【台湾ブログ】格闘家の頂点…三沢光晴にありがとう!

 2009年6月13日、試合中に意識不明となり、そのまま帰らぬ人となったプロレス界のスター、三沢光晴。1980~90年代の全日本プロレスのトップレスラーで、プロレスリング・ノアの創立者としても活躍してきた三沢氏の突然の死は、関係者やファンに大きな衝撃を与えた。9月27日には東京で、10月3日には大阪で亡き三沢氏を偲ぶ追悼興行が行われており、台湾でも三沢ファンの追悼の声が多くあがっている。

 日本のプロレスが大好きで、三沢選手を崇拝していたという男性ブロガーのbomeiluoは、数々の名試合を見せてくれた三沢氏への感謝の気持ちを書きつづった。

 「1990年、全日本プロレスの試合中に2つの大事件があった。1つは二代目タイガーマスクがマスクを外し、素顔を披露したこと。それは三沢光晴が素晴らしくカッコよかった瞬間で、自分の時代が来たことを宣告していたかのようだった。その後すぐに無敵だと言われてきた最強の男、ジャンボ鶴田に勝利を収め、プロレス界の世代交代を世に知らしめた」と印象深い2つの場面について述べたbomeiluo。心が震えるほど感動を覚えたという。

 「タイガーマスクを卒業し、個人名で再出発するのは、決して簡単なことではなかったと思う。更なる努力を強いられ、病に悩まされたジャンボ鶴田に代わって、若くして全日本プロレスの看板を背負うことになった。当時、新日本プロレスには長州力、藤波辰巳ら経験豊富なベテランスターたちが顔を揃えており、三沢のプレッシャーは尋常ではない位大きかったと思う」というbomeiluoだが、才能ある三沢氏の活躍に驚かされる。「三沢はベテランスターに惑わされるような、小さな人物ではなかった。彼は天才だったのだ! 力・技・体力を兼ね備え、辛抱強い忍耐力を持ち、身長や体重、ハンサムな顔とどれを取っても見栄えがいい。全日本プロレスは三沢人気に支えられ、正真正銘のトップレスラーとして輝いていた」と絶賛。経営を疑問視し、2000年には理想の集団「プロレスリング・ノア」の旗揚げ役となった功績も称えた。

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