さらに、その間、最もアーツを間近で見てきた男――K-1立ち上げから崩壊まで常に渦中にあったプロデューサー・谷川貞治氏に、時代ごとのアーツの思い出とK-1の裏舞台を語ってもらった。
【1】来日。そして連覇(93~95年)
1992年。当時のキックボクシング界は、“8年間無敗”モーリス・スミスがトップを走り続けていた。しかし、そんな“レジェンド”をひとりの若者が倒した。21歳のピーター・アーツだった。
翌93年、アーツは大きな注目を浴びながら第1回K-1グランプリに出場する。
―アーツ選手は最初から優勝候補といわれていました。
アーツ うん。でも結果は失敗だった。当時の俺は5ラウンド制に慣れていて、でもK-1は3ラウンドだったから、スタートをかけるタイミングが遅かったんだ。
―しかし翌94年と95年は圧倒的な強さを見せて優勝。みんな「アーツってスゲーなあ!」と大騒ぎしていました。
アーツ ふふふ(笑)。でも特別なことではなかった。「試合をして、勝つ」という、とても普通の、単純なことです。
―まだ20歳ちょっとで優勝候補といわれ、プレッシャーは?
アーツ 今までプレッシャーを感じたことはないね。ほかの選手は緊張して眠れないこともあるらしいけど俺はそういう経験は一度もない。「1時間後に試合してくれ」と言われたら、すぐに平常心でグローブをつけられるよ。