1997年を最後にAクラスから遠ざかり、辛酸をなめ続けてきた広島カープとそのファン。ついに悲願のCS初進出を果たし、「史上最高の下克上=日本一」へ向けて“鯉党”たちが真っ赤に燃えている。


そして、それは広島県出身者だけではない。遠いからこそ憧れ、追いかける―。そんな“県外鯉党”ならではの思いを、マンガ家・映画監督の杉作J太郎氏が語ってくれた。

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優勝が決まったとき……あ、すいません。つい「優勝」と言ってしまう(照)。9月25日のCS進出決定も、そりゃあうれしかった。
でも、それ以上に心が揺さぶられたのはその前日、4位・中日との“名古屋決戦”3連戦の初戦でした。一昨年、昨年と、「今年こそ」と夢を抱かせては驚異の失速を繰り返してきた野村カープですから、ここでまた3連敗するんじゃ……と、戦前は不安で不安で。それが初戦に勝ったことで、「山」をついに乗り越えたんだと。

僕はクルマを路肩に止めてラジオ中継を聴いていたんですが、勝利の瞬間は不思議と「やったー!」という感じではなかった。寒い冬の夜、帰宅後すぐに熱すぎない湯船に漬かったような、じわーっと体が温まるような感覚。同時に、涙がにじみ出てきた。
滝のように溢れるわけではなく、とめどない―いや、止める必要がない少量の涙がずっと流れていました。

僕は童貞時代、カープを精神的な支えにしていました。時代は『なんとなく、クリスタル』(田中康夫の小説)がはやり、男たちがテニスラケットを持って飲みに行き、世の中全体がパステルカラーに染まっていた頃。東映ヤクザ映画が終焉を迎え、爽やかな男が跋扈し、テクノカットが隆盛を誇った頃。

でも、カープは違った。衣笠祥雄、水谷実雄(みずたに・じつお)、福士敬章(ふくし・ひろあき)と、すごい顔の選手が多かった。
古代ギリシャの英雄のようなもみあげがあった。スマートでないとモテない時代に抗うかのように。もちろん彼らは童貞ではなかったでしょうけど、対女性という面での「空気の読めなさ」に勇気を与えられました。

ただ、ここ20年以上、カープには苦しめられてきました。スターが育つたびに、同一リーグへ選手を供給。セ・リーグ版カープアカデミー状態ですよ。
それでも健気に応援してきたファンの喜びが特別なこと、他球団のファンの方々もわかっていただきたいと思います。

正直、CS進出は“確変”に入ったカープの奇跡だと思っています。奇跡がリーグ3位(こんなところ)で終わるはずがない。本当の奇跡とは勝率5割以下のCS突破、そして日本一でしょう。故・三村敏之(みむら・としゆき)監督は生前、「奇跡は起こすためにあるもの」という名言を残しました。それを今、教え子の野村監督が実現してくれると信じています。


(取材・文/木場隆仁 撮影/高橋定敬)

●杉作J太郎(すぎさく・じぇいたろう)


1961年生まれ、愛媛県出身。松山市在住時、天竺のように遠い海の向こうの広島市民球場に思いを馳せ、球場に広告を出していた「アンデルセン」のパンを食べて過ごした異色のカープ党

■週刊プレイボーイ42号「カープの日本一が見たいんじゃあぁぁぁぁ!!」より

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