6月12日に迫っている米朝会談に注目が集まっている。
日本やアメリカ、ヨーロッパ諸国だけでなく、中南米や中東のメディアでもこの会談について報じており、ほとんど「全世界」がこの会談の行方を注視している状態だ。

「北朝鮮がどのような条件で核放棄に応じるか」「応じた場合、経済制裁の解除はどのタイミングで行われるか」など、今回の会談には交渉がもつれそうなポイントがいくつかある。「アメリカが北朝鮮の統治体制を承認するか」もその一つだろう。俗にいう「体制保証」である。

この体制保証が実現すれば画期的なことである。長年アメリカや欧米諸国は「民主主義の敵」として、常に北朝鮮の独裁的な政治体制を非難してきたからだ。

■北朝鮮が進める「文学による国民教化」の実態

ところで、北朝鮮の体制は「アメリカ(やアメリカと歩調を揃える国際社会)からのお墨付き」を得れば安泰、というわけではもちろんない。

あらゆる独裁的・専制的な政治体制は、自国民が体制に不満を持たないようにするシステムを必要とする。粛清や強制労働をちらつかせた恐怖による統治や、情報統制がそれである。

「金正恩は白頭山の血統にあらず」など、北朝鮮国民が金正恩氏の統治者としての正当性に疑問を持つように仕向けるためのメッセージを風船に括り付け、韓国側の国境から飛ばすことで脱北を促すという話が知られているが、北朝鮮にしても諸外国からの国内世論への揺さぶりと無縁ではない。

こうした揺さぶりに耐え、体制を強固に保つため北朝鮮はこれまでにありとあらゆることをやってきた。その一つが「文学による国民の洗脳」である。

■脱北作家が語る北朝鮮文学の名作

『跳べない蛙 北朝鮮「洗脳文学」の実体』(双葉社刊)の著者金柱聖氏は、脱北する前、朝鮮労働党お抱えの作家として活動していた。

日本で作家というと、文芸を志す孤高の人を思い浮かべるだろう。だが、あの国の作家は違う。指導者を指導者たらしめ、人民の心を掌握して経済分野における生産性を高め、軍人を鼓舞して外敵の侵略に打ち勝てるだけの強力な軍隊を作る――。あの国の作家とは、国家の先陣に立つ旗手であり、ラッパ手なのだ。(p.19より引用)

国民感情を統制するために、メディアは格好の道具となる。勇ましい口調で自国の偉大さを喧伝するニュースを読み上げる北朝鮮のテレビ放送は日本でもお馴染みだが、同じことが文学でも行われているわけだ。

日本の文学とは一線を画す北朝鮮文学で「名作」とされているのが、謁見や面談の形で金一族と会うことを許された国民たちのエピソードが体験記風につづられている『徳性実記』という作品である。

北朝鮮の国民統治の方法は「対極の方式」であると金柱聖氏は言う。一人を見せしめに処刑して、それを見た一万人に政権からのメッセージを伝える。または、一人に奇跡のような幸運を与えて、一万人の心を金一族に引き寄せる。徹底的な「アメとムチ」が、北朝鮮の統治では用いられる。

『徳性実記』は、その「アメ」の部分だけを描いたもの。

それぞれに話の筋は違うが、あるきっかけから「首領様」と出会い交流した国民が、後日豪華な贈り物や幸運に恵まれ、金一族に感謝をするという骨組みは常に変わらないという。

北朝鮮の成立を大河小説風に描いた長編『不滅の歴史』をはじめ、北朝鮮には金一族を称える小説は枚挙にいとまがないほどあるという。北朝鮮文学とは金一族翼賛の一択なのである。

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本書では、脱北作家である著者の口から、北朝鮮の内情や文学理念、そしてストーリーの特徴など、かの国の歴史と内情、そして文学ありようが立体的に語られる。

北朝鮮との交渉カードとしてアメリカがちらつかせているとされる「体制保証」。しかし、これが成就したとして、こうした形の国民統治がいつまでも持続するものなのだろうか。

(新刊JP編集部・山田洋介)