【サッカー日本代表 板倉 滉の「やるよ、俺は!」】第20回 ...の画像はこちら >>

スランプに陥った〝暗黒の中学時代〟を耐え、板倉選手は川崎フロンターレのユースに昇格、ついにはトップチームのキャンプにも招集されるが、そこで待ち受けていたのは......。

■変化と成長、ユース時代の記憶

先日の北中米W杯アジア2次予選、ミャンマー戦。僕は後半35分からボランチとして投入された。

所属先のボルシアMGでのシーズン終盤に続き、代表でも久々のMF起用。さかのぼると僕のMF起用は高校時代から始まった。

川崎フロンターレのユース(U-18)時代、コーチ(当時)の今野章さんの一声でポジションがセンターバック(CB)からボランチへと変わった。小学生のときはFWからDFへの変更に駄々をこねたこともあったが、高校生にもなると、不慣れながらも与えられた仕事に取り組んだ。

この変更が嫌だったかと聞かれれば、実はそれほどでもなかった。体の成長が自分だけ止まり、ドロップアウトしかけた中学時代を思えば、"現状維持"のほうが恐ろしいことはわかっているから。

変化なくして成長はない。

高校時代を振り返ると、ポジション変更以外にも、変化が続いた。間違いなく、僕にとっては成長の時期だった。

初めに、身長が一気に伸びた。大げさではなく毎年10㎝単位で。休みが終わって学校に行くたび、友達からは「またデカくなった?」と聞かれたほどだ。

中学時代の僕を苦しめた"低身長"というハンディキャップはすっかり解消されていた。

もちろん、飛躍的に身長が伸びたからといって、順風満帆とはならなかった。成長痛だろうか、腰やかかとに痛みを感じ、ボディコントロールがうまくいかない時期も。身長が高いだけで細身だったので、動きにキレはなかった。

それでも、僕が高1のときにコーチに復帰したU-12時代の恩師、髙﨑康嗣さんが積極的に起用してくれたので、試合には出ることができた。

高2になるとより大きな転機が訪れた。

トップチームのキャンプに呼ばれるようになったのだ。小学生のとき、サインをもらおうと出待ちしていた僕。アカデミーに入ってからも、隣のコートでプロの練習を見る機会はあっても自分たちとは別世界だと思っていた。それが一緒にトレーニングをできることに。期待に胸を膨らませ、トップチームに合流したが、その希望はすぐに絶望へと変わっていった。

初日、ユースの都合でキャンプの宿舎に遅れての合流となった。

部屋は4人用の和室。メンバーは井川祐輔さん、武岡優斗さん、森谷賢太郎さん。僕よりはるかに年上の先輩ばかり。緊張のせいで、絞り出すように挨拶するのが精いっぱいだった。

そんな緊張感はキャンプ中ずっと続いた。例えば、朝、新入りである自分のアラームで先輩を起こすなんてことはありえない。

だからといって寝坊もできない。結局、キャンプでアラームは一度もかけられなかったが、僕は年長の井川さんが起きて洗面台に向かう足音だけで即座に起きるという謎の技術を手に入れた。

人間の体というのは大したもので、追い詰められると進化するのだろうか? キャンプ終盤は、井川さんが布団から出るかすかな物音で目覚められるように(笑)。

練習でもしっかりプロの洗礼を受けた。パス練習ひとつとっても高度だった。例えば、ペアになって、お互いの足元に並べた小さなコーン2本の間をパスで通し合う練習があった。

ただ、僕のペアの先輩は怖くて、圧が半端じゃなかった。

ちょっとでもミスをすると「ゴルァ! 何しとんねん!!」と怒鳴る。ますますテンパってしまい、通せるはずのパスも通せない。ミニゲームでも、その先輩が大きな体をガッツリぶつけてきた。そのときの痛みは今でも忘れていない。最も憧れていた(中村)憲剛さんからも、少しでもパスが弱いと「ここはユースじゃない!」と一喝。

極限状態の緊張と悔しさが交錯して、半ば茫然自失状態だった。正直、当時はめちゃくちゃ帰りたかった(笑)。でも、なんとか踏ん張れたのは、ここで終わってたまるか、プロになりたい、そんな思いがあったからだ。

■プロか、大学サッカーか。進路に悩む日々

高3に上がりたての時期。ユースの練習後にコーチがひと言「今年のキャプテンは滉」と発表した。身が引き締まる思いだった。まだまだ未熟者だった僕にとって、初めて責任感が生まれた瞬間だった。そこからはランニングでは前を走り、コミュニケーションも絶えず心がけ、プレーで真摯な態度を示すようになった。

ただ、プロになれるチャンスというのは、僕の中では五分五分だった。仮にトップに上がれても、試合に出られる保証はない。ユースの同期は10人。大学サッカーが現実的という考えが大半を占めた。実は僕も大学の試合を見に行ってたし、練習にも参加した。ある大学は興味があると言ってくれて、別の大学からは練習参加後すぐに入学の確約をもらっていた。

それでも、プロ入りは諦められなかった。だから、ひたすら練習と試合に打ち込んだ。夏の終わり、僕と両親は強化部から面談に呼ばれ「滉は、トップに上がってもらいます」と伝えられた。心底うれしかった。帰り道で見た両親の喜ぶ顔は今でも忘れられない。結局、同期でトップに上がれたのは僕と三好康児だけだった。

確かにトップチームのキャンプはきつかった。でも、より厳しい状況に身を置いたことで着実に成長できた。ぬるま湯ではなく、滝に打たれてなんぼ。高校時代の試練が今の僕をつくってくれた。やはり現状維持に先はない。

【サッカー日本代表 板倉 滉の「やるよ、俺は!」】第20回  変化なくして成長なし!! 激動のユース時代

構成・文/高橋史門 撮影/山上徳幸 写真/AFLO