
ただ、なにぶん今から70年以上前のこと。「二度と繰り返してはいけない悲劇があった」という事実は知識として持っていても、当時の日本人がどんな思いで戦時下を生きていたかという部分を想像するのは、どうしても時の経過とともに難しくなってしまいます。
しかし、妻や夫、家族や恋人を大事に思う気持ちは戦時中も今も同じ。そのことは当時の日本人の心情を考えるヒントになってくれます。『戦地で生きる支えとなった115通の恋文』(稲垣麻由美/著、扶桑社/刊)には、結婚して間もない夫を戦争にとられた妻が、戦地の夫に宛てた手紙が掲載され、当時の妻の気持ちや時代の空気、暮らしぶりなどが伝わってきます。
福井県で暮らしていた山田しずゑさんの夫・藤栄さんが支那事変への従軍で満州や中国に赴任したのは1937年、日中戦争から太平洋戦争へと、日本が長く続く戦争に向かっていた頃でした。
新婚だったことに加えて第一子を妊娠していたしずゑさんは、一人残された不安と戦地での藤栄さんの無事を祈る気持ちから、ほとんど毎日手紙を書いていたそう。藤栄さんが受け取った手紙の数は115通にものぼります。
もちろん、当時はメールなどありませんし、戦地に電話することもできません。唯一の通信手段である郵便にしても、藤栄さんは戦地で、しかも作戦に従って移動しつづける部隊にいるわけですから無事に届く保証などないのです。そんな状況で、しずゑさんの手紙の文面が、どれもその時々の思いの丈をすべて書かずにはいられないような、書き忘れたことを一つも残したくないような、切実なものになったのは無理もないのかもしれません。