漫画家・猿渡哲也の「烈侠伝」 第2回ゲスト・宇崎竜童「つなぎ...の画像はこちら >>

漫画家の猿渡哲也氏と音楽家の宇崎竜童氏

烈(はげ)しい漢(おとこ)たちを描き続ける猿渡哲也が今回迎えたのは、宇崎竜童。日本の音楽シーンを疾駆して、半世紀。

高倉 健が愛し、菅原文太が頼り、そして山口百恵が慕った稀代のアーティストが今、明かす数多の秘録――。

* * *

■爆竹も投げ込まれ、カオスと化した会場

猿渡 まず、思い浮かぶのは『スモーキン・ブギ』(74年、※1)です。僕が17歳、高校を中退して、レコード店でバイトしてた頃に、宇崎さん率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンド(以下、DTBWB)の3rdシングルとしてリリースされて。

〝クソして一服〟っていうフレーズ、つなぎ姿で歌うのが衝撃的で。実は、当初はつなぎ姿じゃなかったそうですね。

(※1)作詞/新井武士 作曲/宇崎竜童

宇崎 ええ、73年にデビューが決まって、きちんとスタートするには、やっぱりスーツだろうと。うちのおやじが贔屓(ひいき)にしていた上野の十字屋という仕立て屋さんで黒のタキシードを誂(あつら)えたんです。

値段はその頃で十数万円、月賦(げっぷ)で20ヵ月払い。

でも、最初の仕事が当時数寄屋橋(すきやばし)にあった阪急百貨店の屋上ビヤガーデン。夏場だし、着替えもないから汗まみれ、乾いた後は塩昆布(笑)。

猿渡 そこで、74年の三浦海岸で開催されたサマーフェスティバルでは、ドラマーの方からもらったつなぎを着て出ることになったわけですか。

宇崎 そうです。その頃はみんなアロハシャツにジーパンとか、好き勝手な格好をしていて。

で、当日たまたまドラマーのマコちゃん(相原 誠)からもらったつなぎを着て出ようってことになり。

僕らの出番が終わった後、中3ぐらいのヤンキーみたいな娘たちがバーッと集まってきて、「お兄さん、それ(つなぎ)カッコいいね」と。何言ってんだ、カッコ悪いだろって返したら、「カッコ悪いのがカッコいいんだよ」と。彼女たちの言葉がすごく響いてね。

その頃、僕は阿木燿子(あき・ようこ)と結婚して数年、鶴見の工場地帯のど真ん中に住んでたんだけど、家の裏に作業服店があったもんだから、すぐつなぎを買いに行きました。3500円だったかな。

猿渡 女のコたちの感性、すごくわかります。僕ら、高校を中退して土木作業とかでバイトしてた人間からすると、DTBWBはカリスマでしたから。公演でも、ヤンチャな観客は多かったんじゃないかと。

宇崎 いましたね(笑)。前から3列目までは、ヤンチャでした。だんだんノッてくると、爆竹投げたりしてきてね。

だから、公会堂や市民会館からはDTBWBに会場を貸すなって、お触れが出てました(笑)。

漫画家・猿渡哲也の「烈侠伝」 第2回ゲスト・宇崎竜童「つなぎ姿が〝看板〟になったのはヤンキー娘たちからの鋭い一言から」
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが初めて出演した野外フェスは、74年8月に福島県郡山市で開催された伝説の「ワンステップ・フェスティバル」。こちらは、その当時の音源のCD化も含む40周年記念BOX(3CD+DVD)のジャケット。写真提供:テイチクエンタテインメント

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが初めて出演した野外フェスは、74年8月に福島県郡山市で開催された伝説の「ワンステップ・フェスティバル」。こちらは、その当時の音源のCD化も含む40周年記念BOX(3CD+DVD)のジャケット。写真提供:テイチクエンタテインメント

■文太&深作から依頼。幻の銀行強盗映画

猿渡 宇崎さんのスタジオにお邪魔して気づいたのは、西部劇関連のポスターやフィギュアの多さです。やっぱり映画はお好きなんですか。

宇崎 小学生のときから、毎週日曜日はおやじかおふくろ、あるいは姉か従兄(いとこ)に連れられて、必ず有楽町の映画館に行ってましたね。大学生になっても、卒業前後は毎週土曜のオールナイトに通ったりして。

猿渡 ありましたね! 2本立て、3本立てで。

宇崎 そうそう、あんパンと牛乳買って。高倉 健さんの任侠(にんきょう)映画や原田芳雄さんの日活ニューアクションが好きで。

猿渡 宇崎さんは俳優としても長きにわたって活躍されていますが、劇場公開の順でいうと最初は75年8月に上映された『トラック野郎 御意見無用』になるそうで。

漫画家・猿渡哲也の「烈侠伝」 第2回ゲスト・宇崎竜童「つなぎ姿が〝看板〟になったのはヤンキー娘たちからの鋭い一言から」

宇崎 それはね、エピソードがあるんですよ。昭和49年(74年)だったかな、菅原文太さんと深作欣二(ふかさく・きんじ)監督が、当時僕が経営していた飲食店に来られたんです。で、深作さんが「今、『仁義なき戦い』シリーズをやり切って、次に何をやるか考えてて。君がテレビとかで台詞(せりふ)を言ってるみたいな感じで歌ってるのが面白いなと。文ちゃんとDTBWBが組んで銀行強盗をやる話を進めているから出てくれないか?」と。

猿渡 台詞みたいな歌って、一世を風靡した『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』(75年)のことですよね。

宇崎 そう。深作さんと文太さんでしょ、そりゃもう即OKしましたよ。でも、そこからいっこうに連絡がなくて......3ヵ月ぐらいたった頃に文太さんがふらりと一人でお店に来られたんです。

で、「この前の銀行強盗の話、流れちゃったんだよね。でも、愛川欽也が『トラック野郎』っていう企画を持ってきて、今、台本が進んでいるから、ワンシーンだけ出てくれないか?」と。

猿渡 僕、全作品見てますよ。主題歌の『一番星ブルース』(75年)、大好きです。この曲を作られた経緯というのは?

宇崎 僕らがワンシーンだけ出たロケが終わったあたりに、文太さんから電話があって、「俺と愛川欽也で一緒に主題歌を歌ってほしいって、会社が言うんだよ。おまえ、なんか書いてくれないか? ただし、俺はブギとかロックとかダメだから演歌だぞ、演歌」って。それで作ったわけです。

猿渡 宇崎さんが俳優そして音楽監督としても携わっている作品には、高倉 健さん主演の『駅 STATION』(81年)がありますよね。健さんとのエピソードで印象に残っていることはなんでしょう?

宇崎 北海道でのロケの初日に、「明大ですよね?」って声をかけてくれて。同じ明治大学OBということで。その瞬間から、どこか友達みたいな感覚になったというか。「ラーメン食いに行きましょう」とか、「コーヒー飲みに行きましょう」って、誘ってくださって。僕をほぐしてくれたんです。

猿渡 気さくな方だったと。

宇崎 ええ。『海へSee you』(88年)で共演したときには「宇崎さんは殴れない顔だよなぁ。こっちは殴りづらいよなぁ」って言われたことをよく覚えています。『四十七人の刺客』(94年)でも、僕(堀部安兵衛)が高倉さん(大石内蔵助)の台詞を聞いて号泣する場面で、ずいぶん助けてもらいましたね。

漫画家・猿渡哲也の「烈侠伝」 第2回ゲスト・宇崎竜童「つなぎ姿が〝看板〟になったのはヤンキー娘たちからの鋭い一言から」
79年、実際に起きた三菱銀行人質事件をもとに、映画化した『TATTOO[刺青]あり』。宇崎氏は主人公を熱演、第4回ヨコハマ映画祭で主演男優賞を見事、獲得。BD&DVD発売中(BD¥2750〈税込〉、DVD¥2090〈税込〉) 発売・販売:キングレコード

79年、実際に起きた三菱銀行人質事件をもとに、映画化した『TATTOO[刺青]あり』。宇崎氏は主人公を熱演、第4回ヨコハマ映画祭で主演男優賞を見事、獲得。BD&DVD発売中(BD¥2750〈税込〉、DVD¥2090〈税込〉) 発売・販売:キングレコード

猿渡 顔といえば、79年に発生した三菱銀行北畠支店人質事件の犯人・梅川昭美をモデルにした主演作『TATTOO[刺青]あり』(82年)が忘れられないです。当時は姫路に住んでいたんですが、この映画は上映されてなくて、大阪の梅田まで見に行きました。とにかく、よく似ているなぁって。

宇崎 もともと、ピンク映画の製作者たちと新宿のゴールデン街とかでよくワイワイやっていたんです。その中に監督の高橋伴明がいて。で、ある日、呼び出されて、一枚の写真を見せられたんです。僕が「あ、梅川じゃん」と。そしたら伴明が「似てるよな」。それで決定。

猿渡 宇崎さんの芝居は自然体で魅力的ですよね。実際、賞も獲とられていますし。

宇崎 いつも不思議で仕方がないんです。なんで、僕なんですかって。だから、必ず聞きに行くんですよ、監督とかに。オファーした理由を。でも、だいたいは「宇崎さんにしかできないことがある」と。

漫画家・猿渡哲也の「烈侠伝」 第2回ゲスト・宇崎竜童「つなぎ姿が〝看板〟になったのはヤンキー娘たちからの鋭い一言から」

猿渡 ご自身の中で、俳優であるという意識はありますか?

宇崎 ないですね。

猿渡 いやぁ、非常に多才な方だと思うんですよ。『必殺仕業人』(76年)のナレーションもシビれましたしね。〝石が流れて木の葉が沈む〟って、声がまたいいんですよね。

宇崎 あれは、『港のヨーコ...』みたいな調子でやれば大丈夫かなと思って受けたんです。

猿渡 宇崎さんがご自分の職業は、と聞かれたら何が一番先にきますか?

宇崎 やっぱり、作曲家ですね。

■山口百恵への楽曲、最も印象深いのは

猿渡 宇崎さんの作曲家としての功績で真っ先に挙げるとすれば、やはり山口百恵さんへの楽曲提供です。5年間で全部で69曲。定説では、百恵さんがDTBWBの『涙のシークレット・ラヴ』(76年)が大好きで、楽曲を依頼されたとか。

宇崎 どの曲だったのかは知らないです。でも、僕たちに曲を書いてほしいって、当時のチーフマネジャーだった小田信吾さん(ホリプロ前会長)に百恵さんが依頼したそうで。

普通、17歳の女のコだったら、そんな発想は出てこない。しかも、それを引き受けた小田さんの懐の深さ。で、酒井政利さん(当時CBS・ソニープロデューサー)に託され、僕らのところに依頼が来たわけです。

猿渡 僕は百恵さんと同じ学年で、世代的にドンピシャなんです。宇崎さんの著書では〝山口百恵は、吸収力と咀嚼力と表現力がすごい〟と。

宇崎 そう。いったい、どこで学んでくるのかっていう。仕事に忙殺されて、レコーディングの日までに歌詞を覚えてくるだけで精いっぱいのはずなんですよ。

で、「恋人の家の玄関をノックして、彼が出てくるまでの気分を思い浮かべて歌って」なんて、指示出されても無理でしょう。恋愛する時間すらないわけだから。でも、彼女はすべてわかっちゃうんです。

猿渡 まさに天才ですね。

宇崎 引退から30年たった後に百恵さんと一度食事をしたんです。小田さんにお願いして、恵比寿で。ご自宅の国立から普通にJRを利用して、彼女はやって来た。

印象的だったのは、当時のことはほぼ覚えていないとおっしゃっていて。自分で何をやってるのかわからないまま、ひた走ってきたと。ただ、長男の祐太朗君の話では、自宅のカラオケセットで『曼珠沙華』(78年)を今でも好んで歌ってるそうです。

猿渡 百恵さんへの楽曲で思い出深いのはどれですか?

宇崎 もともとシングル狙いで作ったのではないけど、結果、彼女のイメージのリフトアップにつながったシングル曲という意味で『横須賀ストーリー』(76年)。

それと、酒井さんにプレス工場を待たせている状況だから、明日までに作ってとオファーされて、阿木と僕がひと晩で作った『プレイバックpart2』(78年)ですね。

■100歳まで生きたい。年数がもっと欲しい

猿渡 お尋ねしたいんですけど、曲を作るときは、これはヒットするぞって思いながら制作するんですか?

宇崎 ヒットさせなきゃいけないって思って作ってます。何がヒットするかなんてわからないですからね。

猿渡 作詞を担当する阿木さんとの共同作業では、ひとつ屋根の下、密にやりとりを?

宇崎 いや、〝鶴の恩返し〟じゃないけど、彼女が詞を書いているところ、今まで一度も見たことがないんです(笑)。

猿渡 え!?

宇崎 どうやってるんだか。でもね、阿木の詞はすごいですよ。メロディを引き寄せる。例えば、『横須賀ストーリー』(※2)の〝これっきり これっきり もう これっきりですか〟という詞。これをぶつけられたら、あのメロディしか出てこないですよ、誰でも。

(※2)作詞/阿木耀子 作曲/宇崎竜童

猿渡 いやいや、そんな(笑)。宇崎さんだからこそですよ。

宇崎 いえ、どんな作曲家でもみんなあのメロディが出ますって。まさか、これ~~~っきりぃ~~~なんて演歌調にはならないでしょう(笑)。

猿渡 本当に最強のコンビですよね、何十年もの間。ここから先もいろいろとプランを練っていらっしゃるんですか?

宇崎 阿木に言われたんですよ。「もう、野心はないんですか?」って。今年の僕のライブも彼女が曲をセレクトして、演出もほとんど手がけて、監督のようです。僕は彼女からの指示をクリアするのみ。でも、それがすべてできたら、僕の中の小さな野心が達成できるのかと。

猿渡 僕、6月で65歳になったんですけど、介護保険の案内がきたときはショックで(笑)。でも、宇崎さんのようなたくましい先輩に出会って、まだまだ頑張ろうという気になりました。

宇崎 65歳なんて、まだまだ若造ですよ(笑)。

猿渡 若造!(笑)。この年でそうやって言われるのはうれしいかぎりですね。

宇崎 このまま100歳になったら、最高じゃん! 人生100年で考えたら、まだ35年も残ってるわけでしょう。僕は77歳だから、あと23年しかない。おいおい、倍の年数をくれよって心底思いますよ。

●宇崎竜童(うざき・りゅうどう) 
昭和21年(1946年)生まれ、東京都出身。昭和48年(73年)、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドを結成、デビュー。以後、『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』をはじめ、ヒット曲を連発。また、妻である作詞家の阿木燿子とのコンビで、作曲家としてもアーティストへ多数提供。俳優としても活躍中。

●猿渡哲也(さるわたり・てつや) 
昭和33年(1958年)生まれ、福岡県出身。『海の戦士』(週刊少年ジャンプ)でデビュー。格闘漫画『高校鉄拳伝タフ』『TOUGH』『TOUGH 龍を継ぐ男』は累計1000万部超を記録。

撮影/橋本雅司 構成・文/高橋史門