すでに日本の敗戦が濃厚だった太平洋戦争の末期。度重なる本土空襲や沖縄の地上戦で多くの民間人の命が失われていたにもかかわらず、政府や軍部が最後までこだわり続けたとされるのが「国体の護持」。


この天皇を中心とした日本の国柄を意味する「国体」という思想は、実は戦後も「アメリカ」と結びつき、日本を縛り続けているのではないか?

『永続敗戦論』で一躍注目を浴びた気鋭の政治学者・白井聡氏が、「戦後の国体」という新たな視点で日本の深層に迫るのが『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)だ。

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―いきなり「国体論」と言われても一般の人にはピンとこないのではないでしょうか。まずは「国体とは何か」ということについて、白井さんの考えを聞かせてください。

白井 「国体」とは、幕末期に源があり明治期に政府が広めていった価値体系で、神の子孫で「万世一系」の血を引く天皇とその「赤子」、つまり子供に当たる臣民(国民)が「家族」のごとくこの国をつくっている、という考えです。

それはやがて「天皇陛下のために死ぬのが当然、異論は許さない」という考え方につながり、昭和のファシズムの狂気へと国を導いてゆくことになった。その果てに日本は敗戦という破局を迎えます。
そこでアメリカの指令の下、天皇の「神がかり的」な要素は排除され、新憲法により天皇制は「象徴天皇制」に変わりました。「国体」の解体は、民主化のための諸改革の中心課題のひとつでした。

―だからこそ「国体」はもはや死語になったのでは?

白井 ところが、国体の社会的機能から考えた場合、国体は死んでいないのです。それどころか極めて強力な装置として、今も日本社会を縛り続けている。私は「戦後の国体」を、天皇制の頂点に「アメリカ」を載せたものだとみています。

―天皇制の頂点にアメリカが載っている…ですか?

白井 先ほど、国体とは天皇を中心とした国の秩序だと言いましたが、実際に日本の歴史をふり返ってみると、明治以前には300年近くも江戸幕府による徳川家の統治が続いていて、天皇が直接、日本を支配していたわけじゃありませんよね? 国体の特徴のひとつは、ほかの政治秩序と違って、必ずしも天皇がじかに国を支配するのではないという点。
むしろ歴史の上ではそれが例外であることのほうが多い。この「表向きは支配ではない支配」が国体の独特なところです。

江戸時代の場合、政治的実権を指す「政体」は征夷大将軍を中心とした幕藩体制にあり、その権力を保障する「権威」として天皇が日本の秩序の中心にありました。 これを現在の日本に当てはめて「国体」に相当するものはなんなのかと考えてみたら、それは「アメリカ」なのではないかという答えに行き当たった。

いわゆる「右派」の人たちが街頭でデモをするとき、日章旗を掲げているだけでなく、最近は、なぜか星条旗も一緒に振り回している。そんな彼らにとっての「精神的権威」とはなんなのか? あるいは安倍首相がトランプ大統領に対して「涙ぐましいほどの擦り寄り方」を見せる一方で、今上天皇が退位の意向を示されたときの、あの冷淡な態度はなんなのだろうと。


―そういえば、天皇の退位に反対する有識者の中には「天皇は公務など行なわず、ただ祈ってさえいればいい」なんて言っていた人もいましたね。

白井 そういう光景を見ていると、右派の人々にとっての「天皇」が、皇居の中の天皇陛下ではなく、もはや「アメリカ」になっているんじゃないかと思えてくるわけです。

ここで重要なのがアメリカを頂点とする「戦後の国体」も、戦前と同じように、家族的関係の外観をまとっていることです。つまり、3・11のときの「トモダチ作戦」というネーミングに象徴されるような「日米2国間の特別な友情と信頼」によるものだという幻想を通じて、アメリカによる日本支配は続いてきた。だから、支配されているほうには被支配の「自覚」がない。

―本書では、敗戦直後の「昭和天皇とマッカーサーの会見」が重要なポイントだと指摘されています。
あの日、マッカーサーは昭和天皇から「征夷大将軍」に任命されたのだ、と。

白井 あの会見の時点では、天皇制の廃止や天皇自身が戦犯として訴追される可能性もまだあったのです。そのとき天皇を守り、天皇制の維持を決めたことで、マッカーサーは国体の護持を望む人たちにとって「大恩人」となりました。

この瞬間に、アメリカが戦後天皇制の「保護者」として、「国体の構造」の中に入り込んだのです。それを私は、マッカーサーが征夷大将軍に任命されたと表現したのです。アメリカは狂った軍部から天皇を解放し、さらには、当時猛威を振るっていた共産主義勢力から天皇を守る機能も担った。


そして、いつしかそのアメリカが「天皇」を超える権威となり――江戸時代に、将軍が権威でも天皇を実質的に上回っていたことに似ていますね――その権威の後ろ盾を持つ人間だけが日本を支配する権力を持つことになった。それこそが、国体化した現在の「対米従属構造」なのだと私は考えます。

―つまり、マッカーサーのおかげで「国体」は守られたと。しかし、戦後の民主主義や新憲法の下で天皇制は象徴天皇制としてフルモデルチェンジしているのですから、戦前の神がかり的な「国体思想」とは別物なのでは?

白井 そのとおりです。そして、「象徴天皇制は国体思想とは違う」ということを強調したのが、今上天皇が退位の意向を表明した「お言葉」だったと考えます。「お言葉」では天皇が象徴するのは「国民の統合」だということに、繰り返し言及がされました。
裏を返せば、今その統合が崩れてきていることに、国民の注意を促したということです。

平成時代はほぼ丸ごと「失われた時代」であるわけですが、そんな世相になってしまった原因を探っていくと、特殊な対米従属体制、つまりアメリカを頂点とする国体の構造にたどり着きます。

そのゆがんだ国体が生んだ停滞から日本が抜け出すには、歴史の歩みを了解することが必須です。そのために、本書では明治維新以降の150年を国体の生成と崩壊が2度繰り返される歴史として描き出したのです。

(インタビュー・文/川喜田 研 撮影/岡倉禎志)

●白井聡(しらい・さとし)









1977年生まれ、東京都出身。政治学、社会思想研究者。早稲田大学政治経済学部卒業。一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位修得退学。京都精華大学人文学部専任講師。『永続敗戦論―戦後日本の核心』(αプラス叢書)で石橋湛山賞、角川財団学芸賞など受賞。近著に『白井聡対話集』(かもがわ出版)、『憂国論 戦後日本の欺瞞を撃つ』(祥伝社新書/鈴木邦男氏との共著)などがある

■『国体論 菊と星条旗』(集英社新書 940円+税)









第2次世界大戦の敗戦後、日本からなくなったと思われていた「国体」が、実際には「対米従属」という形で残っていた―。『永続敗戦論』で、アメリカには従いつつ敗戦を否認し続ける日本のいびつな構造を明らかにした著者が、「戦後の国体」という斬新な視点で日本の深層に迫る

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