ハードな技を次々に繰り出し、ピンフォールによって決着するまで死闘を繰り広げる――1990年代に熱狂を生み出した「四天王プロレス」はまさしく伝説だ。

『小橋健太、熱狂の四天王プロレス』(小橋建太著、ワニブックス刊)は、四天王の一人である小橋建太さんが、自身の幼少の頃から、四天王プロレスが終わる1990年代末までを振り返った、プロレスの“歴史書”ともいえる一冊。
時系列に回想を重ねていくこの本には、様々な名プロレスラーたちが登場し、当時のファンは胸を熱くすることだろう。そして、当時がリアルタイムではなかった若い世代のファンにも感じるものがあるはずだ。

昨日から配信している小橋さんへのインタビュー。後編の今回は読者からの質問に答えてもらった。
(取材・文:金井元貴、カメラ:山田洋介)

■「全日本プロレスから不合格通知をもらい、納得がいかず電話をしました」

――プロレスの先輩後輩の関係は入門の年で決まるのですか?

小橋:そうですね。年齢や経歴は関係なく、入門の時期によって決まります。
菊地(毅)さんよりも年下の小川(良成)さんは、菊池さんより入門が4年ほど早いんです。だから、小川さんのほうが先輩になります。早く入った者勝ちですね。

――小橋さんは一度、京セラに就職されてから20歳で全日本プロレスに入門されていますが、入門時に20歳という年齢は遅いのですか?

小橋:遅いと言われたことがありますね。だいたいは高校を卒業して入ってくることが多いので。僕が入門したのは、菊地さんと北原(光騎)さんが入門してすぐの頃でした。
当時、僕はおふたりより体格的に大きかったのですが、一度不合格を言い渡されました。だからなぜ不合格なのか納得がいかなくて電話をして聞いてみたら、おふたりにはアマチュアレスリングのチャンピオンであったり、タイガーマスクのジムでインストラクターをしていたという実績がある、と。君には20歳になるまで実績がないじゃないか、と言われたんですね。

ただ、僕は20歳を過ぎていても、30歳くらいまでであれば、可能性があると思います。重要なことは中途半端な気持ちでやらないこと。命を賭けられるのであれば、プロレスはできると思っています。


――そういった背景があるからこそ、小橋さんはただひたすら前に進んでいけたんですね。

小橋:そうですね、後ろには何もなかったので。

――小橋さんはプロレスラーが職業でしたが、プロレスを「仕事」として受け止めたことはありましたか?

小橋:仕事というのはお金をもらうものですよね。でも、僕自身は、プロレスラーになってからお金のことを気にしたことはなかったです。全日本プロレスのときも、馬場さんに給料を上げてほしいと言ったことはないですし…。毎年プロ野球選手の契約更改が話題になりますが、ああいう話はしたことがないですね。


――この本によれば、馬場さんにはプロレスにおいて納得のいかないことを主張していらっしゃったとか。

小橋:プロレスに関しては譲れないところがありましたからね。馬場さんもそうだったと思います。

■読者からの質問で、タイガーマスク時代の三沢光晴の“ルーティン”が明らかに!?

――新刊JP読者から質問を預かっていますので、それについてぜひともお答えいただければと思います。まず一つ目の質問です。「プライベートで三沢さんと交わした面白いエピソードを教えてください」

小橋:三沢さんはタイガーマスクだった頃、世田谷の全日本プロレスの道場の近くに住んでいたんですね。
それで後楽園ホールで試合があるときは、「小橋、乗って行くか?」と道場にタクシーで迎えに来てくれていたんですよ。もちろん素顔で、ですよ。

それで男2人、タクシーに乗って向かうわけですが、後楽園ホールに入る一歩手前のところに信号があるんです。その信号はだいたい赤でタクシーが停止するのですが、そのタイミングで三沢さんが虎のマスクをかぶるんですね。その瞬間に運転手さんが「アッ!」って顔になる(笑)。もうね、強盗なんじゃないかと思ったような表情ですよね。
僕はその運転手の顔を見ているのが楽しかったです。

――マスクをかぶった瞬間に運転手さんの表情が変わる。

小橋:すごい顔をするんですよ。面白かったです。

――その信号でマスクをかぶるというのは、三沢さんにとってのルーティンだったのでしょうか。

小橋:どうでしょうね…。信号が青の場合でも、そこでマスクをかぶっていました。(ラグビー日本代表の)五郎丸選手みたいなルーティンが、三沢さんにもあったんですかね。

――では、続いての質問です。「昨年夏にお子さんがお生まれになり、小橋さんの中で変わったことはありますか?」

小橋:子どもの笑顔を見るたびに、この子を守らなくてはならないという気持ちが強くなっていますね。実はプロレスを引退して、次の人生が見えていなかったんです。でも、この子のために、そして自分のためにも、見つけないといけないという想いが生まれました。

――生活がお子さん中心になっているのではないですか?

小橋:それはありますけど、嫌ではないです。お風呂に入れたり、寝かせたり…。でも今の時期だけですからね。楽しんで子育てをしていますよ。

――では、これが最後の質問となります。「一番こだわりのある技を教えて下さい」

小橋:あまり使わない技でいえば、バーニング・ハンマーですね。ここぞという大技なので、大一番以外は使わないようにしていました。

よく使っていた技でいえば、チョップです。僕は尺骨神経を二度手術していて、一度はボルトが飛んでしまったことがあったのですが、マシンガンチョップを医者に止められたんですよ。神経がおかしくなっているから、連続でチョップを打つのはやめなさい、と。いずれ指が動かなくなりますと言われたんですね。

でも、僕は「それはできません」と言いました。プロレスを観に来てくれるお客さんの中には、そう何回も観に来られない人もいるでしょう。お客さんがマシンガンチョップを楽しみにしている限り、やめるつもりはなかったです。

また、ラリアットもこだわりを持っていました。これはスタン・ハンセンが元祖で僕もやられたのですが、研究をして自分の技として磨いていきました。鉄柱に向かって練習をしましたし、こだわりのある技でしたね。

(了)

■小橋建太さんプロフィール
1967年3月27日生まれ。京都府福知山市出身。1990年代後半からプロレスラとして一世を風靡。がんや数々のケガに悩まされ、リング内外で壮絶な戦いを繰り広げてきた。2001年1月に膝の手術で欠場するも、翌年2月にはアスリートとして前例のない復帰を果たす。また、2006年6月には腎臓がんが発覚。546日の闘病を経て、2007年10月に復帰。レスラーとしての実績は高く、数々のタイトルを獲得し、特にGHCヘビー級王座にあった2年間は、13度の防衛に成功し、いつしか「絶対王者」と呼ばれるようになった。2013年5月に現役を引退。
現在はがんや様々な怪我を乗り越えた経験を背景に、夢やチャレンジ、諦めない大切さについて語る。“夢の実現”“命の大切さ”などをテーマに小橋らしい熱い想いとまっすぐなメッセージを届ける。また、プロレスを少しでも広めていきたいという想いから、2014年よりプロレスの練習を一般向けにアレンジしたオリジナルトレーニング『プロレスエクササイズチャレンジ』を開始。2015年には尚美学園大学の講師、NWHスポーツ救命協会講師にも就任し、プロレスのみならずスポーツ全般の普及に努める。

『小橋健太、熱狂の四天王プロレス』

小橋建太/著、ワニブックス/刊、1728円(税込)
観る者すべてを熱狂させたあの四天王プロレスを、300ページ超の圧倒的ボリュームで小橋建太が振り返る! 小橋建太×和田京平(レフェリー)×宝城カイリ(スターダム)による特別対談も収録。

■イベント情報
「St.Valentine’s Day talk battle 2016」

小橋建太 vs 宝城カイリ
2月14日(日)13時~ 新大久保R&Bバー/料金5000円(ドリンク代別)
詳細:https://tsuku2.jp/events/eventsDetail.php?ecd=41110121100252

小橋建太 vs 潮崎豪
2月14日(日)17時~ 新大久保R&Bバー/料金5000円(ドリンク代別)
詳細:https://tsuku2.jp/events/eventsDetail.php?ecd=01154215042103

■『小橋健太、熱狂の四天王プロレス』出版記念 インゴットカード発売中!
「小橋健太」「三沢光晴」「川田利明」「田上明」の三冠ヘビー級オリジナル純金インゴットカードを3枚1組で限定発売。ここでしか手に入らない貴重なインゴットカードセットです。詳細は下記URLにて
http://gold4u.jp/collaboration/kobashi/