四川大地震で104時間生き埋めになった女性が、発見から救出まで「僕たち、結婚しよう」などと18時間にわたって励まし続けたボーイフレンドと結婚したことが分かった。15日付四川新聞が伝えた。


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■年下男性が交際申し込み、「押しの一手」でついにOK

 女性の名は賀晨曦さん。四川師範大学を卒業して、同省北川県で中国農業発展銀行に勤務していた。2年前に母校の卒業・在校生パーティーに出席した折、在学中でコンピューターを学ぶ4歳下の鄭広明さんと知り合った。鄭広明さんは一目で賀さんが好きになり交際を申し込んだが、年上であることを気にした賀さんは拒絶。しかし、鄭さんは「押しの一手」で申し込み続け、とうとうふたりはつきあうことになった。

 鄭さんは就職をうまく決めることができず、卒業後は成都市で臨時雇いの仕事をすることになった。
ふたりは遠距離恋愛を続ける仲だった。2008年5月12日、鄭さんはたまたま休暇をとって北川県に賀さんを訪ねていた。賀さんの部屋で帰りを待っていた午後2時21分、地震が発生した。

■彼女はがれきの下で生きていた! 「僕たち結婚しよう」

 賀さんの勤務していたビルは倒壊し、安否は不明だった。鄭さんは希望を捨てずに待ちつづけた。すると16日になり、救助隊ががれきの下に閉じ込められている賀さんを発見。
生きていた。

 しかし賀さんは足をはさまれており、助け出すことができない。余震で建物が再び倒壊する危険もあったが、鄭さんは救援隊が掘った穴に頭部を入れて、叫んだ。「僕たち結婚しよう! 式は中国式がいいかい? それとも洋式かい?」。賀さんは明らかに、生きることへの希望をかきたてられた様子だったという。

 鄭さんの励ましは、それから18時間続いた。
賀さんが救出されたのは、生き埋めになってから104時間後だった。

 しかし鄭さんは手放しで喜ぶわけにはいかなかった。長時間にわたり足を圧迫されたため、賀さんには障害が残る可能性があると聞かされたからだ。結婚のことを自分に問いなおした。しかし、意思に変わりはなかった。生涯、彼女と添いとげる決意を確認した。


■障害が残り、生活が厳しくても愛に変わりはない

 賀さんは重慶市で治療を受けた。綿陽市の実家に戻ったのは8月。そして鄭さんは、結婚相手を自分の両親に紹介するため、賀さんを故郷の黒龍江省に連れて行った。賀さんは右足を切断していた。長時間の歩行ができない賀さんを、鄭さんは背負った。一言もぐちは言わず、ただ優しく賀さんを扱った。


 ふたりが結婚の手続きをしたのは10月7日。生活に余裕はない。式もなければ花束もない、およそロマンティックではない結婚生活の始まりだったという。賀さんには右手の麻痺も残っていたが、徐々に回復しており、たいていの家事はこなせる。鄭さんは、毎日仕事に行く。ふたりは仲がよいが口喧嘩もする、ごく普通の夫婦だ。
運命による残酷な試練も受けたが、ふたりは最も自然な結果に落ち着いたという。

 陽気で冗談好きは、鄭さんの長所だ。「生き埋めの彼女を励まし続けた男性」ということで、マスコミにも取り上げられ、有名になった。そこで、ニヤリと笑って「おかしいなあ、何でファンからのラブレターが届かないんだろう」とつぶやく。賀さんはすかさず、お返しの「愛のパンチ」。夫の“浮気の虫”を封じるという。ふたりの生活には、いつも活気がある。

■「がれきの下の約束」果たせる日が近づく

 ただ、鄭さんには気にしつづけていることがあった。結婚式を挙げていないことだ。賀さんが生き埋めになっているとき、鄭さんは洋式の結婚式を勧めた。「ウェディングドレスがきれいだよ」と。実は賀さんの最初の希望は「中国式にしたい」だった。鄭さんが勧めた結果、「じゃあ、結婚式は2回。最初は洋式、次は中国式」と答えた。鄭さんは「それに決まり。君の言うとおりにしよう」と約束したはずだった。

 そんな時、北京のテレビ局から「結婚式をプレゼントしたい」との申し出があった。鄭さんらは、受けることにした。ふたりは14日、北京に旅立った。思いがけない形ではあったが、がれきの下でかわした約束は、何にもまして実現させなければならなかったからだ。

 写真は四川大地震で多くの建物が倒壊した北川県中心部。(編集担当:如月隼人)

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