関連写真:そのほかの寧夏回族自治区の写真
同自治区は「万里の長城」の西長城、北長城、東長城、固原内辺城など、約400キロメートルの長城が残っているため、「長城博物館」とも呼ばれる。
写真は自治区中心都市の銀川市から約40キロメートルで、内モンゴル自治区西部のアラシャン・アイマグ(アラシャン盟、阿拉善盟)との境界地域にある三関口長城。保存状況も比較的良好とされている。
1368年に明軍が大都(現・北京)に迫ると元宮廷は都を放棄して北方に退却。明は自らの「正統性」を主張するため「元は滅んだ」との立場をとったが、実際には「元」は強い勢力を保った。
明朝は「長城」の整備に力を入れた。
明の建国当初の都は応天府(現・南京)だったが、永楽帝が1421年に順天府(現・北京)に遷都したのは、最強の皇帝直衛軍でモンゴルの進攻にすばやく対応することが、大きな目的だったとされている。(編集担当:如月隼人)
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