メディアやネットで目にする、他人への非難や糾弾。
それを見て「飽きもせずによくやるな」と思う人は少なくないだろう。

しかし、リアルな生活に目を向けても、そうした行為は他人を貶めるような噂話や愚痴、パワハラやいじめといった形で繰り広げられている。

なぜ人はこんなにも、他人を攻撃することが好きなのだろうか?
そんな疑問に答えてくれる一冊が脳科学者の中野信子氏が執筆した『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎刊)である。

「シャーデンフロイデ」とは、後ろめたく思いながらも他人の失敗や不幸を思わず喜んでしまう感情のこと。本書ではこのようなネガティブな人間の性質に着目し、なぜネットバッシングや不倫の糾弾は後を絶たないのか、そもそもどうして人間はそんな感情を持ってしまったのかを、脳科学の側面から解説している。

■なぜ、不倫の糾弾は止まらないのか?

昨今では、不倫をした有名人がネットや報道で糾弾されるのをよく目にする。実は糾弾する行動や風潮は、「オキシトシン」という脳内物質と深く結びついているという。

「オキシトシン」は、俗に「愛情ホルモン」「幸せホルモン」と呼ばれており、愛情や仲間意識を芽生えさせたり、安心感や活力、幸福感を与えたり心理的に好ましい影響がある脳内物質だ。それがなぜ、糾弾やバッシングと結びつくのか。

生物としてのヒトは社会性を武器に種を保ってきたが、「オキシトシン」は愛情や仲間意識を芽生えさせことで社会性の構築を促し、向社会的性を高める働きがある。そして、「オキシトシン」によって高まる向社会性は「ルールから逸脱した人間を許さない」という感情を生み出すのだ。

ほとんどの社会や共同体は一夫一婦型で成り立っているので、生物的に乱婚型につながる恐れのある「不倫」という行為をする人間に対して、「ルールから逸脱した人間」という判断を下す。それによって糾弾が始まるという。


特に日本人は共同体意識が強い傾向があるので、ネットやメディアを通じての糾弾という形になって現れやすいのだとか。

失言や不適切な発言をした人に対するSNSなどでの炎上も、社会通念から外れた行為に対して起こるので理屈としては同じだ。ある意味で、メディアやネット社会はこのような人間のネガティブな側面を刺激することに長けていると言えるのかもしれない。

■ヒトは「正当な制裁」をしたい生き物

2016年に熊本大地震が起きた際、「被災者が苦しんでいるときに、笑顔の写真を公共の場であるSNSに上げるなんて不謹慎だ」と、被災地とは関係のない人が怒るという出来事があった。写真を投稿した人もその内容も、被災地とは無関係であるにもかかわらずだ。

また、電車や公共の場でベビーカーを押していたり、泣く子をあやしている母親に、「人に迷惑をかけるな」と理不尽な説教をしたり、ときには暴行を働いたりする年配の男性、いわゆる「暴走老人」の姿がネットなどで話題になることがある。

こうした「不謹慎狩り」や「暴走老人」の行為は「サンクション(制裁)」と呼ばれるもので、「自分だけが正しい」「ルールから逸脱した人間を許せない」「だから、そんな人間に対しては自分が正義を執行しても許される」という心理状態によって実行に移されるという。

なぜこのような心理状態になり、行動に移せるのだろうか?

そこにも、人間の本能に根ざした理由があると著者は指摘する。
「サンクション」が起こるのは、集団や共同体にとってその必要があるからだ。

不謹慎狩りで言えば、「不謹慎な誰か」を排除しなければ、集団全体が「不謹慎」、つまり「ルールを逸脱した状態」に変容し、ひいては集団そのものが崩壊する恐れがある。その前に、崩壊の引き金になる「不謹慎な人」を潰しておく必要がある。

つまり、サンクションは、本質的には集団や共同体を守ろうとする行動なのだ。

これは「向社会性が高まった末の帰結と言えるかもしれない」と著者はいう。

しかし、「サンクション」には、相手からリベンジされるかもしれないというリスクがある。そのリスクを乗り越えても実行に移せるのは、オキシトシンやドーパミンなどの脳内物質が分泌され、快感が得られるからだ。

著者は「基本的に、人間は快楽のために行動する」と本書の中で述べている。脳が生み出す快楽は性行為で得られる快感をはるかに凌ぐと言われており、抗うのは難しい。
しかし、「自分の行動は、快楽に流されているだけではないか?」と疑いを持つことで、過剰な制裁や不毛な糾弾に歯止めをかけることはできるかもしれない。

(ライター/大村佑介)