元日本代表DF田中マルクス闘莉王が12月1日、2019シーズンをもって現役引退することを発表した。

 現在38歳の闘莉王はブラジル出身で、渋谷幕張高校卒業後の2001年にサンフレッチェ広島へ加入した。
その後水戸ホーリーホックへの期限付き移籍を経て、2004年からは浦和レッズで活躍。J1リーグ優勝やAFCアジアチャンピオンズリーグ制覇に貢献し、2006年にはJリーグ最優秀選手賞(MVP)に輝いた。2010年からは名古屋グランパスでプレーし、同クラブ初のJ1リーグ優勝を達成。2016年1月には一度退団してブラジルに帰国したものの、同年8月に名古屋へ復帰。契約満了に伴い、2017シーズンから京都でプレーしていた。今季は明治安田生命J2リーグで30試合に出場していた。
2003年に日本国籍を取得後、日本代表として2004年のアテネオリンピックに出場。2006年にA代表に初選出されると、2010年南アフリカ・ワールドカップでは全4試合に出場し、日本代表2年ぶりのベスト16進出に大きく貢献した。

 都内で行われた会見に登場した闘莉王は、「今日をもちまして、あっという間の19年間のプロ生活を引退します。たくさんの人たちに、ファンに、サポーターに、こんな人間を支えていただき、感謝の気持ちで心がいっぱいです。本当にありがとうございます」とコメント。自らの口から現役引退を表明し、感謝の言葉を述べた。
さらに、引退を決意した経緯については、以下のように説明した。

「広島に入団した当時、『今までにないDF』になりたいと、守りだけでなく攻めを意識してやってきた。そのときに1つ決めていたことがあって、いつか自分の中の“炎”が消えかかりそうになったら、年齢は関係なく引退しようと。サッカーに失礼がないようにと決めていた。去年の終わり頃に少しそれを感じて、引退しなきゃいけないなと。最後の1年を今まで敵として戦ってきた相手チームのサポーターへ挨拶をしたいなと。
サッカーへは当然ですが、少しでも感謝の気持ちを伝えたかったので、今年を最後のシーズンにしようと思っていた。消えかかった炎を最後のエネルギーに変えて1年やりました。去年の終わりくらいから決めていました」

 また、現役時代に最も印象的だった瞬間には、南アフリカW杯・決勝トーナメント1回戦、PK戦の末に敗れたパラグアイ戦を挙げた。

「ワールドカップのパラグアイ戦のコマちゃん(駒野友一)がPKを外した瞬間がすごく印象に残ってて。次のキッカーが自分だったので、自分のとこまで回ってきてたらどうだったんだろう?と。それも神様の嫌がらせかなと。
外すなら自分で良かった。蹴られなかったことで、どれだけの夜を寝ずに過ごしただろうか。あのPKをどれだけ蹴りたかったか。結末を見られずに終わったあの瞬間が印象的ですね」

 引退後の予定については「今後のことは考えていないです。ブラジルに帰ってビールをたくさん飲んで、肉をたくさん食べて、10㎏くらい太って、みんなに喜んでもらえればと思います(笑)」と笑顔で語った。

 会見の最後には楢崎正剛氏と中澤佑二氏がサプライズで登場。
闘莉王へ花束を手渡し、日本代表やクラブでともに戦った盟友の労をねぎらった。