたところ、「少なくとも3年は全く演奏をしていない」として、3日間の練習の後、「二泉映月」(二胡)、「聴松」(同)、「寒春風曲」(同)、「大浪陶沙」(琵琶)、「龍船」(同)、「昭君出塞」の6曲だけを演奏した。

■大量のレパートリーは突然の死で永遠の幻に

 この時、最も得意だったという曲は「練習不足」を理由に演奏されなかったとされる。阿炳は中央音楽学院の教授らに、練習をして納得がいくようになれば、かつて演奏した多くの曲を紹介すると語ったという。

 一方、中央音楽学院では、阿炳の演奏様式と曲目を次の世代に伝えるため、阿炳を教授として招くことを決定。
しかし1950年12月4日、阿炳は病死。「膨大にある」とみられていたレパートリーは「幻の曲」となった。

■名曲中の名曲「二泉映月」、中国音楽で特異な地位

 阿炳の残した曲の中で、特によく演奏されるのが「二泉映月」。「天下第二泉」よ呼ばれる無錫恵山の泉に映る月の姿を表現していたとも、貧困にあえいだ流浪の生活の心情を反映したものとも言われる。

 「二泉映月」は音色や音域の効果を出すため、通常の二胡とは異なる特製の楽器で演奏されることも多い。わずか1曲のために特別の楽器が作られるのは異例。


 上海民族楽器博物館は2008年、阿炳が使っていた二胡を複製を製作した。音色は1950年の録音に非常に近かったという。(編集担当:如月隼人)

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