立川談志と独裁者【しあわせの基準 ー私のパパは立川談志ー 第...の画像はこちら >>

ビン・ラディンがプリントされたシャツを着る談志

天才、奇才、破天荒......そんな言葉だけで言い表すことのできない、まさに一無二の落語家立川談志。2011年11月、喉頭がんでこの世を去った。

高座にはじまりテレビに書籍、政治まで、あらゆる分野で才能を見せてきたが、家庭では父としてどんな一面があったのか? 娘・松岡ゆみこが、いままで語られることのなかった「父としての立川談志」の知られざるエピソードを書き下ろす。

談志師匠の10回目の命日まで、あと数日。師匠が亡くなったのと同年、2011年に亡くなった方には、一部共通点があるようで。

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まもなく父の10回目の命日を迎える。10年前の3月11日、東日本大震災で約1万5000人の方が亡くなり、行方不明の方は約2500人。その方々のご遺族、ご家族の方は、どんな思いでこの10年を過ごしたのだろう。

私は、父が亡くなって10年、あっという間に過ぎてしまった。今もこうして父の事を思い出して書いているように、父が死んだ直後からずっと「談志さんは、どんなお父さんでしたか?」と聞かれ続けてきた。

練馬の父の家をテレビ番組『ビフォーアフター』でリフォームしたり、父の膨大な遺品を整理するのに何年もかけた。10年経つと、整理したつもりの物がまた埃(ほこり)をかぶってしまったり、とにかく父の用事はまだまだ終わらない。

ありがたいことに、今年も更に本、TV、CDなど新しい物を制作してくれる方々がいる。私も最近YouTubeチャンネルを始めたが、父が登場するYouTubeは、もう死んでるくせに私が一生頑張っても追いつけないくらいの再生回数があったりする。

たまにTVをつければ「わっ! パパ!」と突然画面に現れ、正直父を忘れる暇がない。

何年か前に、アンドロイドになった父にもビックリしたが、父の本、写真、音、VTR、最後の筆談のメモ、手紙......本当に全部を制覇して整理するのは、ほぼ無理だと思ってしまう。

父と同じく2011年に亡くなって、ご縁のあった人の話を少し書いてみよう。柳家金語楼さんの息子さんの山下敬二郎さんは、昭和30年代当時、平尾昌晃さん、ミッキーカーチスさんと3人でアイドルだった。「ロカビリー3人男」と呼ばれ、日劇ミュージックホールでのライブ『日劇ウエスタンカーニバル』は、今のジャニーズ同様、若い女の子達に大人気だった。

ミッキーさんは立川流で落語も出来て、父とはとても親しかった。

「ミッキー亭カーチス」という高座名もある。父は山下さんとも親しかったようで、今から15年くらい前に、日比谷で開かれたハワイアンのイベントで父が司会をして、私もハワイアンを1曲歌った。ゲストで出演していた山下さんはその時もカッコ良かった。 

2011年の5月には団鬼六さんが亡くなった。鬼六さんも立川流で(立川鬼六)、父と仲が良かった。父と一緒に私の六本木のお店に来て頂いた事があった。

その日は縄師が女性を縛る撮影の帰りで、そのビデオを見せてくれた。広い畳の部屋の真ん中で女性が縛られていくのを、周りの座布団に座った男性達(父も)が見入っている映像だった。

団鬼六さんはSMの巨匠。私は鬼六さんの日活の作品はほとんど観ているし、優しいエッセイも好きだ。父は時々、鬼六さんのお家に遊びに行っていた。父が亡くなったのをきっかけに、鬼六さんの娘さんのゆきちゃん、立川流の顧問でもある手塚治虫さんの娘さんのルミちゃん、赤塚不二夫さんの娘さんのりえちゃんと、時々みんなで会うようになった(赤塚不二夫さんも立川流で、「立川不二身」を名乗っていた)。

私が『ご遺族シスターズ』と名付けたこの娘4人は、全員重度のファザコンであるのは言うまでもない。

7月には原田芳雄さんも亡くなった。私はお会いした事がなく、最後にTVでお見かけした時は車椅子で少し痩せていて、父と同じ感じだなと思った。その何年後かに、原田さんの息子さんのケンタ君と偶然、鳥取のT-BOLANの士のライブでお会いした。その打ち上げで、みんなと別の席で2人、お互いの父親の事を熱く語った。

その時は知らなかった事が、数日前に発覚した! 談志のドキュメンタリーの再放送に、トークゲストで出ていた松尾貴史さんが、以前松尾さんのライブに原田さんと父が偶然来て、打ち上げで向かい合って呑んで喋っていたと言っていた。

やはりご縁があったんだなーと嬉しくなった。 

8月に前田武彦さんが亡くなった事は、スポーツ新聞で父と一緒に知った。父はその記事を見て涙を流していた。筆談のメモに「あんな売れっ子がこの程度の扱いか」と書いた。前武さんと父は若い頃2人で漫才もした事があったそうだ。その時の父の涙は、自分と重ね合わせてるのか?と、今思い出してもとってもせつない。 

私のお店によく来てくれていた、カッコいいジョー山中さんも亡くなった。山中さんは、父の出版記念パーティーで『人間の証明のテーマ』を歌ってくれたことがあった。また、ご縁はないが、スティーブ・ジョブスが亡くなったのも2011年だ。

ビン・ラディンも死んじゃった。自分で物を滅多に買わない父が、上野でビン・ラディンのTシャツを大人買いして、嬉しそうに着ていた。「ゆみこ! 今着ろ! かっこいいぞ!」と言って、私にもくれた。カダフィー大佐もその年に死んで、12月には、父が贔屓にしていた金正日も、父の後を追うように死んだ。父は高座はもちろん、どこでも「金正日マンセーー!」としょっちゅう叫んでいた。死んだ日も近いから、三途の川の手前でバッタリ会ってたり? なんてね。

2011年は『独裁者が死んだ年』と言っても過言ではない。私はこの4人の似顔絵Tシャツを作りたいと、今もマジで思っている。