ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
* * *
突然ぐっと気温が下がり、数ヶ月の間はのほほんと半袖Tシャツで過ごしていればよかったのに、なんらかの羽織るものが必要になったここ数日。 寂しい。僕はこの"季節の変わり目"というやつに人一倍弱く、なんともセンチメンタルな心持ちで、しかしそれをあえ楽しむように、地元エリアを徘徊していた。
こんな日は、なんの変哲もなくて素朴な、温かいそば、うどん、ラーメンあたりを神妙な面持ちですすり、来たるべき秋冬に向けて心身を整えておきたい。やがてたどり着いたのは、西武新宿線の武蔵関駅付近だった。
「大宇軒」
ふと、視線の先に「大宇軒」という町中華風の店が目に入る。
右隣の、煮干ラーメンの名店「ラーメン屋 ジョン」、それから左隣の、普通のたこ焼き屋と見せかけつつ料理がなんでもうまいカウンター酒場「和楽」は、どちらも大好きな店だ。けれども、その間にこんなにも僕の興味を惹く店はあっただろうか? 俗に言う、見える人にしか見えない店?
いやしかし、こんなに目立つ看板、そんなに頻繁に来る街ではないとはいえ、長年気づかないはずがない。少なくとも10年、いや、5年以内にできた店だと思う。よく見れば、看板やのれんなどがまだ新しく見えるし、所々に本場大陸中華っぽいテイストも感じる。どことなく"大宇宙"を連想させる店名も妙にいいし、とにかくここまで気になってしまったんだから、入らないわけにはいかないだろう。
店内は真っ赤なL字カウンターのみ、約10席ほどの小さな店だ。カウンター内にはひとり、僕よりも若く見える男性店主が、忙しそうにあれこれと作業をしている。 メニューを見る。なんとこのご時世に、ラーメンが650円(税込)。これは間違いなく、僕が求めていた素朴系のラーメンに違いない。
全体的に安い
酒、つまみ1、つまみ2の3種類を組み合わせられる「ほろ酔いセット」なるものもある。この時点で、飲み客にも積極的な店だということが判断できて嬉しい。たとえば、生ビール+餃子+青椒肉絲で1200円。これ、けっこう驚異的なお得さなんじゃないだろうか。
「ほろ酔いセット」
当然つまみ類も充実していて、150円の「味付玉子」、 220円の「冷奴」や「ザーサイ」に始まり、これまたお手頃なラインナップ。
いい
さらに酒類もいろいろある。
「ホッピーセット 白」
すぐにホッピーセットが到着。ナカの量が頼もしくて嬉しい。ところで実は白状すると、今はまだ午前中なのだった。しかしながら、先客である若い男女ふたり組は、もうそれぞれに思い思いのほろ酔いセットを頼んでいるし、僕のあとすぐにやってきた常連らしき先輩も、店主さんに「とるよ?」と言って、棚から出したいいちこのキープボトルをやりはじめている。あ、やっぱりここ、天国だ。
天国
注文した品々よりも早く目の前にことりと置かれたのは、サービスだという冷奴。酸味と甘味のバランスが良い中華風醤油だれがかけられており、とてもありがたい。
これだけでぐいぐい飲める
「ピータン」
続いてピータン。
「ラーメン」
「焼き餃子」
そしてラーメンと餃子もやってきた。これがまた、見た目からしてあまりにもうまそうで嬉しくなってしまう。午前中からホッピーをぐびぐびやりつつ、ピータンや、サービスの豆腐と合わせて勝手に作ったピータン豆腐に舌鼓を打つ。そこにラーメンと餃子。ほんの十数分前のセンチメンタリズムはどこへやら、今はただ、ただ楽しくて、嬉しい。 ナカのおかわり、お願いします。
やっぱり気前のいい量だ
ラーメンのスープをひと口すすり、また顔がほころぶ。鶏だしのオーソドックスな味わいながら、ただシンプルなだけではなく、僕がちょうど欲していた醤油味の濃さで、脂のコクも絶妙だ。本当にほんのり、感じるか感じないかくらいの酸味も食欲を増幅させる。
麺もいい
太めでぷりぷりな縮れ麺もいい。甘めの濃い味でバキバキ食感のメンマもいい。硬くはないけれどしっかり食べごたえがあり、肉の旨味がまったく抜けていないチャーシューが3枚。これも最高だ。
それから餃子。皮は薄めでもちもち。焼き加減絶妙で香ばしく、餡は野菜と肉のバランスがいい。にんにくはしっかりと入っているけれど、塩気は薄いから、卓上の醤油、酢、ラー油を調合したタレにどっぷりと漬けて食べるといい。心身が癒される味わいだ。
ピータンのネギを入れて
ピータンの土台であった生のねぎは、さすがに添えものとしては食べきれない量だと思っていたけれど、ラーメンに入れてしまうともはやトッピング。後半は、味変のコショウとともに、ネギラーメンとしてありがたく完食した。
店主さんは、客席から丸見えの厨房で鮮やかに中華鍋を振り、餃子の餡をこねては包み、驚くほどの手際の良さで料理を提供してくれる。
正午に近づき少しずつ、酒目的ではなくて、普通に食事をするお客さんたちが来店しはじめた。僕のような酔狂な客はそろそろ席を譲る時間帯だろう。
お会計をお願いし、ついでに「このお店、いつごろ開店したんですか?」と聞いてみる。すると「まだ2年目なんですよ。それまでは、ずっと川崎でやっていて」とのこと。
今、「大宇軒 川崎」でWEB検索してみたところ、特にそれらしき情報は見つからなかった。移転にあたり、心機一転、店名を変えたのかもしれない。
帰宅してからふと、この場所に以前どんな店があったのかが気になって、Googleストリートビューで過去の風景を遡ってみた。すると、確認できた範囲で、2009年は「龍昇飯店」、2014年は「中華満腹」、2017年は「醤香王」、2018年は「健康とんこつラーメン」、2019年は「中国家庭料理 龍」という店だったらしい。
こんな出会いをし、大好きになってしまった大宇軒は、末長くこの地で営業を続けてほしいと、心から願う。
取材・文・撮影/パリッコ