中国新聞社は6月30日、寧夏回族自治区に残る遺跡の写真を配信した。同自治区は中国北西部の内陸地帯にあり、古くから多くの民族の往来と興亡が繰り返された地だ。


関連写真:そのほかの寧夏回族自治区の写真

 同自治区は「万里の長城」の西長城、北長城、東長城、固原内辺城など、約400キロメートルの長城が残っているため、「長城博物館」とも呼ばれる。

 写真は自治区中心都市の銀川市から約40キロメートルで、内モンゴル自治区西部のアラシャン・アイマグ(アラシャン盟、阿拉善盟)との境界地域にある三関口長城。保存状況も比較的良好とされている。

 1368年に明軍が大都(現・北京)に迫ると元宮廷は都を放棄して北方に退却。明は自らの「正統性」を主張するため「元は滅んだ」との立場をとったが、実際には「元」は強い勢力を保った。

 明朝は「長城」の整備に力を入れた。
モンゴル勢力とのおおよその境界線だった「長城」が、寧夏、北京を経て河北省と遼寧省の境の山海関に至り、長城北側に現在の中国の領土が大きく広がっているのはその証左のひとつ。

 明の建国当初の都は応天府(現・南京)だったが、永楽帝が1421年に順天府(現・北京)に遷都したのは、最強の皇帝直衛軍でモンゴルの進攻にすばやく対応することが、大きな目的だったとされている。(編集担当:如月隼人)

【関連記事・情報】
お宝発見! 北京で廃屋整理したら清時代の古書続々(2008/07/01)
四川大地震で秦・始皇帝陵墓の「兵馬俑」にも亀裂(2008/06/03)
古代史の「謎」に光 甘粛省で西夏文字の将棋の駒発見(2008/03/26)
社会>文化・科学>文化・芸術 - サーチナトピックス